今日の仕事は福島市のメーカさんとの技術的な打合せだった。(本来の担当者が別件ありのためピンチヒッター)
顔馴染みのお二人であり、病気にヤラれる以前には超お世話になった方々である。(2003年5月26日宮城県沖の地震の際は私がお邪魔している時であり、会議室のガラスがサッシから外れて砕け散ったり、エアコンのダクトが落ちたりと正直怖かった。その後も私が訪問するたびに地震が起きたので、「いちけんさんがいらしたから今日も地震かな?!(笑)」なんて言われた...)
ご一緒するのはかなりお久しぶりだったのだが、お元気そうで涙が出そうになった。もちろんお元気なのは聞いていたが、直接お顔を拝見するまでは不安だったのだ。お会いして心の底から安堵した。考えてみれば、私は被災した方々に直接お会いするのは初めてだったのだ。
福島空港から羽田まで飛行時間25分の臨時便でいらしているとのこと。「20年前と同じですよ。来るのに1日、仕事に1日、帰るのに1日かかるんですから!」と笑いながらおっしゃっていたが、福島と関東の行き来に苦労されていることは想像に難くない。
仕事の中身はヒミツなので書かないが、この大変な時期に詳細に技術検討してくれていたことに感謝。打合せ時間が短くて済んだのは事前検討の賜物である。感謝しかない。
それにしても実際の状況はかなり厳しいようである。会社は2階の天井が落ちたとか、測定器がズレてメーカの点検待ち(いつになるか見当もつかないとのこと)だったりと、操業できても作ったものが保証できない(=測れないからOKかNGか判定できない)ようなのだ。
暗い話題ばかりではマズいので、最近はクルマが歩行者に優しくなった(横断歩道で止まるクルマが増えた)ことや譲り合いの精神が増えてきて、日本も捨てたもんじゃないですよ!などとお話ししたり、軽い冗談で笑ったりして、「前に向かって一緒に進みましょう!一緒にがんばりましょう!」とお話しした。あの場にふさわしい話しだったかは微妙だが、私の本心だったのは事実だ。
福島県は東電原発事故や農業関係作付け延期と非常に厳しい状況だが、みんな精一杯に生きている。私も少なからず福島県にお世話になっているものとして、一緒にがんばろうと思う。小さな力も集まれば大きな力になると信じて。
最後に、6年前にものすごくお世話になったYさんが今年1月に亡くなられたことを知らされた。私より若いのに先に逝ってしまうなんて... 言葉が無い。教えていただいたことを活かして仕事をするのが何よりの供養と心得て、私はこれからも生きていく!