しばやんの日々 (旧BLOGariの記事とコメントを中心に)

50歳を過ぎたあたりからわが国の歴史や文化に興味を覚えるようになり、調べたことをブログに書くようになりました。

高知からの帰路は讃岐うどん目当てに屋島と栗林公園へ~~四国旅行3日目

2010年06月03日 | 香川県歴史散策

松葉川温泉で朝食後、窪川あたりで大変お世話になった親戚と別れて、高松に向かう。 
予定では昼前に高松に着いて昼食はもちろん讃岐うどんだ。

讃岐うどんは有名な店が多すぎて行くところを迷ったが、昼頃に到着する計算になるのでどこに行っても混む時間帯に入ってしまう。駐車場のない店や狭い店舗は待ち時間がもったいないので、観光地に近くて駐車場の大きいうどん屋を選ぶしかない。高松の観光は初めてなので、まず屋島にいくこととして、屋島の近くで駐車場が大きくて評判の良さそうな店を旅行前にネットで検索して「わら屋」に行くことにした。

  「わら屋」は四国の古い民家を集めた「四国村」の門前にあり、「わら屋」の建物も、本棟は徳島県西祖谷山村から、東棟は香川県内から移築してきたかやぶき屋根の民家である。ここの駐車場は「四国村」の駐車場も兼ねているものの、200台近くのスペースがあることも安心感がある。



「わら屋」の入口は上の画像の通りで、このような雰囲気で讃岐うどんが楽しめるのが良い。有名な店だけあって、お遍路さんも何人も食事しておられた。

この店は釜揚げうどんが評判で、周りを見ると大きなたらいに10玉入った「家族うどん」にチャレンジしているグループが多かったが、こちらは家内と二人なので単品ずつの注文。いつも食事が運ばれてきたらブログ用に写真を撮るのだが、この時はうどんが来るなりすぐに食べだしてしまった。打ち立ての麺はコシがあって、だしも旨くてすんなり胃袋に収まった。

「わら屋」の食事の後は、屋島ドライブウェイを走って屋島寺に向かう。ドライブの途中で源平の古戦場が見渡せるところがある。



「屋島の戦い」で平家は、この入江の入口に軍船を停泊させて海上からの源氏の攻撃に備えたと伝えられるが、源義経は牟礼・高松の民家に火を放ち、大軍が来たかに見せかけ、浅瀬を渡って奇襲攻撃をしたとされる。
「平家物語」では平家は安徳天皇と建礼門院を奉じて、船で壇ノ浦に逃げて最後は二位の尼とともに入水することになるのだが、3月に旅行した祖谷には安徳天皇や平家が隠れ住んだとされる武家屋敷などがいくつも残されていることをこのブログにも書いた。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-68.html 

祖谷の伝説では屋島の戦いの後、平国盛一族は安徳天皇をお守りして、讃岐山脈を越え、阿波の国吉野川に出て南岸に渡り、祖谷に辿り着いたとされているが、安徳天皇については、祖谷以外でも四国や九州を中心に全国で20箇所ほどの伝承地がある。大阪にも能勢の来留見山の山頂に安徳天皇の陵墓があるそうだ。

源氏と平家の情報戦であるから、どれが真実か、どれが替え玉かはさっぱり分からない。鎌倉幕府が編纂した歴史書である「吾妻鏡」には、壇ノ浦の戦いについて安徳天皇のことは何も書かれておらず、通説は「平家物語」の内容をそのまま採用しているが、これは平家滅亡後数十年後にまとめられた「物語」にすぎず、真実も含まれるが創作が多いと考えてよい。

頂上の駐車場に車を止めて、四国霊場第84番札所の屋島寺に進む。 この寺は天平勝宝6年(754)に来日した鑑真が、大宰府から難波に向かう途中で屋島の山上に瑞光が見えたので船を止めて屋島の北嶺に登り、仏像や経典を納めて開基し、後に弟子の恵運律師が堂宇を整備して初代の住職になったとされる。



弘仁6年(815)にこの地を訪れた弘法大師は、嵯峨天皇の勅願により一夜のうちに本堂を建立し、十一面千手千眼観世音を刻んで本尊として安置したとされる。その後山岳仏教の霊場として栄えたが、戦乱で衰退し、歴代の藩主の尽力により修復され現在にいたっている。



写真の本堂は鎌倉時代末期に建立されたとされ、国の重要文化財に指定されている。また本尊は十一面千手観世音菩薩でこれも国の重要文化財だ。

屋島寺宝物館にも入ったが、ここには源平盛衰記絵巻物、屋島合戦屏風や平安時代の薬師如来坐像などが展示されていた。

屋島を抜けて、最後の観光地である栗林公園に向かう。
栗林公園はもともと当地の豪族であった佐藤氏によって元亀・天正の頃(1570年代)から築庭されたのにはじまると言われ、その後寛永年間(1625年頃)讃岐領主生駒高俊公によって、南湖一帯が造園され、寛永19年(1642)入封した松平頼重公に引き継がれ、以来5代100余年の間、歴代藩主が修築を重ねて延享2年(1745)に完成した回遊式庭園である。 
明治4年に高松藩が廃され、新政府の所有となり、明治8年に県立公園として一般公開され、現在にいたっている。

さすがに旅行3日目で疲れていたので、讃岐民芸館などの展示物は見ずに、60分モデルコースを早足で歩くこととした。
園内の広さは23万坪で、国の特別名勝に指定されている公園の中では最も広いそうだ。



松の緑濃い「紫雲山」を背景に、6つの池と築山を巧みに配しており、歩きながら少しずつ変化する景色を楽しむ事が出来る。高松市の中心部にあることを忘れ、美しい山と池と木々の緑を見るだけで充分に癒される時間だった。


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