甲府城下町、旧山田町(ようだまち)現在の中央2,3丁目から、愛宕町石切り場までの散策です。
昨日ご紹介した山梨中央銀行金融資料館となりの江戸時代豪商だった末木家の土蔵作りのお宅を拝見。
そこから、横近習大神宮へ移動。
山田町はこの大神宮(伊勢社)があるため、伊勢町と呼ばれていましたが、宝永2年(1705年)甲府藩主柳沢吉保の子、吉里の官名である伊勢守の伊勢の名を町名に付けるのは好ましくないとのことから、伊勢神宮のある山田(ようだ)町と改名されました。
その大神宮の向いには、時の鐘をならしていた歓喜院がありました。(現在は駐車場となっています)
時の鐘はその後、愛宕町に移動されました。
また、大神宮の隣には江戸豪商の大木家がありました。(現在は駐車場となっています)
山田町から境町を経て、愛宕町に移動。
三念坂上には時の鐘があったことを記す碑が置かれています。
その隣に、甲府城築城に使った石を採掘した石切り場跡があります。
築城の際に、これほど城の近くに採掘場があるのはめずらしく、保存状態もよいとのこと。
ここからは、富士もよく見え、眺めも素晴らしいところです。
しかし、以前、裁判所長の官舎として使われていたおり、国所有地となっているため、現在は許可がないと立ち入ることはできませんし、草ぼうぼうで手入れがされていないのが残念です。
今日の山日新聞によると、「甲府城愛宕町石切場跡」として甲府市の文化財に指定されたそうです。
ゆくゆくは手入れをして、一般に公開されるようになればよいのにと思います。
<土蔵作りの末木家>
<末木家の軒下>
<土蔵作りの二階の窓>
<特別に見せていただいた裃と刀>
<横近習大神宮>
<歓喜院跡>
<大木家跡>
<建物があったころの大木家、隣は横近習大神宮>
<大木家ゆかりの井戸―石をくりぬいて作られている>
<愛宕町山念坂上の時の鐘の碑>
<石切り場跡ー石を切りだす時につけられる矢穴もはっきり残っている>
<石を切りだした跡、矢穴のきざぎざが残っている>
甲府城下町は史跡も多く、見どころ満載です。