なぜ、「そのぎ」という呼称が一般化したかと言うと、シーボルトの手紙にSONOGIと記されているからである。其扇は本名お滝で、シーボルトは「おたくさ」と呼び、それと同様に「そのおおぎ」を「そのぎ」と呼んでいたのである。(吉村昭「闇の中」『わたしの流儀』)
・1日だけ寝っころがっていた。静養のお供はやはり本。読みさしになってたので読みついでみた(なぜ読みさしになったか、すぐに分かったが)。それにしても、新潮文庫の活字は見やすくも品位がある気がする。
・日本語方言の多くは、一定の時間間隔ごとに一単位(拍)の音を出している。短歌・俳句の字数もこの時間単位で数えている。前の母音を一定時間伸ばしたり(長音)、次にくるはずの音(一部)を一定時間だけ先取りしたりする(促音・撥音)。このため、音波が出てないのに言語音として認知されるものすらある。「マッチ」の「ッ」などがそう。
・が、東北方言(の一部、とすべきか)や英語などでは、音節自体を単位として、時間間隔を単位としないので「小技」は効かない。外国人の発音の「シャチョサン」「チョトマテクダサイ」のようなものも、日本語の一定の時間間隔が把握されていないことによる。
・2種の言語の差を説明するには、より印象的・特徴的な例を示せた方がよい。「そのおおぎ」がSONOGIと記されるのは好例中の好例になりそう。「東奥日報」とともに示してみたい。ただ、好例すぎて余計な誤解を招くかもしれないけれど。
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語源から離れていく例ですね。しかも固有名でも起こる。
いや、「そうとめ」になった段階で姓として使われたかもしれない、か。
色々思いのふくらむ姓・読みですね。