NO60 常任理事ならびに関係各位へ
前代未聞の入学手続き者数にぬか喜びは危険、教学危機と財政不安定に拍車
2016年5月10日 元立命館総長理事長室室長・ジャーナリスト 鈴木元
目次
はじめにー「学費値上げ」提起を巡って
(1)「学費値上げ断念」を容認した長田理事長、森島専務
(2)前代未聞の入学手続き者数による臨時収入
(3)教学危機のさらなる進行と、財政不安定をもたらす危険。
(4)なぜこのような事が起こったのか、学内不団結の下で、激変する入試状況に対する分析の遅が生じ、過去の経験主義に基づく判断にとどまった。
はじめにー「学費値上げ」提起を巡って
昨年来、長田理事長や森島専務は学費値上げの提案を模索してきた。しかしその裏付けとなる財政実態について全学に説明できないままにずるずると延ばし、昨年10月に予定されていた公開全学協議会を12月に延期したが、それも開催できずに来た。その後、3月のスプリングレビューにおいてもまともな財政実態を報告できず、結局2016年どころか2017年度の募集要項の印刷にも間に合わず、2017年度の学費についても変更を提起できずに終わった。
学費を変更するには、その政策的判断の根拠、すなわち①他大学比較、②教育の質の保障、③ぎりぎりの努力をしているか、④家計所得の動向、等について検討しなければならない。しかしその前提として財政困難があること、その原因、ある場合にはその責任も明確にしなければ、学生や父母に負担の転嫁を負わせることはできない。
立命館の財政困難の理由は明確である。長田理事長、川口前総長、森島専務が①力量を超えた過剰投資、すなわち収入増を生まない既存学部である政策科学部や経営学部の茨木移転のために400億円を超える過剰な投資を行い、合わせて毎年30億円を超える維持管理・営繕・積立金が必要となった。立命館中高等学校の移転に際して財政自立を無視して、校舎建設費120億円を負担した。②一時金カット、慰労金支給基準倍加、足羽問題、茨木キャンパス問題等で、学内不団結を作り出し、今日における教育の質の維持・向上を困難にし、学部も大学院も定員を増やしながら実員では減少し、大手私学の中で最大の規模の中退者を生み学費収入が、R2020前半期だけで87億円も減った。実質100億円から200億円の赤字をだしながら2014年度の決算で2億円の黒字としたが、当初予定していなかった銀行から130億円も借り入れた等により赤字の先送りをしている。そのこともあいまって、いまだに2015年度の決算予測が提出されていない。
これらの事態を生み出した長田理事長や森島専務が責任も取らず、学生と父母には学費値上げ、教学条件を悪化させる教職員への合理化など認められるわけはない。私は、例え二人が責任を取って辞任したとしても、1年後にはさらに赤字が累積されたとしても、その原因について詳細に分析・総括し今後の教訓を引き出した上でなければ、学費値上げや合理化はできないと考えてきた。
(1)「学費値上げ断念」を容認した長田理事長、森島専務
1)財政実態と学費についての激しい議論を通じて、常任理事会において「総長まとめ」が確認決定された。
① 大学院修士課程の学費については引き下げる(一覧表は省略)。②学部生の学費は、2016年度に続き2017年度も現状を維持する。ただし物価が上がった場合は、従来、物価上昇率の0.5とされていたものを1.0とするとされた。③そして①と②の財源確保のために全学で2%の合理化を進める。
この判断・決定は極めて重いものである。学部生の学費は据え置いておいて、大学院生の学費は大幅に引き下げるのであるから、教学改善(研究費の増額を含めて)の資源の確保は難しく、2018年度には相当な大幅な値上げを実行しなければならないと推察された。
ところが吉田総長から提起された方針について、長田理事長や森島専務はあえて異を唱えず容認した。これには財務部メンバーも驚いた様子であった。
2)何故、長田理事長、森島専務は、値上げ回避を容認したのか
値上げを提起すれば、その根拠、そうした財政実態を作った責任問題が議論となり追及される危険があるので吉田総長提案に乗り、問題を引き延ばしたというのが第一の理由として考えられる。
しかし、その方法だと引き延ばしになる代わりに、後年度により大きな赤字が露呈し、より大きな学費値上げをせざるを得ないことなる。先の短い長田理事長はともかくとして、長く立命館に居直りたい森島専務としては、それも避けたい。そこに「まったく都合の良いこと」が起こった。
(2)前代未聞の入学者数による臨時収入
本年度の入学手続者が、驚くべきことに全学的に入学定員に対して10%近く多く入学させてしまった。すなわち入学定員7.114名に対して、入学手続者7896名(110.99%)とした。その後71名の辞退者が出たので最終手続き者は7825名(109.99%)となった(711名オーバー)。しかもたまたま1学部で間違ったのではない、文部科学省が定員管理を厳しくし打ち出した今の時期に、補助金全面停止基準(学則定員の1.07倍)を入学定員でオーバーした学部が文学部(112.38%)、経営学部(112.37%)、政策科学部(107.65%)、総合心理学部(113.57%)、経済学部(115.24%)、スポーツ健康学部(111.82%)理工学部(118.00%)、情報理工学部(108.41%)と14学部中、過半数を超える8学部が基準をオーバーしたのである。立命館だけではなく全国的にいくつもの大学で生じたならまだしも、大手10私大の中では前代未聞の事であり、文部科学省、他大学から「立命館の統治能力はいよいよここまできたか」と驚かれる事態となった。
教学や、将来の立命館のことなど考えない長田理事長や森島専務にとって、これは「まさに天祐」であった。その結果を知ってホクホクであった。711名の定員オーバーと言うことは、社系の大規模学部の入学者数に相当する数である。仮に平均110万円の学費としても年間8億円、4年間で32億円を超える臨時増収となった。彼らは「これで学費値上げをしなくてもすみ、かつ財政危機を逃れる」と思った。自分の事しか考えない彼らにとっては、これが立命館にとってどれほど重大なことであるかを思考することさえできない。
(3)教学危機のさらなる進行と財政不安定をもたらす危険。
1)教学危機のさらなる進行
定員をこれほどオーバーすれば、たださえ中退者が全国最大規模となっている立命館の教学危機が一層進行することは誰の目にも明らかである。教職員の増員を図らずクラス数の増加を行わなければならないだけではなく、実験実習が不可避である理工系では、その対応をどうするのか、「1年限りのために施設・設備の増加は難しい」という対応をするのか。
② 財政の不安定をもたらす危険
定員をオーバーすれば、その分だけ学費収入が増えるように見えるは近視眼的見方である。政府文部省は定員管理を厳しく行うことを決めており、1.0倍を超え、1.07倍までは増えた分の学生数に相当する補助金は出さないとしている。1人当たりの補助金は現在では約13万円程度になっている。それを貰わなくても110万円の学費収入は入る。しかしかつて非民主的で理事長独裁の多くの私学が、そのような定員オーバーを意図的に行っていた。それは定員をオーバーした学生数に比例して1人当たり13万円補助金を恒常的に支給されない教育しかできないのである。
さらに文部科学省は、1.07を超えた場合は、在学生全員に対して打ち切ることを決めている。また新学部、新学科の認可もしないとしている。そのため今回、1.07を超えた学部は、来年以降、よほどの厳しい定員管理をしなければならない。既にいくつかの教授会では定員割れの入学者にせざるを得ないのではないかとの議論も始まっている。いずれにしても1.18倍の理工学部や1.15倍の経済学部などは、遅くとも2020年度には「定員割れの入学者数とする」という措置を採らざるを得ない危険がある。「定員割れ」を起こせば「いよいよ立命館も定員割れか」と、その社会的評価を一気に下げる「危険」があるだろう。
なおここでは経常補助金だけについて記しているが、それ以外に各種特別補助金がある。立命館では経常補助金が60億円前後、特別補助金が30億円前後ある。多くの場合、経常補助金の減額措置やカットは特別補助金の減額やカットに連動している。そのことは生命科学部の特別転籍問題の時に実証されている
(4)なぜこのような事が起こったのか、学内不団結の下で、激変する入試状況に対する分析の遅が生じ、過去の経験主義に基づく判断にとどまった。
1)近年進行していた教学危機
定員に対して「何倍もの受験者」が居るだけであれば、定員通り合格発表をすればよい。しかし複数大学に合格した場合に他大学へ逃げていく者が多いほど、歩留まり率が悪くなるために定員に対して大幅増の合格者数を出さなければならない。①近年の立命館の教学危機の進行、②国民の実質賃金が低下している時に、他大学に比べて相対的に高くなっている学費の下で、近年急速に歩留まり率が低下し、かつ中退者が大幅に増えているために合格者発表を定員に対して大幅に増やさざるを得なかった。
2)学内不団結の進行の下、入試を巡る新しい状況に対する分析が遅れてきた。
文部科学省が定員管理を厳しくしようとするのに対して、実員の定員化という対応で臨もうとした。とりあえずの緊急措置として、やむをえずそのような措置を採ることによって従来の財政規模を維持しようとすることはありうる。しかし以前に私が指摘したように。それは「悪魔のささやきになる危険がある」ので本質的な議論の上で、今後の大学の在り方の検討開始を急がなければならないと指摘した。
すなわち全入時代の今日において、教育の質を守ろうとすれば、よほどの丁寧な教学的努力を学費値上げせず、さらには値下げしてでも行わなければならないし、定員削減も検討しなければならなくなっている。そうしたことも考慮し文部科学省は、まずは定員管理を厳格にするとしたのである。従って定員をオーバーしている実員を定員化することは、本来は一時しのぎのやむを得ない措置なのであり、より根本的には新しい大学運営について痛みを伴った改革が求められている。そうした改革を進めるためには、立命館を含めて日本の大学が直面している新しい困難に立ち向かう覚悟・努力が必要である。しかしこの間、身勝手な一時金カット、慰労金支給基準の倍加、収入増を伴わず新たな出費を作り出した茨木キャンパス建設による財政危機をもたらした長田理事長や森島専務にとっては、事態を直視することはできなかった。そして自らが責任を取ることを抜きに痛みを伴う改革など提起できない。私が既に指摘したように、無能で無責任な私学経営者が最も安易に行える方法は、学生数を水増しすることと、学費値上げである。そこで私は「実員を定員化した」後には、新定員をさらに水増ししようとする誘惑が起こる。それでも厳しい場合は値上げをするだろうと書いてきた。彼らにとっては定員の縮小や学費引き下げなど思いも及ばないことなのである。
① 厳格な入学手続き者数予測の弛緩
そうした安易な態度と、学内の不団結のために、かつて行われていた厳しい合格者発表の審査が安易に流れ、今回のような事態になった。さらに入学試験実施前後に、長田理事長や森島専務、川口前総長によって持ち込まれたANUとの新学部設置を巡って延々と非生産的な議論に明け暮れざるを得ず、近年の新しい入試環境と、立命館の教学危機も反映した歩留まり率などについて、突っ込んだ議論・検討が十分に行われず「過去の経験法則」に依存した実務的取組を進めたために起こった。
近年の10年間を取ってみても立命館で入学者数の読み違えで定員を大幅に超えてしまったのは生命科学部の創設の時だけである。新設学部であっただけではなく、関西で最初の生命科学部であったために併願者がどの程度歩留まりするかの判断が難しかったために起こった。しかし今回は、新設された総合心理学部だけではなく、既存学部も軒並み(8/14学部)に大幅超過した。
財政危機の進行の下、志願者が多少他大学より多かったことを長田理事長や森島専務等は「立命館の一人勝ち」と自画自賛していた。志願者が増えたことは必ずしも評価が上がった結果とは言えない、立命館のレベルが下がり合格者しやすい大学になったことも含まれており、また入試方法により受験者実数を反映していない場合もあり、志願者増については厳格な分析が必要であつた。いずれにして手続き者数の読み違えは「財政危機の進行」から「実員の学則定員化」も図った直後、「少々の定員オーバーもありうる」との雰囲気も起っていて、厳格な定員管理に対する弛緩状態も反映している側面もある。
合格者判定ならびに手続き者数判断は最終的には、それぞれの学部教授会に属することである。しかし変貌する入試状況のもと、立命館においては従来から、副総長を責任者、入学センターを事務局として、各学部の代表も参加して最新の状況を踏まえた総合的な判断を集団的に行ってきた。今回の事態、長田理事長や森島専務が意図的に指示して起こったことではないだろう。しかし彼らが作り出した学内状況が、入試を巡る新しい状況にたいして厳格に研究分析する遅れを生じさせたことによって起こったことである。担当副総長を含めて厳しい総括が求められている。担当事務局の首の据替だけで済ませる問題ではないだろう。
しかし長田理事長や森島専務は、その結果による財政余裕に喜び,今回の結果が生み出す、教学危機、財政的不安定に対して、学園の経営に責任を持つ者として、厳しい問題提起と方策を提起する真摯な態度を示さないという点で、失格である。ところで今回の事態、全学の教職員には事態の重大性のみならず、事実そのものが共有されていない。せいぜい当該学部教授会で自分の学部のことが報告され来年の対応について検討されている範囲であり、全学的な事実が共有されていない場合が大半である。部次長会議においても全学的な結果データーは配布されたが、事の重大性に対する真剣な論議・検討がされたとは言い難く、職場においてまともな討議が行われたところは例外である。そこに今回事態の重大性が認識されていない反映がある。
これらの推定並びに評価が「違う」というなら全学的に納得できる説明を行わなければならないだろう。今年取り過ぎたことから、来年も取り過ぎれば危ないという自己規制によって、来年度は大幅に減る危険もある。要するにこうしたやり方は財政に不安定をもたらす危険があるのである。原則は「定員通り取る」ということを厳格に貫く努力である。なお文部科学省は、定員を厳格に守ろうとしたために定員を割ってしまった大学(例えば97%)に対しては、定員と実員との差に相当する補助金を出すという方向を打ち出している。時代は変わっているのである。
今回のNO60は、取りあえず、今回の前代未聞の入学者数についての検討にとどめ、大学の在り方については、別途問題提起を行うことにする。
以上
鈴木元。元立命館総長理事長室室長、現在・日本ペンクラブ会員、日本ジャーナリスト協会会員、かもがわ出版取締役、国際環境整備機構理事長、京都高齢者大学校幹事。
著書に『立命館の再生を願って』『続・立命館の再生を願って』(いずれも風涛社)、『大学の国際協力』(文理閣)、『像とともに未来を守れ』(かもがわ出版)など多数。
前代未聞の入学手続き者数にぬか喜びは危険、教学危機と財政不安定に拍車
2016年5月10日 元立命館総長理事長室室長・ジャーナリスト 鈴木元
目次
はじめにー「学費値上げ」提起を巡って
(1)「学費値上げ断念」を容認した長田理事長、森島専務
(2)前代未聞の入学手続き者数による臨時収入
(3)教学危機のさらなる進行と、財政不安定をもたらす危険。
(4)なぜこのような事が起こったのか、学内不団結の下で、激変する入試状況に対する分析の遅が生じ、過去の経験主義に基づく判断にとどまった。
はじめにー「学費値上げ」提起を巡って
昨年来、長田理事長や森島専務は学費値上げの提案を模索してきた。しかしその裏付けとなる財政実態について全学に説明できないままにずるずると延ばし、昨年10月に予定されていた公開全学協議会を12月に延期したが、それも開催できずに来た。その後、3月のスプリングレビューにおいてもまともな財政実態を報告できず、結局2016年どころか2017年度の募集要項の印刷にも間に合わず、2017年度の学費についても変更を提起できずに終わった。
学費を変更するには、その政策的判断の根拠、すなわち①他大学比較、②教育の質の保障、③ぎりぎりの努力をしているか、④家計所得の動向、等について検討しなければならない。しかしその前提として財政困難があること、その原因、ある場合にはその責任も明確にしなければ、学生や父母に負担の転嫁を負わせることはできない。
立命館の財政困難の理由は明確である。長田理事長、川口前総長、森島専務が①力量を超えた過剰投資、すなわち収入増を生まない既存学部である政策科学部や経営学部の茨木移転のために400億円を超える過剰な投資を行い、合わせて毎年30億円を超える維持管理・営繕・積立金が必要となった。立命館中高等学校の移転に際して財政自立を無視して、校舎建設費120億円を負担した。②一時金カット、慰労金支給基準倍加、足羽問題、茨木キャンパス問題等で、学内不団結を作り出し、今日における教育の質の維持・向上を困難にし、学部も大学院も定員を増やしながら実員では減少し、大手私学の中で最大の規模の中退者を生み学費収入が、R2020前半期だけで87億円も減った。実質100億円から200億円の赤字をだしながら2014年度の決算で2億円の黒字としたが、当初予定していなかった銀行から130億円も借り入れた等により赤字の先送りをしている。そのこともあいまって、いまだに2015年度の決算予測が提出されていない。
これらの事態を生み出した長田理事長や森島専務が責任も取らず、学生と父母には学費値上げ、教学条件を悪化させる教職員への合理化など認められるわけはない。私は、例え二人が責任を取って辞任したとしても、1年後にはさらに赤字が累積されたとしても、その原因について詳細に分析・総括し今後の教訓を引き出した上でなければ、学費値上げや合理化はできないと考えてきた。
(1)「学費値上げ断念」を容認した長田理事長、森島専務
1)財政実態と学費についての激しい議論を通じて、常任理事会において「総長まとめ」が確認決定された。
① 大学院修士課程の学費については引き下げる(一覧表は省略)。②学部生の学費は、2016年度に続き2017年度も現状を維持する。ただし物価が上がった場合は、従来、物価上昇率の0.5とされていたものを1.0とするとされた。③そして①と②の財源確保のために全学で2%の合理化を進める。
この判断・決定は極めて重いものである。学部生の学費は据え置いておいて、大学院生の学費は大幅に引き下げるのであるから、教学改善(研究費の増額を含めて)の資源の確保は難しく、2018年度には相当な大幅な値上げを実行しなければならないと推察された。
ところが吉田総長から提起された方針について、長田理事長や森島専務はあえて異を唱えず容認した。これには財務部メンバーも驚いた様子であった。
2)何故、長田理事長、森島専務は、値上げ回避を容認したのか
値上げを提起すれば、その根拠、そうした財政実態を作った責任問題が議論となり追及される危険があるので吉田総長提案に乗り、問題を引き延ばしたというのが第一の理由として考えられる。
しかし、その方法だと引き延ばしになる代わりに、後年度により大きな赤字が露呈し、より大きな学費値上げをせざるを得ないことなる。先の短い長田理事長はともかくとして、長く立命館に居直りたい森島専務としては、それも避けたい。そこに「まったく都合の良いこと」が起こった。
(2)前代未聞の入学者数による臨時収入
本年度の入学手続者が、驚くべきことに全学的に入学定員に対して10%近く多く入学させてしまった。すなわち入学定員7.114名に対して、入学手続者7896名(110.99%)とした。その後71名の辞退者が出たので最終手続き者は7825名(109.99%)となった(711名オーバー)。しかもたまたま1学部で間違ったのではない、文部科学省が定員管理を厳しくし打ち出した今の時期に、補助金全面停止基準(学則定員の1.07倍)を入学定員でオーバーした学部が文学部(112.38%)、経営学部(112.37%)、政策科学部(107.65%)、総合心理学部(113.57%)、経済学部(115.24%)、スポーツ健康学部(111.82%)理工学部(118.00%)、情報理工学部(108.41%)と14学部中、過半数を超える8学部が基準をオーバーしたのである。立命館だけではなく全国的にいくつもの大学で生じたならまだしも、大手10私大の中では前代未聞の事であり、文部科学省、他大学から「立命館の統治能力はいよいよここまできたか」と驚かれる事態となった。
教学や、将来の立命館のことなど考えない長田理事長や森島専務にとって、これは「まさに天祐」であった。その結果を知ってホクホクであった。711名の定員オーバーと言うことは、社系の大規模学部の入学者数に相当する数である。仮に平均110万円の学費としても年間8億円、4年間で32億円を超える臨時増収となった。彼らは「これで学費値上げをしなくてもすみ、かつ財政危機を逃れる」と思った。自分の事しか考えない彼らにとっては、これが立命館にとってどれほど重大なことであるかを思考することさえできない。
(3)教学危機のさらなる進行と財政不安定をもたらす危険。
1)教学危機のさらなる進行
定員をこれほどオーバーすれば、たださえ中退者が全国最大規模となっている立命館の教学危機が一層進行することは誰の目にも明らかである。教職員の増員を図らずクラス数の増加を行わなければならないだけではなく、実験実習が不可避である理工系では、その対応をどうするのか、「1年限りのために施設・設備の増加は難しい」という対応をするのか。
② 財政の不安定をもたらす危険
定員をオーバーすれば、その分だけ学費収入が増えるように見えるは近視眼的見方である。政府文部省は定員管理を厳しく行うことを決めており、1.0倍を超え、1.07倍までは増えた分の学生数に相当する補助金は出さないとしている。1人当たりの補助金は現在では約13万円程度になっている。それを貰わなくても110万円の学費収入は入る。しかしかつて非民主的で理事長独裁の多くの私学が、そのような定員オーバーを意図的に行っていた。それは定員をオーバーした学生数に比例して1人当たり13万円補助金を恒常的に支給されない教育しかできないのである。
さらに文部科学省は、1.07を超えた場合は、在学生全員に対して打ち切ることを決めている。また新学部、新学科の認可もしないとしている。そのため今回、1.07を超えた学部は、来年以降、よほどの厳しい定員管理をしなければならない。既にいくつかの教授会では定員割れの入学者にせざるを得ないのではないかとの議論も始まっている。いずれにしても1.18倍の理工学部や1.15倍の経済学部などは、遅くとも2020年度には「定員割れの入学者数とする」という措置を採らざるを得ない危険がある。「定員割れ」を起こせば「いよいよ立命館も定員割れか」と、その社会的評価を一気に下げる「危険」があるだろう。
なおここでは経常補助金だけについて記しているが、それ以外に各種特別補助金がある。立命館では経常補助金が60億円前後、特別補助金が30億円前後ある。多くの場合、経常補助金の減額措置やカットは特別補助金の減額やカットに連動している。そのことは生命科学部の特別転籍問題の時に実証されている
(4)なぜこのような事が起こったのか、学内不団結の下で、激変する入試状況に対する分析の遅が生じ、過去の経験主義に基づく判断にとどまった。
1)近年進行していた教学危機
定員に対して「何倍もの受験者」が居るだけであれば、定員通り合格発表をすればよい。しかし複数大学に合格した場合に他大学へ逃げていく者が多いほど、歩留まり率が悪くなるために定員に対して大幅増の合格者数を出さなければならない。①近年の立命館の教学危機の進行、②国民の実質賃金が低下している時に、他大学に比べて相対的に高くなっている学費の下で、近年急速に歩留まり率が低下し、かつ中退者が大幅に増えているために合格者発表を定員に対して大幅に増やさざるを得なかった。
2)学内不団結の進行の下、入試を巡る新しい状況に対する分析が遅れてきた。
文部科学省が定員管理を厳しくしようとするのに対して、実員の定員化という対応で臨もうとした。とりあえずの緊急措置として、やむをえずそのような措置を採ることによって従来の財政規模を維持しようとすることはありうる。しかし以前に私が指摘したように。それは「悪魔のささやきになる危険がある」ので本質的な議論の上で、今後の大学の在り方の検討開始を急がなければならないと指摘した。
すなわち全入時代の今日において、教育の質を守ろうとすれば、よほどの丁寧な教学的努力を学費値上げせず、さらには値下げしてでも行わなければならないし、定員削減も検討しなければならなくなっている。そうしたことも考慮し文部科学省は、まずは定員管理を厳格にするとしたのである。従って定員をオーバーしている実員を定員化することは、本来は一時しのぎのやむを得ない措置なのであり、より根本的には新しい大学運営について痛みを伴った改革が求められている。そうした改革を進めるためには、立命館を含めて日本の大学が直面している新しい困難に立ち向かう覚悟・努力が必要である。しかしこの間、身勝手な一時金カット、慰労金支給基準の倍加、収入増を伴わず新たな出費を作り出した茨木キャンパス建設による財政危機をもたらした長田理事長や森島専務にとっては、事態を直視することはできなかった。そして自らが責任を取ることを抜きに痛みを伴う改革など提起できない。私が既に指摘したように、無能で無責任な私学経営者が最も安易に行える方法は、学生数を水増しすることと、学費値上げである。そこで私は「実員を定員化した」後には、新定員をさらに水増ししようとする誘惑が起こる。それでも厳しい場合は値上げをするだろうと書いてきた。彼らにとっては定員の縮小や学費引き下げなど思いも及ばないことなのである。
① 厳格な入学手続き者数予測の弛緩
そうした安易な態度と、学内の不団結のために、かつて行われていた厳しい合格者発表の審査が安易に流れ、今回のような事態になった。さらに入学試験実施前後に、長田理事長や森島専務、川口前総長によって持ち込まれたANUとの新学部設置を巡って延々と非生産的な議論に明け暮れざるを得ず、近年の新しい入試環境と、立命館の教学危機も反映した歩留まり率などについて、突っ込んだ議論・検討が十分に行われず「過去の経験法則」に依存した実務的取組を進めたために起こった。
近年の10年間を取ってみても立命館で入学者数の読み違えで定員を大幅に超えてしまったのは生命科学部の創設の時だけである。新設学部であっただけではなく、関西で最初の生命科学部であったために併願者がどの程度歩留まりするかの判断が難しかったために起こった。しかし今回は、新設された総合心理学部だけではなく、既存学部も軒並み(8/14学部)に大幅超過した。
財政危機の進行の下、志願者が多少他大学より多かったことを長田理事長や森島専務等は「立命館の一人勝ち」と自画自賛していた。志願者が増えたことは必ずしも評価が上がった結果とは言えない、立命館のレベルが下がり合格者しやすい大学になったことも含まれており、また入試方法により受験者実数を反映していない場合もあり、志願者増については厳格な分析が必要であつた。いずれにして手続き者数の読み違えは「財政危機の進行」から「実員の学則定員化」も図った直後、「少々の定員オーバーもありうる」との雰囲気も起っていて、厳格な定員管理に対する弛緩状態も反映している側面もある。
合格者判定ならびに手続き者数判断は最終的には、それぞれの学部教授会に属することである。しかし変貌する入試状況のもと、立命館においては従来から、副総長を責任者、入学センターを事務局として、各学部の代表も参加して最新の状況を踏まえた総合的な判断を集団的に行ってきた。今回の事態、長田理事長や森島専務が意図的に指示して起こったことではないだろう。しかし彼らが作り出した学内状況が、入試を巡る新しい状況にたいして厳格に研究分析する遅れを生じさせたことによって起こったことである。担当副総長を含めて厳しい総括が求められている。担当事務局の首の据替だけで済ませる問題ではないだろう。
しかし長田理事長や森島専務は、その結果による財政余裕に喜び,今回の結果が生み出す、教学危機、財政的不安定に対して、学園の経営に責任を持つ者として、厳しい問題提起と方策を提起する真摯な態度を示さないという点で、失格である。ところで今回の事態、全学の教職員には事態の重大性のみならず、事実そのものが共有されていない。せいぜい当該学部教授会で自分の学部のことが報告され来年の対応について検討されている範囲であり、全学的な事実が共有されていない場合が大半である。部次長会議においても全学的な結果データーは配布されたが、事の重大性に対する真剣な論議・検討がされたとは言い難く、職場においてまともな討議が行われたところは例外である。そこに今回事態の重大性が認識されていない反映がある。
これらの推定並びに評価が「違う」というなら全学的に納得できる説明を行わなければならないだろう。今年取り過ぎたことから、来年も取り過ぎれば危ないという自己規制によって、来年度は大幅に減る危険もある。要するにこうしたやり方は財政に不安定をもたらす危険があるのである。原則は「定員通り取る」ということを厳格に貫く努力である。なお文部科学省は、定員を厳格に守ろうとしたために定員を割ってしまった大学(例えば97%)に対しては、定員と実員との差に相当する補助金を出すという方向を打ち出している。時代は変わっているのである。
今回のNO60は、取りあえず、今回の前代未聞の入学者数についての検討にとどめ、大学の在り方については、別途問題提起を行うことにする。
以上
鈴木元。元立命館総長理事長室室長、現在・日本ペンクラブ会員、日本ジャーナリスト協会会員、かもがわ出版取締役、国際環境整備機構理事長、京都高齢者大学校幹事。
著書に『立命館の再生を願って』『続・立命館の再生を願って』(いずれも風涛社)、『大学の国際協力』(文理閣)、『像とともに未来を守れ』(かもがわ出版)など多数。