sayaのがんばらない癌闘病記、そして鬱病

乳がん術後6年半で再発。只今元気にホルモン治療中です!

昨日の私が本当に傷ついたこと

2010年12月10日 18時07分40秒 | 日記
一夜明けて昨日を振り返る
昨日私はなぜあんなにも傷ついたのか。

昨日は転院を考えて
主治医チームの中でも一番話しやすい女医さんに
ご相談した。

その先生は入院中も一番本音で接してくださったし
論理だてて説明するのも上手。
私が一番信頼していたひと。

昨日の相談は私、相当率直に他の先生への
不審感を相談した。

それに対して先生はやはり率直に暖かく
聞いてはくださった。
信頼が著しく揺らぐことはなかった。

ただ。。。
あまりにも率直に他の先生のことを私が言い過ぎたので
「他の先生に絶対言わないでくださいよ。
忘年会でいくら酔っ払ってもね♪」と念を押した。

そしたら
「飲み会では基本的に患者さんの話にはならないの。
バカ話ばっかり」

まさにここなんだってわかった。私が傷ついたのは。
私は間もなく死んでしまう。
毎日皮膚転移が広がり続ける。
お願いだから皮膚科に応援して欲しいと切望する。
それすら聞いてももらえず先生は飲み会でバカ話?

ってこと。
もちろん先生はただの職業なので
飲み会でバカ話したっていいのです。
それはどんな職業だってそういうことあるし。

でもそれを聞きたくはなかった。
あの局面で。

結局高みの見物なんだって感じたのだと思う。
だから孤独が深まったのだと思う。

ちなみに皮膚転移の告知はその女医さん、
私にとってかなり辛いことだろうと心配していて
問題の先生に再三確認していたそうです。

告知後もどうでした?と聞いたところ
「別に。受け止めてたよ」と軽く言ってたので
大丈夫だと思っていたとも。

ぜんぜん違うよ!!!!!!
私はろくに説明もしてもらえず
号泣したまま廊下に出され
過呼吸がなかなか収まらないまま
CTをとりに行かされ、
さらにCTドームの中でも泣き止むことができず
お医者さんや看護師さんではない
お掃除の方とかヘルパーさんに支えられ
なんとか会計をして帰ったんだ。
嘘つき。

自分の失態を隠蔽したんだってわかった。
てゆうか失態を自覚していたってわかった。

おまえ!!!!
私が死んだあと、このブログを必ず見つけなさいっ。

ちなみに私はこの医者を
物事を深刻にすることが得意な
深刻村の村長。
普段は「村長」と呼んでいる。

怒りを少しだけ笑いに変えようという
愛のある工夫。
ありがたく思え、ばかぁ。