Say Anything!

セイピースプロジェクトのブログ

【書評】ウリハッキョをつづる会『朝鮮学校ってどんなとこ?』(社会評論社、2001年)

2012年08月07日 | 書評
 今回紹介する『朝鮮学校ってどんなとこ?』は、朝鮮学校のありのままの姿を日本人に知ってもらいたいと、朝鮮学校に子どもを通わせる保護者たちによって書かれた本です。朝鮮学校の高校授業無償化除外の問題や、地方自治体からの補助金凍結の問題を捉えるためにも、朝鮮学校の過去と現在を追った本書は必読の書といえるでしょう。

 本書は全3章から構成されています。第1章では、朝鮮学校に関してよく言われる疑問や質問について、朝鮮学校に子どもを通わせている保護者の会話を通じて答えています。第2章では、朝鮮学校がつくられてきた歴史的経緯や、保護者たちによる朝鮮学校を守り支えていく取り組みが丁寧に描かれています。つづく第3章では、朝鮮学校出身者や朝鮮学校に関わる人々のインタビューを交えながら、朝鮮学校の歴代の生徒たちの活躍や日本の学校との交流、学校で使われている教科書の変遷など、朝鮮学校の実態について書かれています。

 本書において、最もページ数が割かれ重点を置かれているのは、第2章の朝鮮学校が歩んできた歴史です。在日朝鮮人一世たちは日本の植民地支配からの解放後、朝鮮半島に帰還することを前提に、奪われた朝鮮人の言葉や歴史、文化を帰還するまでの間に我が子に教えたいとの思いから、各地で自発的に国語講習所をつくっていきました。それが現在の朝鮮学校の始まりです。本書では、著者が子どもを通わせている西東京朝鮮第一初中級学校の沿革を追っていく形式になっており、日本社会の中で激しい弾圧や差別待遇を受ける中で、在日朝鮮人の保護者らが朝鮮学校を守るために血のにじむような努力で奮闘する姿が描き出されています。さらに、1965年の通達以降、未だに文科省は朝鮮学校を「各種学校」として認定しない姿勢を取り続けていますが、認可権をもつ地方自治体の首長によって朝鮮学校が各種学校として認定されてきたこと、自治体による補助金が下りたこと、これらは在日朝鮮人たちが粘り強く運動を続けてきた結果である一方で、過去の朝鮮植民地支配に対する謝罪はおろか、在日朝鮮人の民族教育を認めない日本社会の歴史認識や権利意識の実情も浮き彫りにされています。ただ、西東京朝鮮第一初中級学校の前身である三多摩朝連初等学院の校舎を建設する際に、日本人も建設用地獲得に関わっていることは、当時の在日朝鮮人と日本人との地域レベルでの交流を考察する上で注目に値するでしょう。

 また、こうした朝鮮学校の歴史的経緯を踏まえて、本書の最終章で述べられている朝鮮学校で使われている教科書の変遷や朝鮮語を学ぶことの意義を知ることはとても重要です。朝鮮学校の発足当時は、朝鮮半島に帰還することが前提とされてきましたが、現在、朝鮮学校に通う子どもたちは、日本に生まれ、一生日本で生活していく人がほとんどです。そうした在日朝鮮人たちが、朝鮮の歴史だけではなく、日本の歴史や経済など、日本社会の中で生きていくために必要なことを学べるように、教科書も改訂されてきました。そして、朝鮮人としての民族意識を養う上で、朝鮮語教育はその基本であると筆者は述べています。朝鮮学校の位置付けが変わっていく中でも、朝鮮学校をつくる最大の動機となった<奪われた母国語を取り戻すこと>は民族教育の基本であり、在日朝鮮人が自らの存在を卑下するのではなく、誇りを持って日本社会の中で生きていくために、今後も必要とされていくでしょう。

 民族教育の必要性を訴えることは、同時に日本社会の在り方も問うていくことでもあります。朝鮮学校や在日朝鮮人に対する日本人の無理解や偏見は、朝鮮植民地支配に対する歪んだ歴史認識を背景に、未だ克服されたとはいえません。さらに同一・単一であることを求める日本社会の民族意識は、在日朝鮮人などの民族的マイノリティの存在を否定し、人権を侵害することにも繋がっています。オールドカマ―である在日朝鮮人だけでなく、ニューカマーの在日外国人が増える日本において、朝鮮学校の歴史的経緯や、そこで行われてきた民族教育を知ることは、民族的な違いを認め合い、共に生きていく社会を築いていく一つの契機となるのではないでしょうか。

最新の画像もっと見る