夕日さすまに いそしめよ(旧「今日までそして明日から」)

人生、宗教、世相、趣味などを思いつくままに記す

父がお与えになった杯

2012-04-06 16:12:43 | 日曜日のメッセージ
 ヨハネによる福音書18章1~11節。ここは福音書の中の決定的な場面である。弟子の一人に裏切られ、何の罪もないのに捕らえられていくイエス。弟子たちを残してたった一人引っ立てられていくイエス。捕らえられたらどういうことになるかは分かり切っていた。そして、弟子たちは強大な敵の前にまったく無力であった。このあまりにも悲しい出来事に、ペトロの心は張り裂けそうになっていた。そこで、彼は自分を見失い、激情に身を委ね、愚かにも、大祭司の僕の耳を切り落とすという何の益にもならないことをしてしまったのである。  しかし、イエスの逮捕はイエスの敗北を意味するものなのだろうか。ヨハネ福音書が一貫して主張していることはそうではないということだ。ヨハネ福音書では、イエスの死は栄光の時であって、イエスは自分の死を神による定めとして冷静に受けとめていた。 . . . 本文を読む