補遺版NO.10 常任理事並びに関係各位へ
足羽問題(特別手当請求訴訟)での「和解」とかかわって
和解することと、「退職金の分割払い論」を認めること、「和解金を大学(学費で)が支払う」ことを了承すること、この問題での責任をあいまいにすることは別の事である
2012年6月24日(29日一部修正・加筆) 元総長理事長室室長 鈴木元
目次
はじめに
(1) 辻褄合わせで、二転三転してきた支払い理由
(2)「和解」を巡っての責任逃れ、立命館財政(学費で)の支出を許してはなら
ない
(3)立命館は足羽慶保による遺産相続隠し、相続税逃れ、学歴詐称に手を貸
した疑いがあり、厳格な調査が必要である。
はじめに
6月20日、「理事のみ議題」として、足羽問題(特別手当請求訴訟)について「裁判所から『和解』勧告があり、『和解』を受け入れることで進めたい」と報告されたそうである。
「和解」の件に関しては、3月8日、4月19日に裁判所において非公開の当事者協議がすすめられていたことから、私も「和解の話を進めているのではないか」と推察していた。しかし、どういう「和解」をするのかが問題であると考えていた。
問題が発覚した当初(2010年1月)から私は長田理事長などに①足羽氏への支払いは違法であるから直ちにやめるべきである②しかし、支払いを約束した「公正証書」があるので、一定の違約金を支払ってでも和解すべきであると進言していた。
したがって「和解」そのものについては、遅きに期したとは言え、当然のことであると考える。しかし「退職金の分割払いであり違法ではなかった」とか「大学(法人)のお金を使って和解金を支払う」とか「前理事長であった川本氏の責任を追及したり、誰それの責任問題にしたりしない」などは到底認めてはならないと考える。
なぜならこの問題の経過、処理の仕方に、前理事長であった川本八郎氏、長田豊臣理事長、担当の森島朋三総務担当常務理事等の、法律などの社会的規範、立命館の機関運営、道義の尊重などに対する逸脱が現れているからである。
以下、(1)簡潔に事件の経緯と問題(2)「和解」を巡る問題(3)新たに明らかになりつつある疑惑について論述する。
(1)辻褄合わせで、二転三転してきた支払い理由
2009年年末「勤務実態の無い高齢の女性に月当たり50万円、一時金を含めて年間900万円を超える手当が支払われているのは何故か」との疑問の声が出された。
その後の調査で、1995年、立命館が札幌市にあった慶祥学園との合併にあたって、当時の慶祥学園の理事長・校長であった足羽慶保氏(以下、足羽氏)を合併後の立命館慶祥高校の校長として処遇したが、理事会にもはかられていない密約として、足羽氏亡き後はその夫人である足羽史衣氏に月50万円の特別手当と教職員と同様の一時金を支給するとの「覚書」「公正証書」が作成され、それに基づいて支払われていたことが判明した。
当時、私は長田理事長ならびに久岡康成常勤監事に対して、相当な時間を取って「非営利法人である私立学校が、合併に伴い特定の人に対して便宜を提供することは私立学校法に違反する行為である。直ちにやめる必要がある」との意見を述べた。同時に「常任理事会に諮られていない密約である『覚書』だけではなく、支払いを約束した『公正証書』が作られている以上、何らかの違約金を支払ってでも解決すべきでしょう」と進言した。
ところが2007年3月に総務担当常務理事に就任していた森島朋三氏は、この時点でも2010年3月までの3年間、違法であることを知りながら支払ってはならない3000万円を、疑問を提起した担当者に支払い命令を行い支払っていた。そのために全学にその事実が知れ渡ることになった。その責任を取ることを恐れ、2010年3月末の常任理事会において「問題にする人がいますが、なんら問題はありません。今後も支払います」発言し支払ってきた。
しかしその後、文部科学省から2010年5月と2011年2月の2度にわたって「直ちにやめなさい」との指導が行われ2011年2月25日の理事会において「今後は支払わない」との決定が行われた。
これに対して足羽史衣から「債権存在確認」訴訟が起こされ、現在裁判となり係争となったのである(京都地裁 事件番号 23年ワ1938号)。私の記述に「本当だろうか」と不安を持ち追及できない方は裁判所に行き、立命館側、足羽氏側が提出している資料をきちんと閲覧されることをお願いする。
立命館は慶祥学園との合併とかかわって、1995年3月末の足羽氏の慶祥学園退職に際して2000万円の退職金を支払っている。それに付け加えて理事会に諮っていない密約である「覚書」ならびに「公正証書」に基づいて、足羽氏ならびに足羽史衣氏にたいして特別手当として1億5000万円を支払い、この間足羽夫婦に対して合計1億7000万円を超える金額を支給してきた。
この支給問題が明るみになった2010年3月時点で、中京税務署から立命館に対して、足羽史衣氏への従来の特別手当が労働実態のない給与支払いであると認定通告された。源泉徴収は適用できないので、足羽史衣氏に対して過去5年(時効期間)に遡り、雑収入として確定申告をし直すことを命じた。そしてその期間の源泉徴収と確定申告の差額320万円を支払う命令を行った。
森島常務は常任理事会に諮らず、立命館から足羽史衣に対して、その差額320万円を支払った。立命館は支払ってはならない1億5000万円を支払い、その上に税金の差額を支払ったのである。これも違法行為であることは明白である。
ところが裁判が始まるや、2011年10月26日に立命館が提出した準備書面(1)において「支払いは、私立学校の目的外であり支払わない」とした。しかしそれでは、それまで1億5000万円を超える金額を支払っていた責任が問われるので、急遽論点を変更し2012年1月12日に提出した準備書面(2)において何の根拠もなく「支払いは退職金の分割払いであった。しかし当初想定した合計1億7000万円を超えたので、今後は支払わない」とした。
実は、2011年2月25日の常任理事会での「支払を打ち切り」決定を受けての、3月8日付の足羽史衣宛の文書において、長田理事長は「貴台への支払いは、学校法人の目的の範囲外であり、許されざる支払いであるとの結論にいたりしました」としていた。この時点で、長田理事長ならびに担当の森島常務は2010年3月の理事会以来、「何ら問題はありません」と発言し支払い続けたことが、違法行為であったことを認めた上に、特別手当に基づき源泉徴収扱いをし、足羽氏の税金逃れのほう助をしていたことになる。
1995年の立命館と慶祥学園の合併時、足羽氏は2000万円の退職金を受け取っている。なお密約の「覚書」でも「これ以外に退職金は支払わない」としていた。
ところがその後、95年当時の財務課長が公認会計士と相談した際に、「足羽氏は53年間、理事長を務めていたのであるから、一般企業の責任者と同様に1億7000万円程度支払われるのが妥当である」との見解をその公認会計士が述べていたとする非公式のメモがあったことを持ち出した。
何年間理事長を行っていたかではない、当時の慶祥学園は大幅に定員割れ(在籍608名/定員1059名)を起こし、大半の教員を非常勤講師に依存せざるを得ない学園であった。その学園の理事長を退任するにあたっては2000万円の退職金でも十分であった。しかも当時の理事会にも提出されていない非公式のメモを根拠に今頃になって「退職金として1億7000万円を支払うことが妥当であり、既に2000万円の退職金は支払っている、残り1億5000万円の退職金は分割払いであった」「その金額を1995年以来2011年3月までの支払いで既に支払った。したがってこれ以上の支払いは、特定人に対する利益供与になるので支払えない」としたのである。
問題が明らかになったわずかこの2年間の間に、立命館から足羽史衣への支払いは「特別手当」から「雑費(謝礼)」そして「退職金の分割払い」と3度変更したのである。
それでは前回、税務署の指摘を受け、特別手当から雑費とし、源泉徴収から確定申告に変更し、その税差額320万円を支払ったことは、どう説明するのか。そして当然のことであるが、雑費収入による確定申告の税率と退職金の税率は異なるが、これはどうするのか。一言も説明がない。
(2)「和解」を巡っての責任逃れ、立命館財政の支出を許してはならない
現在、立命館の常任理事会において、長田理事長、川口総長ならびに森島常務は「和解」を進めたいとの提案を行っている。そして事実、6月14日に開催された法廷は非公開の当事者のラウンドテーブルとして開催された。森島常務らによると、それを受けて6月25日に裁判所から和解案が提案される予定となっているとのことである。
遅きに期したとは言え、「和解」は当然だろう。このような問題で何年も裁判で争うことは適切でない。
それでは今までの支払いはどのようものであったのかを説明する必要がある。また税務署との関係はどうするのか。源泉徴収から確定申告に変更しているのである。「退職金であった」のであれば、当然、立命館が足羽史衣に差額支払いした320万円の返還を求めなければならない
そして和解金はどこから出すのか。文部科学省から「支払ってはならないもの」として指導を受けて取りやめたものの「和解金」を法人のお金を使って支払うことはできない。常識的にはこの問題にかかわってきた長田理事長、森島常務理事、川本前理事長等が応分の負担をして支払はなければならない。しかし学園財政を私物化することはあっても、この間の判断ミスや虚偽の説明による二転三転する混乱を起こしてきた長田氏や森島氏が責任を持って支払いを行う意志を示していない。
そこで考え出したのが古い非公式のメモを持ち出した「退職金の分割払い論」であり、裁判所が「和解」を斡旋することによって文部科学省に対しても「退職金の分割払いでした」と説明し、その了解の下に学園財政で和解金を支払おうとしている。森島常務は既に文部科学省を訪ね、財務課長メモや川本・足羽会談メモなどをだし「退職金の分割払いであった」と説明し、この件は「文部科学省に報告・了承済みである」と語っている。
しかし当時の財務課長メモなるものを根拠に退職金の分割払いであったと強弁するなら、まず第1に、1億7000万円もの退職金額の妥当性を証明しなければならない。そして第2に、何よりも重要なことは、立命館においてそのような額の退職金を支払う退職金規定は存在しないし、当時の理事会においても、そのような額を支払うことを、川本前理事長や長田理事長(総長)の慰労金のように個別決議も行われていない。どの規定、どの決議を根拠に「1億7000万円の退職金支払い」を正当化できるのか、全学に説明が求められる。
長田理事長や森島常務は「当時の理事会において足羽氏夫婦に対してしかるべき処遇を行うことが確認されていた」として支払いを合理化しようとしてきた。しかし「しかるべき処遇を行う」確認と「生涯、月50万円プラス教職員と同様の一時金を支払う」ことは全く別の事である。だからこそ当時の川本専務(当時)も「覚書」を用意しながらも、理事会に提出できなかったのである。ましてや退職金の2000万円を一時払いし、それにプラス1億5000万円を分割払いするなどを、「しかるべき処遇を行う」という確認で合理化できるものではない。
課長メモや、「分割払いにしよう」とした川本、足羽会談メモは、あくまでも非公式会談の事前折衝メモであり、支払いを根拠づける規定でも理事会決議でもない。そのような非公式会談におけるメモを根拠に、川本専務(当時)は理事会にも諮らず「覚書」を作成した。
合併は理事会で議決されたが「覚書」は議決されていないことを知った足羽氏からの要求で「公正証書」(慶祥学園理事長・足羽慶保、立命館専務理事・川本八郎)が作成された。そして足羽氏が亡くなった1996年、この覚書と公正証書に基づき、川本理事長は、再び理事会に諮らず、総務部・財務部に稟議書をかかせ、川本理事長が決裁し、足羽史衣に特別手当の支給が開始されたのである。これら一連の川本氏の行為は「背任行為」の疑いが極めて強い行為である。
この間の経緯に直接かかわった人物で現在在職しているのは、当時財務次長であった高橋英幸現財務担当常務理事である。彼は財務畑を歩んできた人間として、この支払いが私学法に違反する行為であり、理事会にも諮らずこのようなことを行うことは立命館の学園運営を逸脱する行為であるこことを知りながら、川本専務・理事長に諫言し止めなかった。それどころか「公正証書」を足羽家に届けたのも、支払いの稟議書策定にかかわったのも高橋英幸氏である。
川本氏が専務理事時代に職員として定年退職を迎えるに当たって、専務固有の定年退職金支払い規定はなく、職員退職金規定に基づくと3千数百万円であった。にもかかわらず、川本氏が部下に稟議書を上げさせ自らの決済で当時の非常勤理事長の同意(決済)で、倍額の7千数百万円の退職金を受け取っている。この件は当時の理事会の議決を経ず、稟議書の決済のみで行われたので極一部の者しか知らなかった。私も立命館退職後にこの事実を知った。高橋氏は財務部次長としてこの件にもかかわっている。
高橋財務担当常務理事は「覚書」「公正証書」「稟議書」「川本氏の職員退職時退職金」について常任理事会において説明する責任がある。また川本八郎氏、長田豊臣氏、森島朋三氏の足羽問題での背任行為の疑いが裁判で争われる場合、高橋常務理事は当事者として裁判所で証言する義務がある。
今になって「退職金の分割払いであった」とすることは金額的にも手続き的にも無理である。すべて責任逃れの森島常務流の後からの作文である。このようなことを現在の理事会が承認してはならない。ましてや学生・院生の学費を全学で真摯に討議し、確認された全学協議会を実践する初年度に、このような汚点を歴史に刻んではならない。
「和解金」の支払いは、支払ってはならないものを支払ってきた川本前理事長、長田理事長、森島常務等が関わり合い応じて負担して支払うべきである。
ここまでの文章は「和解」の動きを前提にして書いている。「はじめに」記したように、3月以来、3月8日、4月19日6月14日と非公開の当事者協議が開催されているので私は「和解の動きではないか」と推察していた。ところが6月26日の法廷を前に念のために裁判所に電話し「26日の法廷は公開ですか、非公開ですか」と質問したところ「非公開の当事者協議です」との答えが返ってきた。
「6月26日に和解案が出る」というのはまたしても森島常務の作り話しであった。しかも6月23日の理事会議において提出された要回収の「足羽問題の報告ペーパー」に対して森島常務は「裁判所が『退職金の分活払いであったとの認識の上で和解を斡旋している』との旨を入れていただければありがたい。」「行政は司法の判断を尊重せざるを得ないと思いますので」との趣旨のことを語ったそうである。
私は「6月26日の法廷」までの公開された法廷にはすべて参加してきたし、提出されたすべての文書に目を通してきたが、裁判所が「退職金の分割払いであったとの」認識を示したことなど一度もない。そもそも裁判中に裁判官が当該事件に対していかなる見解・判断も示すわけではない。また6月26日にも和解案なるものは提案されていない。森島常務のこの言動は学内を欺くだけではなく、文部科学省をも欺こうとするものである。
なお、足羽側の弁護士が提出した準備書面によると「『覚書』ならびに『公正証書』で約束されたのは、足羽氏の死後、生涯、月50万円の定額の支払いが約束されたのである」「退職金の額が1億7000万円が妥当など、どこでも確認されていない」「1億5000万円という額は『覚書』には鉛筆書きの「1.5億」というメモ数字が書き込まれているだけである。また1億7000万円と言う数字は非公式の課長メモ書きたけである。そのようなものを根拠に「1億5000万円は退職金の分割払いであった」などは成り立たないと反論している。また「もしも被告が原告に対して債権を支払わなければ、支払うことを決定した理事等にたいして損賠賠償訴訟を起こすと記している。
私は、以前にこの問題を論じた時に、この事件には三つの節があったと記した。一つは1995年当時の川本専務によって密約の「覚書」と「公正証書」が作られたとき。第二は足羽氏がなくなった1996年に川本理事長が総務・財務部に稟議書を書かせ、足羽史衣氏にたいしての支払いを開始した時。そして第三が2010年3月の理事会において支払いを追認決定した時である。一と二だけであれば川本氏の個人的背任行為である。しかし2010年3月では理事会決定としている。これは私学法を逸脱する決定であると同時に、主として長田理事長ならびに担当の森島常務の責任であるが、参加し決定した理事にも責任の一端はある。だからこそ再び、理事の皆さんが「和解金」を法人のお金を出して支払うなどに賛成するなどしてはならないのである。
(2)立命館は足羽慶保による相続遺産隠し、相続税逃れ、学歴詐称に手を貸した疑いがあり、厳格な調査が必要である。
それでは2000万円の退職金に付け加えて、この間、二転三転し説明不能の1億5000万円ものお金が支払われてきたのは何故なのか。足羽氏は学校の合併だけではなく、自宅(当時、時価1億5000万円程度と言われていた)などを立命館に寄付している。しばらくセミナーハウスとして使われていた。
足羽氏には先妻の子供(女性A)がいたので、彼が亡くなればA氏は遺産相続の対象者であった。足羽氏は自宅を立命館に寄付することによって、相続遺産が無くなり、合わせて売却税ならびに相続税を支払わなくて済んだ。この間の1億5000万円支払い措置は、足羽氏が亡くなった後、立命館(川本八郎専務理事・当時)がこの「寄付された1億5000万円」を根拠に妻の足羽史衣を生涯面倒看る約束として行われた疑いが強い。
自宅(1億5000万円)は売却しておけばよかったのである。しかそれでは売却に伴う税金を納めなければならない。またそのお金は足羽氏の死去後、遺産相続の対象となりA氏にも支払われることになる。それを避ける為に足羽氏は川本氏に持ちかけたものと推察される。したがつて川本氏もそうした事情と申し入れの趣旨を了解して措置した疑いがある。
「そうではない」と言うなら川本氏は説明する義務がある。今になって「退職金の分割払いであった」と説明するなら、最初から常任理事会にそのように提案すべきであったがしなかった。常任理事会にも諮らず密約で足羽氏死去後足羽史衣に月50万円プラス教職員と同様の一時金を支払うとの約束を行っていたのである。つまり先妻の子供(女性A)の相続権を奪い、現妻の相続税を逃れる為に、自宅を一旦、立命館に寄付し、労働実態のない給与(特別手当)として返還させる手法である。
ところでその前提として足羽氏と川本氏の間にそれ以前の関係がある。
戦後の立命館の基礎を築いた末川総長時代に「立命館の経済学部出身」と称して足羽慶保氏から立命館への多額の寄付申し入れがあった。しかし調査してみると足羽氏は立命館を卒業していないどころか、在籍した記録も不明確であった。末川総長は学内理事会に諮り「そのような人物から寄付を受け取るわけにはいかない」との合意の上で断った。
ところが川本氏が専務理事の時に第三次長期計画を推進するにあたって寄付を募集したところ、足羽氏から多額の寄付申し入れがあった。川本氏は、それを受け入れると同時に、卒業どころか、在籍した事実さへ証明できない足羽氏を校友会員にした。例外扱いとして、卒業していなくても2年以上在籍して中退した者に対しては本人が希望すれば校友会会員としていたが、足羽氏には在籍したことすら証明するものはなかった。
1995年に慶祥学園と立命館の合併にあたって足羽氏は立命館の理事となっている。この時、足羽氏の立命館の卒業ならびに在籍の有無について調査したが、どの学部にも在籍した事実を確認することができなかった。立命館が文部科学省に提出した理事名簿の足羽氏の経歴は立命館大学経済学部卒業として登録されている可能性がある。もしそう届けていれば、立命館は足羽氏の経歴詐称に加担したことになる。
2012年6月28日現在、インターネットのヤフーで〝足羽慶保〟を検索すると、立命館慶祥中・高等学校が出てくるが、そこをクリックすると「足羽慶保(1933年立命館大学経済学部卒業)が1935年に札幌高等経理学校を創設・・」と出てくる。1995年に立命館慶祥中・高等学校になって以降に書かれ今日(2012年)まで掲載されているものであるから、立命館が認知・了承していることは間違いない。なお1933年には経済学部は存在しない。法学部経済学科である。
これら一連のことは、足羽問題発覚以降の調査によって長田理事長、森島常務は掌握しているはずである。
末川総長時代の学内理事会議決記録は破棄できても、卒業・在籍を証明する単位取得成績証明書は破棄できない。無ければ卒業・在籍していないことになる。私が提起している疑いを晴らすためには長田理事長、森島常務は、1995年の合併時に文部科学省に提出した経歴書付の理事名簿、ならびに足羽氏の卒業ならびに在籍を証明する単位取得成績証明書を常任理事会に提出する義務がある。
最後に
川本前理事長は、常任理事会にも諮らず足羽慶保氏との密約で、覚書、公正証書を作成し、支払ってはならないお金の支払いを開始した。長田理事長ならびに総務担当の森島常務は、「法律違反でありやめるべきである」との進言にも拘わらず支払の継続を行ってきた。 しかし長田理事長は自ら2011年3月8日付の足羽史衣宛の文書において「貴台への支払いは、学校法人の目的の範囲外であり、許されざる行為であるとの結論にいたりました」と通告した。この自らの言明に即し、長田理事長は、自らを含む川本前理事長、森島常務の3名に厳正な処分を行わなければならない。
以上
足羽問題(特別手当請求訴訟)での「和解」とかかわって
和解することと、「退職金の分割払い論」を認めること、「和解金を大学(学費で)が支払う」ことを了承すること、この問題での責任をあいまいにすることは別の事である
2012年6月24日(29日一部修正・加筆) 元総長理事長室室長 鈴木元
目次
はじめに
(1) 辻褄合わせで、二転三転してきた支払い理由
(2)「和解」を巡っての責任逃れ、立命館財政(学費で)の支出を許してはなら
ない
(3)立命館は足羽慶保による遺産相続隠し、相続税逃れ、学歴詐称に手を貸
した疑いがあり、厳格な調査が必要である。
はじめに
6月20日、「理事のみ議題」として、足羽問題(特別手当請求訴訟)について「裁判所から『和解』勧告があり、『和解』を受け入れることで進めたい」と報告されたそうである。
「和解」の件に関しては、3月8日、4月19日に裁判所において非公開の当事者協議がすすめられていたことから、私も「和解の話を進めているのではないか」と推察していた。しかし、どういう「和解」をするのかが問題であると考えていた。
問題が発覚した当初(2010年1月)から私は長田理事長などに①足羽氏への支払いは違法であるから直ちにやめるべきである②しかし、支払いを約束した「公正証書」があるので、一定の違約金を支払ってでも和解すべきであると進言していた。
したがって「和解」そのものについては、遅きに期したとは言え、当然のことであると考える。しかし「退職金の分割払いであり違法ではなかった」とか「大学(法人)のお金を使って和解金を支払う」とか「前理事長であった川本氏の責任を追及したり、誰それの責任問題にしたりしない」などは到底認めてはならないと考える。
なぜならこの問題の経過、処理の仕方に、前理事長であった川本八郎氏、長田豊臣理事長、担当の森島朋三総務担当常務理事等の、法律などの社会的規範、立命館の機関運営、道義の尊重などに対する逸脱が現れているからである。
以下、(1)簡潔に事件の経緯と問題(2)「和解」を巡る問題(3)新たに明らかになりつつある疑惑について論述する。
(1)辻褄合わせで、二転三転してきた支払い理由
2009年年末「勤務実態の無い高齢の女性に月当たり50万円、一時金を含めて年間900万円を超える手当が支払われているのは何故か」との疑問の声が出された。
その後の調査で、1995年、立命館が札幌市にあった慶祥学園との合併にあたって、当時の慶祥学園の理事長・校長であった足羽慶保氏(以下、足羽氏)を合併後の立命館慶祥高校の校長として処遇したが、理事会にもはかられていない密約として、足羽氏亡き後はその夫人である足羽史衣氏に月50万円の特別手当と教職員と同様の一時金を支給するとの「覚書」「公正証書」が作成され、それに基づいて支払われていたことが判明した。
当時、私は長田理事長ならびに久岡康成常勤監事に対して、相当な時間を取って「非営利法人である私立学校が、合併に伴い特定の人に対して便宜を提供することは私立学校法に違反する行為である。直ちにやめる必要がある」との意見を述べた。同時に「常任理事会に諮られていない密約である『覚書』だけではなく、支払いを約束した『公正証書』が作られている以上、何らかの違約金を支払ってでも解決すべきでしょう」と進言した。
ところが2007年3月に総務担当常務理事に就任していた森島朋三氏は、この時点でも2010年3月までの3年間、違法であることを知りながら支払ってはならない3000万円を、疑問を提起した担当者に支払い命令を行い支払っていた。そのために全学にその事実が知れ渡ることになった。その責任を取ることを恐れ、2010年3月末の常任理事会において「問題にする人がいますが、なんら問題はありません。今後も支払います」発言し支払ってきた。
しかしその後、文部科学省から2010年5月と2011年2月の2度にわたって「直ちにやめなさい」との指導が行われ2011年2月25日の理事会において「今後は支払わない」との決定が行われた。
これに対して足羽史衣から「債権存在確認」訴訟が起こされ、現在裁判となり係争となったのである(京都地裁 事件番号 23年ワ1938号)。私の記述に「本当だろうか」と不安を持ち追及できない方は裁判所に行き、立命館側、足羽氏側が提出している資料をきちんと閲覧されることをお願いする。
立命館は慶祥学園との合併とかかわって、1995年3月末の足羽氏の慶祥学園退職に際して2000万円の退職金を支払っている。それに付け加えて理事会に諮っていない密約である「覚書」ならびに「公正証書」に基づいて、足羽氏ならびに足羽史衣氏にたいして特別手当として1億5000万円を支払い、この間足羽夫婦に対して合計1億7000万円を超える金額を支給してきた。
この支給問題が明るみになった2010年3月時点で、中京税務署から立命館に対して、足羽史衣氏への従来の特別手当が労働実態のない給与支払いであると認定通告された。源泉徴収は適用できないので、足羽史衣氏に対して過去5年(時効期間)に遡り、雑収入として確定申告をし直すことを命じた。そしてその期間の源泉徴収と確定申告の差額320万円を支払う命令を行った。
森島常務は常任理事会に諮らず、立命館から足羽史衣に対して、その差額320万円を支払った。立命館は支払ってはならない1億5000万円を支払い、その上に税金の差額を支払ったのである。これも違法行為であることは明白である。
ところが裁判が始まるや、2011年10月26日に立命館が提出した準備書面(1)において「支払いは、私立学校の目的外であり支払わない」とした。しかしそれでは、それまで1億5000万円を超える金額を支払っていた責任が問われるので、急遽論点を変更し2012年1月12日に提出した準備書面(2)において何の根拠もなく「支払いは退職金の分割払いであった。しかし当初想定した合計1億7000万円を超えたので、今後は支払わない」とした。
実は、2011年2月25日の常任理事会での「支払を打ち切り」決定を受けての、3月8日付の足羽史衣宛の文書において、長田理事長は「貴台への支払いは、学校法人の目的の範囲外であり、許されざる支払いであるとの結論にいたりしました」としていた。この時点で、長田理事長ならびに担当の森島常務は2010年3月の理事会以来、「何ら問題はありません」と発言し支払い続けたことが、違法行為であったことを認めた上に、特別手当に基づき源泉徴収扱いをし、足羽氏の税金逃れのほう助をしていたことになる。
1995年の立命館と慶祥学園の合併時、足羽氏は2000万円の退職金を受け取っている。なお密約の「覚書」でも「これ以外に退職金は支払わない」としていた。
ところがその後、95年当時の財務課長が公認会計士と相談した際に、「足羽氏は53年間、理事長を務めていたのであるから、一般企業の責任者と同様に1億7000万円程度支払われるのが妥当である」との見解をその公認会計士が述べていたとする非公式のメモがあったことを持ち出した。
何年間理事長を行っていたかではない、当時の慶祥学園は大幅に定員割れ(在籍608名/定員1059名)を起こし、大半の教員を非常勤講師に依存せざるを得ない学園であった。その学園の理事長を退任するにあたっては2000万円の退職金でも十分であった。しかも当時の理事会にも提出されていない非公式のメモを根拠に今頃になって「退職金として1億7000万円を支払うことが妥当であり、既に2000万円の退職金は支払っている、残り1億5000万円の退職金は分割払いであった」「その金額を1995年以来2011年3月までの支払いで既に支払った。したがってこれ以上の支払いは、特定人に対する利益供与になるので支払えない」としたのである。
問題が明らかになったわずかこの2年間の間に、立命館から足羽史衣への支払いは「特別手当」から「雑費(謝礼)」そして「退職金の分割払い」と3度変更したのである。
それでは前回、税務署の指摘を受け、特別手当から雑費とし、源泉徴収から確定申告に変更し、その税差額320万円を支払ったことは、どう説明するのか。そして当然のことであるが、雑費収入による確定申告の税率と退職金の税率は異なるが、これはどうするのか。一言も説明がない。
(2)「和解」を巡っての責任逃れ、立命館財政の支出を許してはならない
現在、立命館の常任理事会において、長田理事長、川口総長ならびに森島常務は「和解」を進めたいとの提案を行っている。そして事実、6月14日に開催された法廷は非公開の当事者のラウンドテーブルとして開催された。森島常務らによると、それを受けて6月25日に裁判所から和解案が提案される予定となっているとのことである。
遅きに期したとは言え、「和解」は当然だろう。このような問題で何年も裁判で争うことは適切でない。
それでは今までの支払いはどのようものであったのかを説明する必要がある。また税務署との関係はどうするのか。源泉徴収から確定申告に変更しているのである。「退職金であった」のであれば、当然、立命館が足羽史衣に差額支払いした320万円の返還を求めなければならない
そして和解金はどこから出すのか。文部科学省から「支払ってはならないもの」として指導を受けて取りやめたものの「和解金」を法人のお金を使って支払うことはできない。常識的にはこの問題にかかわってきた長田理事長、森島常務理事、川本前理事長等が応分の負担をして支払はなければならない。しかし学園財政を私物化することはあっても、この間の判断ミスや虚偽の説明による二転三転する混乱を起こしてきた長田氏や森島氏が責任を持って支払いを行う意志を示していない。
そこで考え出したのが古い非公式のメモを持ち出した「退職金の分割払い論」であり、裁判所が「和解」を斡旋することによって文部科学省に対しても「退職金の分割払いでした」と説明し、その了解の下に学園財政で和解金を支払おうとしている。森島常務は既に文部科学省を訪ね、財務課長メモや川本・足羽会談メモなどをだし「退職金の分割払いであった」と説明し、この件は「文部科学省に報告・了承済みである」と語っている。
しかし当時の財務課長メモなるものを根拠に退職金の分割払いであったと強弁するなら、まず第1に、1億7000万円もの退職金額の妥当性を証明しなければならない。そして第2に、何よりも重要なことは、立命館においてそのような額の退職金を支払う退職金規定は存在しないし、当時の理事会においても、そのような額を支払うことを、川本前理事長や長田理事長(総長)の慰労金のように個別決議も行われていない。どの規定、どの決議を根拠に「1億7000万円の退職金支払い」を正当化できるのか、全学に説明が求められる。
長田理事長や森島常務は「当時の理事会において足羽氏夫婦に対してしかるべき処遇を行うことが確認されていた」として支払いを合理化しようとしてきた。しかし「しかるべき処遇を行う」確認と「生涯、月50万円プラス教職員と同様の一時金を支払う」ことは全く別の事である。だからこそ当時の川本専務(当時)も「覚書」を用意しながらも、理事会に提出できなかったのである。ましてや退職金の2000万円を一時払いし、それにプラス1億5000万円を分割払いするなどを、「しかるべき処遇を行う」という確認で合理化できるものではない。
課長メモや、「分割払いにしよう」とした川本、足羽会談メモは、あくまでも非公式会談の事前折衝メモであり、支払いを根拠づける規定でも理事会決議でもない。そのような非公式会談におけるメモを根拠に、川本専務(当時)は理事会にも諮らず「覚書」を作成した。
合併は理事会で議決されたが「覚書」は議決されていないことを知った足羽氏からの要求で「公正証書」(慶祥学園理事長・足羽慶保、立命館専務理事・川本八郎)が作成された。そして足羽氏が亡くなった1996年、この覚書と公正証書に基づき、川本理事長は、再び理事会に諮らず、総務部・財務部に稟議書をかかせ、川本理事長が決裁し、足羽史衣に特別手当の支給が開始されたのである。これら一連の川本氏の行為は「背任行為」の疑いが極めて強い行為である。
この間の経緯に直接かかわった人物で現在在職しているのは、当時財務次長であった高橋英幸現財務担当常務理事である。彼は財務畑を歩んできた人間として、この支払いが私学法に違反する行為であり、理事会にも諮らずこのようなことを行うことは立命館の学園運営を逸脱する行為であるこことを知りながら、川本専務・理事長に諫言し止めなかった。それどころか「公正証書」を足羽家に届けたのも、支払いの稟議書策定にかかわったのも高橋英幸氏である。
川本氏が専務理事時代に職員として定年退職を迎えるに当たって、専務固有の定年退職金支払い規定はなく、職員退職金規定に基づくと3千数百万円であった。にもかかわらず、川本氏が部下に稟議書を上げさせ自らの決済で当時の非常勤理事長の同意(決済)で、倍額の7千数百万円の退職金を受け取っている。この件は当時の理事会の議決を経ず、稟議書の決済のみで行われたので極一部の者しか知らなかった。私も立命館退職後にこの事実を知った。高橋氏は財務部次長としてこの件にもかかわっている。
高橋財務担当常務理事は「覚書」「公正証書」「稟議書」「川本氏の職員退職時退職金」について常任理事会において説明する責任がある。また川本八郎氏、長田豊臣氏、森島朋三氏の足羽問題での背任行為の疑いが裁判で争われる場合、高橋常務理事は当事者として裁判所で証言する義務がある。
今になって「退職金の分割払いであった」とすることは金額的にも手続き的にも無理である。すべて責任逃れの森島常務流の後からの作文である。このようなことを現在の理事会が承認してはならない。ましてや学生・院生の学費を全学で真摯に討議し、確認された全学協議会を実践する初年度に、このような汚点を歴史に刻んではならない。
「和解金」の支払いは、支払ってはならないものを支払ってきた川本前理事長、長田理事長、森島常務等が関わり合い応じて負担して支払うべきである。
ここまでの文章は「和解」の動きを前提にして書いている。「はじめに」記したように、3月以来、3月8日、4月19日6月14日と非公開の当事者協議が開催されているので私は「和解の動きではないか」と推察していた。ところが6月26日の法廷を前に念のために裁判所に電話し「26日の法廷は公開ですか、非公開ですか」と質問したところ「非公開の当事者協議です」との答えが返ってきた。
「6月26日に和解案が出る」というのはまたしても森島常務の作り話しであった。しかも6月23日の理事会議において提出された要回収の「足羽問題の報告ペーパー」に対して森島常務は「裁判所が『退職金の分活払いであったとの認識の上で和解を斡旋している』との旨を入れていただければありがたい。」「行政は司法の判断を尊重せざるを得ないと思いますので」との趣旨のことを語ったそうである。
私は「6月26日の法廷」までの公開された法廷にはすべて参加してきたし、提出されたすべての文書に目を通してきたが、裁判所が「退職金の分割払いであったとの」認識を示したことなど一度もない。そもそも裁判中に裁判官が当該事件に対していかなる見解・判断も示すわけではない。また6月26日にも和解案なるものは提案されていない。森島常務のこの言動は学内を欺くだけではなく、文部科学省をも欺こうとするものである。
なお、足羽側の弁護士が提出した準備書面によると「『覚書』ならびに『公正証書』で約束されたのは、足羽氏の死後、生涯、月50万円の定額の支払いが約束されたのである」「退職金の額が1億7000万円が妥当など、どこでも確認されていない」「1億5000万円という額は『覚書』には鉛筆書きの「1.5億」というメモ数字が書き込まれているだけである。また1億7000万円と言う数字は非公式の課長メモ書きたけである。そのようなものを根拠に「1億5000万円は退職金の分割払いであった」などは成り立たないと反論している。また「もしも被告が原告に対して債権を支払わなければ、支払うことを決定した理事等にたいして損賠賠償訴訟を起こすと記している。
私は、以前にこの問題を論じた時に、この事件には三つの節があったと記した。一つは1995年当時の川本専務によって密約の「覚書」と「公正証書」が作られたとき。第二は足羽氏がなくなった1996年に川本理事長が総務・財務部に稟議書を書かせ、足羽史衣氏にたいしての支払いを開始した時。そして第三が2010年3月の理事会において支払いを追認決定した時である。一と二だけであれば川本氏の個人的背任行為である。しかし2010年3月では理事会決定としている。これは私学法を逸脱する決定であると同時に、主として長田理事長ならびに担当の森島常務の責任であるが、参加し決定した理事にも責任の一端はある。だからこそ再び、理事の皆さんが「和解金」を法人のお金を出して支払うなどに賛成するなどしてはならないのである。
(2)立命館は足羽慶保による相続遺産隠し、相続税逃れ、学歴詐称に手を貸した疑いがあり、厳格な調査が必要である。
それでは2000万円の退職金に付け加えて、この間、二転三転し説明不能の1億5000万円ものお金が支払われてきたのは何故なのか。足羽氏は学校の合併だけではなく、自宅(当時、時価1億5000万円程度と言われていた)などを立命館に寄付している。しばらくセミナーハウスとして使われていた。
足羽氏には先妻の子供(女性A)がいたので、彼が亡くなればA氏は遺産相続の対象者であった。足羽氏は自宅を立命館に寄付することによって、相続遺産が無くなり、合わせて売却税ならびに相続税を支払わなくて済んだ。この間の1億5000万円支払い措置は、足羽氏が亡くなった後、立命館(川本八郎専務理事・当時)がこの「寄付された1億5000万円」を根拠に妻の足羽史衣を生涯面倒看る約束として行われた疑いが強い。
自宅(1億5000万円)は売却しておけばよかったのである。しかそれでは売却に伴う税金を納めなければならない。またそのお金は足羽氏の死去後、遺産相続の対象となりA氏にも支払われることになる。それを避ける為に足羽氏は川本氏に持ちかけたものと推察される。したがつて川本氏もそうした事情と申し入れの趣旨を了解して措置した疑いがある。
「そうではない」と言うなら川本氏は説明する義務がある。今になって「退職金の分割払いであった」と説明するなら、最初から常任理事会にそのように提案すべきであったがしなかった。常任理事会にも諮らず密約で足羽氏死去後足羽史衣に月50万円プラス教職員と同様の一時金を支払うとの約束を行っていたのである。つまり先妻の子供(女性A)の相続権を奪い、現妻の相続税を逃れる為に、自宅を一旦、立命館に寄付し、労働実態のない給与(特別手当)として返還させる手法である。
ところでその前提として足羽氏と川本氏の間にそれ以前の関係がある。
戦後の立命館の基礎を築いた末川総長時代に「立命館の経済学部出身」と称して足羽慶保氏から立命館への多額の寄付申し入れがあった。しかし調査してみると足羽氏は立命館を卒業していないどころか、在籍した記録も不明確であった。末川総長は学内理事会に諮り「そのような人物から寄付を受け取るわけにはいかない」との合意の上で断った。
ところが川本氏が専務理事の時に第三次長期計画を推進するにあたって寄付を募集したところ、足羽氏から多額の寄付申し入れがあった。川本氏は、それを受け入れると同時に、卒業どころか、在籍した事実さへ証明できない足羽氏を校友会員にした。例外扱いとして、卒業していなくても2年以上在籍して中退した者に対しては本人が希望すれば校友会会員としていたが、足羽氏には在籍したことすら証明するものはなかった。
1995年に慶祥学園と立命館の合併にあたって足羽氏は立命館の理事となっている。この時、足羽氏の立命館の卒業ならびに在籍の有無について調査したが、どの学部にも在籍した事実を確認することができなかった。立命館が文部科学省に提出した理事名簿の足羽氏の経歴は立命館大学経済学部卒業として登録されている可能性がある。もしそう届けていれば、立命館は足羽氏の経歴詐称に加担したことになる。
2012年6月28日現在、インターネットのヤフーで〝足羽慶保〟を検索すると、立命館慶祥中・高等学校が出てくるが、そこをクリックすると「足羽慶保(1933年立命館大学経済学部卒業)が1935年に札幌高等経理学校を創設・・」と出てくる。1995年に立命館慶祥中・高等学校になって以降に書かれ今日(2012年)まで掲載されているものであるから、立命館が認知・了承していることは間違いない。なお1933年には経済学部は存在しない。法学部経済学科である。
これら一連のことは、足羽問題発覚以降の調査によって長田理事長、森島常務は掌握しているはずである。
末川総長時代の学内理事会議決記録は破棄できても、卒業・在籍を証明する単位取得成績証明書は破棄できない。無ければ卒業・在籍していないことになる。私が提起している疑いを晴らすためには長田理事長、森島常務は、1995年の合併時に文部科学省に提出した経歴書付の理事名簿、ならびに足羽氏の卒業ならびに在籍を証明する単位取得成績証明書を常任理事会に提出する義務がある。
最後に
川本前理事長は、常任理事会にも諮らず足羽慶保氏との密約で、覚書、公正証書を作成し、支払ってはならないお金の支払いを開始した。長田理事長ならびに総務担当の森島常務は、「法律違反でありやめるべきである」との進言にも拘わらず支払の継続を行ってきた。 しかし長田理事長は自ら2011年3月8日付の足羽史衣宛の文書において「貴台への支払いは、学校法人の目的の範囲外であり、許されざる行為であるとの結論にいたりました」と通告した。この自らの言明に即し、長田理事長は、自らを含む川本前理事長、森島常務の3名に厳正な処分を行わなければならない。
以上