まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

スーパールーレット(西陣・デジパチ)

2011-12-12 06:41:21 | 現金機デジパチ
1990年(平成2年)に西陣から登場した旧要件デジパチ「スーパールーレット」。
 
 
  
 
大当り確率1/220、出玉は2300~3000個程度(オマケチャッカーの調整次第)。
 
 
 
1990年の9月に、福岡・博多の福岡国際センターにて「’90パチンコ産業展」が開催されたが、西陣が新台として発表したのが、このスーパールーレットであった。
 
かの名機「ターボR」を彷彿とさせる、独特のデジタル表示が見る者の目を引いた。
 
本機は、①中央7セグデジタル⇒②外周ルーレット⇒③内側ルーレットの順に、デジタルが停止。
この停止順序を混同して紹介するサイトを散見するが、あまり打ち込んでいなかった証拠だろう。
 
中デジと外周ルーレットが同じ数字になるとリーチで、内側ルーレットが赤と緑の点滅を繰り返して激しい効果音と共に回っていく。
 
最終的に全てゾロ目となり、かつ内側ルーレットの数字の色が赤く点灯していた場合が大当りだ。
 
  
同社から91年の新要件初期に出た「ニューメビウスV2」も、リーチ時に新幹線のような宇宙船が、デジタルの周りをクルクル回っていた。もしかすると、スーパールーレットをベースにした演出だったのではないだろうか。
 
 
 
他社で同様の演出を取り入れたのが、ニューギンの競馬デジパチ「エキサイトカップ」だろう。
 
 
さて、本機はデジタル回転時の派手な電子音も特徴だった。店内がマイクパフォーマンスや有線で騒がしくても、十分に打ち手に聞こえる程であった。
 
当時の攻略誌で「保留玉連チャン機」の噂も流れたが、解析で黒と断定するには至らなかった。
 
ちょうど、解析が進む中で1991年の平成新要件機が次々と発表され、旧要件機のスーパールーレットに対する注目度が薄れて行き、検証が終わる前にフェードアウトしたという感じだ。
 
大当り中、全ラウンドでアタッカーをフルオープンさせると、保留玉の一個目で連チャンし易くなる「ノット10打法」(10やあらへんで打法)が注目された。確かに、保一で連チャンは、自分も経験しているので、あながちガセネタではなかったかもしれない。
 
 
 
本機を良く打っていたのが、都電荒川線・早稲田駅近くの「三光堂」という古いパチ屋。
 
(在りし日の早稲田・三光堂…現・パイナップル)
 
 
 
授業が終わると、というか授業をサボって足を運んでは、勝ち負けを繰り返した「憩いのオアシス」の店であった。
 
この店は、良く考えると西陣の機種を多く導入していた。本機の他にも、デジパチの「ファンキーセブン」や「ミラクルフォースSP」、一般電役の「タキシード」「ハニーフラッシュ」、ハネモノの「ドッカン島」や「ダービーキング」などを打った。長い大学生活でお世話になった店なので、記憶に残る機種も多種多様だ。
 
この店の最大の特徴でもあったのが、通常では考えられない様式の「換金所」であった。
 
店の裏を通る細い路地に、土間の玄関を開放した一軒の民家があり、軒先に齢70は超えているであろう老婆が、チョコンと座っていた。
 
どう考えても、防犯面などで非常にヤバかった訳だが、この換金所が狙われたという話は、自分が通っている間は一度も聞いた事がない。
 
お婆さんに景品を渡すと、手元の小さな箪笥の引き出しから無造作に札や硬貨を取り出しては、「はいよ」という感じで金を手渡してくれた。
 
夕方辺りに訪れると、背後の部屋(確か、ちゃぶ台のある食卓になっていた)で「水戸黄門」の再放送が流れていたりして、レトロ感溢れる雰囲気が漂っていた。
 
残念ながら、この昔懐かしい名物換金所は、既に存在しない…。
 
かつてのパチンコには、様々な部分でこのような「ユルユル感」が漂っていた。良し悪しは別にして、これが80年代~90年代初期のパチンコ文化だったといえる。