8月20日、霧の深い早朝であった。突如ソ連艦隊が現われ、真岡の町に艦砲射撃を開始した。町は紅蓮の炎に包まれ、戦場と化した。この時、第一班の交換嬢たち9人は局にいた。緊急を告げる電話の回線、避難経路の指示、多くの人々の生命を守るため、彼女たちは職場を離れなかった。局の窓から迫るソ連兵の姿が見えた。路上の親子が銃火を浴びた。もはやこれまでだった。班長はたった一本残った回線に、「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら」と叫ぶと静かにプラグを引き抜いた」(映画「氷雪の門」パンフレットより)
「真岡というのは樺太西海岸にある地名で、この映画は、最後まで通信連絡をとり、若い命をなげうった真岡郵便局の電話交換手の乙女の悲劇を描いた真実の物語である。
8月8日に突如として対日宣戦布告したソ連は、9日には南樺太に侵入し、戦車を先頭に南下を続け次々と町を占領していく。8月15日の終戦の日になってもソ連は攻撃の手を緩めず、日本軍が何度も「国際法違反だ」と停戦を申し入れても「負けた国に国際法などない」と拒否され、兵器を捨てた無抵抗の兵士は銃殺される。
そして8月20日早朝、真岡の沿岸に突如ソ連艦隊が現われ、艦砲射撃を開始。上陸したソ連兵は町の角々で機銃掃射を浴びせ、一般住民を見境無く撃ち殺して、町は戦場と化していく…
樺太には40万人以上の日本人がいたが、映画のパンフレットによると「終戦の混乱期に10万人余の同胞を失った」とある。「九人の乙女」の話は聞いたことがあるが、樺太でこんなに深刻な被害があったことは映画を見て初めて知った。
当時のことを調べると、8月22日にはソ連軍は樺太から引揚者を乗せた船までも潜水艦で攻撃して二隻沈没させ、一隻を大破させ1708人が亡くなっている。
どうやら映画よりも現実の方がはるかに酷かったらしいのだが、非戦闘員を虐殺した明らかな国際法違反の史実がなぜ世に知られていないのであろう。ソ連軍の攻撃は樺太全土が占領される8月25日まで続いたとのことだ。
映画「氷雪の門」は昭和49年に完成し公開直前にソ連の圧力により葬り去られて、ずっと公開されなかった映画であるが、最近になってDVDが作られて各地で細々と上映会が開かれているようだ。私はインターネットで購入して鑑賞したが、見ていて何度も涙が出て止まらなかった。
しかし、新城卓氏が語っているように、映画よりも悲惨な現実があった。次のサイトを読めば、樺太の日本人がどのような目にあったかがわかるし、この映画の上映ができなかった新城氏の無念さがひしひしと伝わってくる。
http://sakurakaido.kt.fc2.com/shinjo.htm
たとえ、通史から消されたものであっても、長く語り継がれるべき史実があるのだと思う。
映画の題名である「氷雪の門」は昭和38年に北海道稚内市稚内公園に建てられた、樺太で亡くなった方の慰霊碑の名前である。同じ公園内にこの映画の主人公である「九人の乙女の碑」も建てられている。一度行ってみたいものである。
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BLOGariコメント
「氷雪の門」は旧ソ連が、30年間も上映権を買いとったことで長期間日の目を見なかったそうです。最初に上映されたのは靖国神社であったとのことです。
わたしたち日本人は「歴史ときちんと向き合う」ことが大事です。受け入れがたい現実もきちんと見ることです。
日本の国境を守るべきなのは日本なのですから、もっと毅然とした対応をしないと北方領土や尖閣諸島や竹島だけではなく、沖縄も対馬も北海道も狙われると思います。いつまでもアメリカには頼れません。
北海道は中国人をノービザで受け入れることを決めたようですが、こんな無防備な考えでは非常に危ない。
http://hibikan.at.webry.info/201010/article_510.html
私が特に気にしているのは、人口が減少し、高齢化が進んでいる地域。2年前の国籍法改悪で、偽装認定により日本国籍を取得している外国人が急増しています。
民主党は外国人参政権も認める方針でいるようですが、それだけは絶対に許してはなりません。
大手マスコミは「諸国民の正義」を洗脳させるための装置のようなものだったのですが、いまこそその洗脳を解くチャンスなのだと思います。
ロシアに限らず、諸国民の腹黒いところをもっと国民は知るべきだと思います。