充電日記     

オフな話で一息を。

東京標準

2011年06月17日 | 同級生
・福音館の小辞典シリーズを小学生のころに買っていたなどと書いてしまったが、なぜ「小学生のころ」だったのか。だんだん思い出してきました。今でいう「中学お受験」向きテストを受けに、隣市までバスと電車で通っていたのが契機でした。大きな本屋さんに出入りするようになったためです。

・当時、東京標準(東京標準テスト)という塾がありました。日曜日のテスト代だけ払えばテストと解説が受けられる明朗会計。次回出題のポイント一覧をもらって予習し、試験を受けるというルーチン。小学5~6年のときに通ってましたが、途中で飽きてしまって脱落。よって「お受験」もナシ。一緒に通っていた友人たちとは、6年時にクラス替えのためバラバラになりましたが、O君・H君・T君は最後まで受験したようで、私学の付属中に合格したと噂に聞きました。このあたりから人生の下降線がはじまっていたのですね(笑)。

・「次回のポイント一覧」は、受験後に郵送される答案・得点通知と同時だったかもしれません。でも、それだと予習の日数が少なすぎるから、試験は2週に1度のペースだったのかも。1週単位だったら、すごいスピードで採点して郵送して、出題して印刷していたことになりますからね。企業としては何ということもないのかもしれませんが…… そういえば、テストをはじめ印刷物の原稿は、和文タイプのようでした。

・毎回の郵送では、成績優秀者一覧表も配布されました。氏名・会場名が掲げられたもので、上位30名くらいだったかな。上位5位以内だと次回のテスト料は無料、15位以内なら半額だったか。いま思えば、分かりやすいというか、身も蓋もないというか、露骨なシステムですが、それくらいしないと塾がお客さんを集めにくい時代だったのでしょう。スポンサーたる親も納得するし、「免除券」を提示する本人も気恥ずかしいやら誇らしいやら、相応に効果はあったでしょう。私は2位が1度、15位以内が2度あっただけだったと思います。当時は首都圏会場しかなかったための、まぐれです。

・ちょっと「東京標準」でググッてみると、私の受けていたのとは少し違うシステムもあったようですね。地方合宿とか、空気椅子とか(体罰じゃん!)。私の方は1971~2年のことですから、まだまだ素朴な時期だったのかも。

我が母校

2009年10月09日 | 同級生
・あだち充の『クロスゲーム』の校舎のモデルが我が母校らしい。東武東上線沿線だから違うかもしれないが、似てますか?少し小高いところに校舎があり、幅広な階段を降りると広いグラウンド。縁取るようなプラタナス(?)の植木。うまくすると良い絵が撮れるのかもしれない。年に一度くらいはテレビ・ドラマのロケをやっていた。
・比較的お近くに住んでらっしゃるという同業の先達に、「実はここの出身なんです」というと「うわっ! よく研究者がでましたね~っ」と心底あきれられた。先輩方はよほど近隣のみなさまに迷惑をかけていたらしい。あまりの驚きぶりに「いえ、そこそこの学校でしたよ」と言い返す気も起きなかった。ちょっと覗いてみると、努力のきらいな城北気質は健在で、受験科目の少ない私学ばかりに進学している。ほっとしてよいやら……
・学校も生徒集めには熱心ではなかったよう。なんと、暖房設備が教室にはないのだ。生半可な設備で入学者を釣ろうとしないのは潔いが、経営的にはどうなんだろう。ロケ費用で収益の足しにしていたとも言われていたが。我々生徒の自衛策はカイロ持参。使い捨ては出回ってないので、白金カイロを常用していた。そこはかとなくそここことなくベンジンが香る冬。
・先生方も個性的だった。「君たちの貴重な時間を奪って申し訳ない!」と弁明したのは、遅刻した青年熱血教師。ルパン三世似もあって、キザに聞こえない英語の先生でした。別の英語の先生は、大学院にもどられた。そういう道も人生にはあるよな、と身近に感じさせた。その先生のプリントが無縁のはずの我が教室にも回ってきた。「英語アクセントの規則」。思えば、生成音韻論の資料か、成果の一端だったのかもしれない(いや、当時でも受験常識?)。
・国語のK保田先生。「中世の発音が知りたくて能楽部に在籍していた」というから、言語学的センスも古典芸能への理解も深いものがあったのだろう。感覚にまかせすぎないで文法的根拠から味読につなげていくスタイル(こう書くと当たり前のようですが)は好きだったし、近松の「虚実皮膜論」(穂積以貫『難波土産』)が印象に残っているのも得心がいく。K先生の影響で日本文学・文化の学べる大学を選んだのだった。

びっくり、同級生

2008年09月01日 | 同級生
佐藤寿一氏。S大時代の知人というか、学籍番号一番違いでした。彼までがA組で、私からがB組。たしか管弦楽部に所属していたとは思ったけれど、クラシックで身を立てていたとは、今日の今日、知りました。福田首相の辞任発表といい、びっくりの多い日。
・しかし、指揮する画像を見ていると、すごいな、素晴らしいな、とも思うんですが、ちょっとばかり学生時代を知っているので、冗談はやめて早く降りきてくれ~、と言いたくなってしまいます。いやいや、お互いさまか。いやいやいや、やっぱり彼の方が立派だ。カッケー。ごめんごめん。