無事、父と子の対面を果たし、かみさんにヤット君の様子を説明して、まぁ、何にせよ、医者の話では母子共に大丈夫って事で事だったので、昼ごろやっと御到着の親父とお袋と一旦は帰る事にした。
気が付けば、私も寝てなかったからフラフラでした。
親父も内孫出来て嬉しかったんだろうねー。
俺は早く帰って寝たいのに、あっちに寄り、こっちに寄り「孫が生まれた」って報告して廻ってた。
もう、親父置いて車運転して帰っちゃおうかと何度思ったことか・・・
翌日、再び病院へ。
「TICU」?だっけ?(何せ昔のことで、新生児用の集中治療室みたいな)に入れるのは身内じゃ私だけだったのでビデオカメラ持って行きました。小さい割にはウニウニと元気そうに動くヤット君。
でも、鼻からチューブ入れられて心電図かな?のコード付けられて、点滴のチューブも付けられて「がんばれよ」ってしか言ってやれないのが何かまどろっこしかった。
ビデオカメラ持って行ってヤット君を映したんだけど、私のカメラは古くって液晶モニターが付いてないの(;_;)(今は買い換えたけど)結局かみさんには見せられない。
看護婦さんがポラロイド撮ってかみさんに見せてくれた。
数日後、姉夫婦が仙台から駆けつけ、母、義母、義妹、今は義兄、かみさんと私、計8人で「名前をどうするか」と言う事に成りました。
母が「親父は親父から一字取って(雄太)か、私から一字取って(昭太)はどうだ?って言ってるよ」って事だったけど、即、却下。
今思うと不思議なんだけど、ヤット君の名前は生まれると同時に天から貰ってきたようで、誰も考えてなかった「やまと」って名前に自然と決まってしまった。他の名前に成る事なんてありえなかった様な気さえする。
余談ですが、私は「優樹」って名前も考えてて、たまたま、サティーに「無料姓名判断します。」って人がいて占ってもらったんです。で、結果は・・・
「良くないですねー」
「えっ?」
「何とかが、何とかで、・・・???・・・お父さんの名前も何とかが何とかで・・・???」
「んじゃ、どうすれば良いの息子の名前はこれから決められるけど、俺の名前は変えられないぞー」
「何とかが何とかで・・・判子作りましょう。・・・」
なんだ、判子売りかよ。
丁重にお断りして本屋さんで姓名判断、画数がどうのこうのって本も買ったんだけど、結局、天から貰ってきた名前ってあるんだろうな。
自然と今の名前に落ち着いた。
かみさんが退院してから一緒に役所に届けに行きました。
片道一時間の病院へ毎日通った。
その頃は自営業だったんでいくらでも時間は作れた。
生まれたばかりの赤ちゃんは、最初はどんなに健康な赤ちゃんでも体重は落ちるそうです。
元が小さいヤット君。
1000グラム切って、900グラム切って。・・・
生きられないのかな?って思いも正直よぎった・・・
「いつヤット君は退院できます?」
「2ヶ月半早く生まれたのだから、2ヵ月半は退院できません。」
そうだよなー。
ガラス箱越に手袋して抱くというより持ってたヤット君。
徐々に大きくなって
一ヶ月以上経ったある日
「ヤット君箱から出ましたよ。」と看護婦さん。
嬉しい反面、首も据わってないし本当、恐々抱き上げてミルク飲ませる事出来ました。
(かみさん母乳出ないので100%人口ミルクで育てました。)
親の心配よそに、ウニウニ動いて、モリモリミルク飲んで3ヵ月後。もう7月も終盤の暑い日に、桜の季節に生まれたヤット君は無事退院し我が家にやって来たのでした。
つづく
気が付けば、私も寝てなかったからフラフラでした。
親父も内孫出来て嬉しかったんだろうねー。
俺は早く帰って寝たいのに、あっちに寄り、こっちに寄り「孫が生まれた」って報告して廻ってた。
もう、親父置いて車運転して帰っちゃおうかと何度思ったことか・・・
翌日、再び病院へ。
「TICU」?だっけ?(何せ昔のことで、新生児用の集中治療室みたいな)に入れるのは身内じゃ私だけだったのでビデオカメラ持って行きました。小さい割にはウニウニと元気そうに動くヤット君。
でも、鼻からチューブ入れられて心電図かな?のコード付けられて、点滴のチューブも付けられて「がんばれよ」ってしか言ってやれないのが何かまどろっこしかった。
ビデオカメラ持って行ってヤット君を映したんだけど、私のカメラは古くって液晶モニターが付いてないの(;_;)(今は買い換えたけど)結局かみさんには見せられない。
看護婦さんがポラロイド撮ってかみさんに見せてくれた。
数日後、姉夫婦が仙台から駆けつけ、母、義母、義妹、今は義兄、かみさんと私、計8人で「名前をどうするか」と言う事に成りました。
母が「親父は親父から一字取って(雄太)か、私から一字取って(昭太)はどうだ?って言ってるよ」って事だったけど、即、却下。
今思うと不思議なんだけど、ヤット君の名前は生まれると同時に天から貰ってきたようで、誰も考えてなかった「やまと」って名前に自然と決まってしまった。他の名前に成る事なんてありえなかった様な気さえする。
余談ですが、私は「優樹」って名前も考えてて、たまたま、サティーに「無料姓名判断します。」って人がいて占ってもらったんです。で、結果は・・・
「良くないですねー」
「えっ?」
「何とかが、何とかで、・・・???・・・お父さんの名前も何とかが何とかで・・・???」
「んじゃ、どうすれば良いの息子の名前はこれから決められるけど、俺の名前は変えられないぞー」
「何とかが何とかで・・・判子作りましょう。・・・」
なんだ、判子売りかよ。
丁重にお断りして本屋さんで姓名判断、画数がどうのこうのって本も買ったんだけど、結局、天から貰ってきた名前ってあるんだろうな。
自然と今の名前に落ち着いた。
かみさんが退院してから一緒に役所に届けに行きました。
片道一時間の病院へ毎日通った。
その頃は自営業だったんでいくらでも時間は作れた。
生まれたばかりの赤ちゃんは、最初はどんなに健康な赤ちゃんでも体重は落ちるそうです。
元が小さいヤット君。
1000グラム切って、900グラム切って。・・・
生きられないのかな?って思いも正直よぎった・・・
「いつヤット君は退院できます?」
「2ヶ月半早く生まれたのだから、2ヵ月半は退院できません。」
そうだよなー。
ガラス箱越に手袋して抱くというより持ってたヤット君。
徐々に大きくなって
一ヶ月以上経ったある日
「ヤット君箱から出ましたよ。」と看護婦さん。
嬉しい反面、首も据わってないし本当、恐々抱き上げてミルク飲ませる事出来ました。
(かみさん母乳出ないので100%人口ミルクで育てました。)
親の心配よそに、ウニウニ動いて、モリモリミルク飲んで3ヵ月後。もう7月も終盤の暑い日に、桜の季節に生まれたヤット君は無事退院し我が家にやって来たのでした。
つづく