背寒日誌

2019年7月12日より再開。日々感じたこと、観たこと、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

写楽論(その2)~記念切手と「鰕蔵の竹村定之進」

2014年04月21日 18時11分01秒 | 写楽論


 東洲斎写楽 市川鰕蔵の竹村定之進(シカゴ美術館所蔵)

 もう55年も前ですが、小学生の頃、私も多くの子供たちと同じく、夢中で切手収集をしていました。今の天皇陛下が皇太子時代、美智子妃殿下と結婚した時に発行された記念切手を郵便局で買ったのが私の切手収集の始まりでした。昭和34年のことです。
 その頃の切手に浮世絵シリーズというのがあって、なかでも写楽の切手は人気があり、以前発行された高価なものでしたが、自分のお金でデパートの切手ショップで買いました。10円切手なのに、当時200円か300円したと思います。その頃の私の小遣いは月100円でしたから、なんと2、3ヶ月分の小遣いをはたいて手に入れた宝物だったのです。毎日、切手帳を出しては、この切手をためつすがめつ眺めていたことを今でも憶えています。絵に描かれた人物が誰なのかはまったく知らず、知ったのは中学か高校になってからだと思います。
 先日、古い切手帳を机の引き出しの奥から出してみたら、ちゃんとこの切手がパラフィン紙にくるんで、はさまっていました。1956年(昭和31年)に発行されたものでした。古い切手帳には、大切にしていた春信や歌麿の切手もありました。
 この切手の絵は、私がいちばん最初に接した写楽の絵ですが、写楽の役者絵の中では最も有名なものの一つです。



 そんな訳で、馴染み深いこの絵について私なりに勉強したことを書いてみましょう。

 まず、これは役者絵でも大判の大首絵と言って、歌舞伎役者の顔が目立つように上半身だけを描き、比較的大きな紙に版画したものです。紙のサイズは、横26.5センチ、縦39.4センチ。B4(25.7×36.4)を少し縦長にした大きさですから、それほど大きくはありません。「大判の大首絵」というのは現代の呼び方で、当時は「大錦」(大きな錦絵のこと)、「大顔絵」と呼んでいたようです。写楽の大首絵は、それほど顔が大きく描かれているわけではなく、写真でいうところのバストサイズです。ほかの絵師の役者絵には、もっと顔をアップにして、いかにも大首絵と呼ぶにふさわしいものがありますが、写楽の絵は、大首絵と言うほどではありません。厳密には半身像です。
 次に、絵の中にこの絵を描いた絵師(画工)の名前と極印(きわめいん)と版元(板元とも書く)の商標があります。「東洲斎寫樂」、○の中に「極」の印字、富士山の下に蔦の葉をあしらったマークです。
 極印というのは、寛永2年(1790年)に時の幕府(松平定信が老中首座にあり、いわゆる寛政の改革を推進中)が政令を定め、出版する浮世絵に押すことを義務付けた検閲印のことで、寛政3年から施行されるようになったそうです。検閲にあたったのは、版元である地本問屋(じほんといや=草双紙、絵本、浮世絵などの出版販売店)の仲間(組合のこと)から当番制で選ばれた「行事」(検閲官)で、印刷出版する前に版下を見て、許可を出し、極印を押すようになったといいます。寛政年間に入り出版物に対する幕府の取締りが厳しくなったとはいえ、この頃はまだ版元の自主規制だったわけで、天保13年(1842年)まではこの制度が続き、その後さらに取締りが厳しくなるのですが、それはさておき、浮世絵にこの極印があると、その絵が寛政3年(1791年)以降に出版されたものだということが分かるそうです。現在、浮世絵の制作年代を鑑定する手がかりになっています。
 次に富士山に蔦の葉のマークですが、これは版元の蔦屋重三郎(略称を蔦重、商号は耕書堂)の商標です。蔦屋重三郎は、安永期半ば(1775年ごろ)から天明期(1781年~88年)にかけて急成長した新興の地本問屋の店主で、寛政期前半(1789年~95年)に浮世絵では歌麿を売り出し、続いて写楽を世に出した名うての版元ですが、この偉大なプロデューサーについては、いずれまた詳しく書くことにします。

 戻って、写楽のこの役者絵ですが、画題も役者の屋号も役名も書いてありませんが、専門家の研究によって「市川鰕蔵の竹村定之進」、寛政6年(1794年)5月に河原崎座で上演された時の姿を描いた絵と確定しています。
 絵を見ると、柿色の着物に紋がありますが、これは「三升(みます)」といって、大中小の三つの枡を重ねた形で、市川団十郎一門の定紋です。年代から言って、五代目市川団十郎だということが分かります。安永・天明期の江戸歌舞伎の偉大な名優で、寛政3年11月(顔見世興行)に市川鰕蔵を名乗り、六代目団十郎は息子に襲名させます。海老蔵ではなく鰕蔵としたのは、狂歌も好んで詠んだ洒脱な五代目(狂名は「花道のつらね」)が、自分は雑魚(ざこ)えびなので鰕(「蝦」ではなく正式には魚へん)の字を使うと言って決めたそうです。(つづく)



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