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【論説】「日本の問題」としての日本軍「慰安婦」問題

2012年09月29日 | 東アジア情勢・歴史問題
 昨年8月、韓国の憲法裁判所において、元日本軍「慰安婦」への補償問題について韓国政府が日本側と交渉しないことは憲法違反であるとされました。これをきっかけに日韓のあいだで「慰安婦」問題が争点化し、とくに韓国では日本植民地支配の問題として認識されている独島・竹島問題とも相まって、両国の国民感情を刺激しあっています。昨年12月に行われた日韓首脳会談では「慰安婦」問題が大きく取り扱われましたが、日本側は「法的に決着済み」という従来の立場を述べるにとどまり、具体的な進展を見ていません(日本軍「慰安婦」問題の歴史的経緯については、「ふたたび注目を集める「日本軍」慰安婦問題」を参照)。

 日本では、橋下大阪市長や自民党総裁に復帰した安倍元首相らがいわゆる「狭義の強制性」を否定したのに続いて、野田首相も「強制連行した事実を文書では確認できない」ことなどを国会で答弁し、松原国家公安委員長は1993年の河野官房長官談話の見直しにまで言及しています。

 その河野談話では、「慰安所」設置についての旧日本軍の直接・間接的な関与が明確に認められ、「慰安婦」の募集に際して「本人の意思に反して集められた事例が数多くあ」ったことや「官憲等が直接これに加担したこともあったこと」も指摘されています。また、日本の裁判所に提起された「慰安婦」の訴訟のほとんどで、被害事実の認定がされています。一連の政治家の言動は、国際的な評価においてはいうまでもなく、国内的な評価においても「慰安婦」の被害に関する認識が確立してきたことに反するものです。

 「慰安婦」問題研究の第一人者である吉見義明氏は、この問題の本質として以下の点を指摘しています。つまり、第一に「女性に対する暴力の組織化であり、女性に対する重大な人権侵害であった」こと、第二に「人種差別・民族差別であった」こと、第三に「経済的階層差別であった」こと、第四に「国際法違反行為であり、戦争犯罪であった」ことです(『従軍慰安婦』岩波新書、1995年)。これらのことは、いま議論の対象となっている「強制性」の問題とは関係なく指摘され、省みられるべきことがらです。「強制性」の議論によって、問題の本質が覆い隠され、矮小化されてはなりません。自国にとって否定的な歴史といかに向き合うかというのは、すぐれて現在の問題なのです。

 また、歴史的事実としての日本軍「慰安婦」問題に対して、無用に消極的な評価を下そうとすることは、被害女性に対するセカンドレイプとの誹りを免れません。日本政府・日本社会は、韓国政府・韓国社会と対峙する前に、ひとりひとりの被害女性と向き合わなければなりません。

 さらに、朝日新聞は社説で、「韓国の人たちにも、わかってほしいことがある」として、アジア女性基金の成果を繰り返し強調しています(「河野談話――枝でなく、幹を見よう」2012年8月31日)。韓国で「慰安婦」問題や独島・竹島問題が盛り上がっている背景として、李明博政権が人気を回復するためにナショナリズムを煽っているという説明がよくなされていますが、これらの問題が、日本において植民地責任が軽視されている現状への不信感を伴っているならば、責任主体が曖昧化され、「記憶」を伴わない「解決」は、意味をなしません。

 「慰安婦」問題の解決は、単に外交技術的に行われるべきものではなく、被害女性と向き合い、植民地支配の歴史と向き合う過程を通して行われるほかないのです。

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