sayaのがんばらない癌闘病記、そして鬱病

乳がん術後6年半で再発。只今元気にホルモン治療中です!

阿久 悠 先生に教えられたこと。

2007年08月04日 01時34分50秒 | 日記
なぜ先生を付けたかというと私が今作詞家を目指しているからどうしてもさん付けは抵抗があったからです。それはさておき私が癌を宣告されたとき一番励まされ今もずっと心の支えになっている本が阿久先生が最初に癌宣告を受けたとき書かれた「生きっぱなしの記」という本。そのとき私はもうすぐ人生が終わる、死んでしまう、その意味がわからず、即ち今を生きる意味もわからず途方にくれていた。これは健康な誰に聞いてもしょせんはわからないこと。本当に突きつけられないとわからない。わからないということすらわかってもらえない難題だった。そんなとき「生きっぱなしの記」というタイトルだけでもすでにかなり答えに近いものを感じ早速注文して読んだ。要するにたとえばあと2年で人生が終わるからって何も総まとめなどする必要などない。なんら今までと変わらずあと10年でも20年でも生きられるつもりで過ごせばいい。かけっこでもあと2メートルだと思った瞬間失速するかもしれない。あと10メートルあるつもりで同じ速さで2メートル先のゴールを駆け抜ければいいのではないか。そのほうが充実した2メートル、充実した2年、充実した人生のゴールが切れるのではないか。その結果自分が死んだとき、やりっぱなしのこと、やりかけなことがそこここに散らかっていても別にかまわない。生きっぱなしでかまわない。そういう本。それを読んですかさず通信大学に入学してしまった私。
 阿久先生の訃報は駅売りの夕刊の短冊状の広告で知った。無くなる前日あたりに調度阿久先生の出演してる番組を見ていて、あぁお元気なんだなぁと思ったところなのに。しばし売店の前で動けなくなってしまった。そこには「阿久 悠 きゅうし」と書かれていた。本当は「きゅうし」も漢字で書かれていたのだけれど言葉が強すぎて今の私には漢字で打つことが出来ない。でもその「きゅうし」を見て私はあぁ阿久先生は同じ速さで駆け抜けられたんだなぁ、あの時書いてらしたことを実現したんだなぁと思った。なんか素晴らしいなとも。。。でもさみしいなぁ。悲しいなぁ。素晴らしいと思いつつやっぱりね、悲しい感情とは別物です。
 でも私もそんなふうに最後までそ知らぬ顔で駆け抜けたいと思います。