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【映像評】NHKスペシャル『故郷(ふるさと)か 移住か~原発避難者たちの決断~』(2012年3月24日放送)

2012年05月12日 | 原発・震災
 昨年3月11日の福島第一原発事故によって、全村避難を強いられた福島県浪江町。今回紹介する映像『NHKスペシャル 故郷(ふるさと)か 移住か~原発避難者たちの決断~』(2012年3月24日放送)は、昨年3月からの1年間、浪江町から避難した住民の苦悩や、深刻な放射能汚染が明らかになる中でどのように町を維持し復興していくかを模索する姿を描いている。


 原発事故直後、浪江町長・馬場有氏が掲げたのは「全員帰還」であった。住民全員で浪江町に戻るということをスローガンにすることで、福島県内外にバラバラになってしまった2万1千人の町民の繋がりを維持しようとしたのである。住民らも当初はそのスローガンを後押しした。しかし、「全員帰還」は実現不可能ではないか、という声が次第に高まってくる。浪江町の深刻な放射能汚染、長引く避難による不安定な生活。10月に行われたアンケート調査では、3割を超える住民が「町には帰らない」と答えた。そして、決定打となったのが、昨年末に政府が打ち出した避難区域再編方針であった。浪江町は、そのほとんどが年間50mSv以上の「帰還困難区域」となり、「全員帰還」というスローガンを掲げ続けることが実質的に不可能になってしまったのである。


 町を維持していくために、浪江町が舵を切った方向は、福島県内の代替え地における浪江町のコミュニティを維持することであった。町民らと共に策定し、4月19日の町議会において可決された「復興ビジョン」においては、この代替え地の方針を打ち出し、現在自治体間の調整に入っているという。


 この映像において重要なのは、現在政府によって進められている避難区域再編にたいしての住民の視点である。政府は、昨年4月に指定した警戒区域を、年間20mSv以下の空間線量の「避難指示解除準備区域」、20mSv~50mSvの「居住制限区域」、50mSv以上の「帰還困難区域」の3つに再編するとしている。しかし、そもそも20mSvという基準自体、被ばくによる健康リスクを度外視したものであり、年間1mSv以上の地域に人びとを帰すことは決して許されることではない。また、水道・電気・道路などのインフラだけでなく、医療施設等の生活インフラも整わない中で、ただ人びとを帰していくという政策は、そこで人が生活していくという視点は欠如しており、「棄民政策」としか言いようがない。浪江町の住民たちも、線量の高さだけではなく、「商売している人だけが戻っても、人が戻らなければ仕方ない」「病院もないところでは生活していけない」など、生活基盤やコミュニティがないという点に苦言を呈していた。浪江町の代替え地案は、町を維持していくためという目的はもちろん、そうした政策に対する抵抗ともいえるだろう。


 また、題名にある「原発避難者」という言葉の対象も重要である。この映像においては、「原発避難者」とは、警戒区域や計画的避難区域など政府の指示のもとで避難をした人びとのことを指しているようにみえてしまうが、実際には、避難指示区域外の地域からも多くの人びとが避難をしており、こうした人びとも生活の基盤やコミュニティを原発事故によって奪われているのである。避難にかかる選択の“有無”によって、避難者を分断することは、政府の棄民政策を容認してしまうことに繋がりかねない。したがって、原発事故がもたらした放射能汚染によって避難をした人びとは、すべて“原発避難者”というべきであり、避難先での支援や損害賠償において同等に扱われるべきである。


 原発事故から1年が経ち、全国各地の原発避難者たちが徐々に声を上げ始めている。それは、避難者同士の団体を結成したり、ADRを通じた東電に対する賠償の集団申し立てなどに表れている。こうした避難者の動きは、バラバラになってしまった人びとが、避難した先で交流し、繋がりをつくっていくことで生まれてきた。その意味で、浪江町の町外コミュニティの構想は、浪江町の住民たちの生活の再建だけでなく、東電や国に対して声を上げていく際の基盤にもなるのではないかと考える。


 こうした避難者の動きを広げていくためにも、東京にいる8千人の原発避難者の生活や繋がりづくりのサポートをしていくことが、いま求められているのではないだろうか。

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