・福音館の小辞典シリーズを小学生のころに買っていたなどと書いてしまったが、なぜ「小学生のころ」だったのか。だんだん思い出してきました。今でいう「中学お受験」向きテストを受けに、隣市までバスと電車で通っていたのが契機でした。大きな本屋さんに出入りするようになったためです。
・当時、東京標準(東京標準テスト)という塾がありました。日曜日のテスト代だけ払えばテストと解説が受けられる明朗会計。次回出題のポイント一覧をもらって予習し、試験を受けるというルーチン。小学5~6年のときに通ってましたが、途中で飽きてしまって脱落。よって「お受験」もナシ。一緒に通っていた友人たちとは、6年時にクラス替えのためバラバラになりましたが、O君・H君・T君は最後まで受験したようで、私学の付属中に合格したと噂に聞きました。このあたりから人生の下降線がはじまっていたのですね(笑)。
・「次回のポイント一覧」は、受験後に郵送される答案・得点通知と同時だったかもしれません。でも、それだと予習の日数が少なすぎるから、試験は2週に1度のペースだったのかも。1週単位だったら、すごいスピードで採点して郵送して、出題して印刷していたことになりますからね。企業としては何ということもないのかもしれませんが…… そういえば、テストをはじめ印刷物の原稿は、和文タイプのようでした。
・毎回の郵送では、成績優秀者一覧表も配布されました。氏名・会場名が掲げられたもので、上位30名くらいだったかな。上位5位以内だと次回のテスト料は無料、15位以内なら半額だったか。いま思えば、分かりやすいというか、身も蓋もないというか、露骨なシステムですが、それくらいしないと塾がお客さんを集めにくい時代だったのでしょう。スポンサーたる親も納得するし、「免除券」を提示する本人も気恥ずかしいやら誇らしいやら、相応に効果はあったでしょう。私は2位が1度、15位以内が2度あっただけだったと思います。当時は首都圏会場しかなかったための、まぐれです。
・ちょっと「東京標準」でググッてみると、私の受けていたのとは少し違うシステムもあったようですね。地方合宿とか、空気椅子とか(体罰じゃん!)。私の方は1971~2年のことですから、まだまだ素朴な時期だったのかも。
・当時、東京標準(東京標準テスト)という塾がありました。日曜日のテスト代だけ払えばテストと解説が受けられる明朗会計。次回出題のポイント一覧をもらって予習し、試験を受けるというルーチン。小学5~6年のときに通ってましたが、途中で飽きてしまって脱落。よって「お受験」もナシ。一緒に通っていた友人たちとは、6年時にクラス替えのためバラバラになりましたが、O君・H君・T君は最後まで受験したようで、私学の付属中に合格したと噂に聞きました。このあたりから人生の下降線がはじまっていたのですね(笑)。
・「次回のポイント一覧」は、受験後に郵送される答案・得点通知と同時だったかもしれません。でも、それだと予習の日数が少なすぎるから、試験は2週に1度のペースだったのかも。1週単位だったら、すごいスピードで採点して郵送して、出題して印刷していたことになりますからね。企業としては何ということもないのかもしれませんが…… そういえば、テストをはじめ印刷物の原稿は、和文タイプのようでした。
・毎回の郵送では、成績優秀者一覧表も配布されました。氏名・会場名が掲げられたもので、上位30名くらいだったかな。上位5位以内だと次回のテスト料は無料、15位以内なら半額だったか。いま思えば、分かりやすいというか、身も蓋もないというか、露骨なシステムですが、それくらいしないと塾がお客さんを集めにくい時代だったのでしょう。スポンサーたる親も納得するし、「免除券」を提示する本人も気恥ずかしいやら誇らしいやら、相応に効果はあったでしょう。私は2位が1度、15位以内が2度あっただけだったと思います。当時は首都圏会場しかなかったための、まぐれです。
・ちょっと「東京標準」でググッてみると、私の受けていたのとは少し違うシステムもあったようですね。地方合宿とか、空気椅子とか(体罰じゃん!)。私の方は1971~2年のことですから、まだまだ素朴な時期だったのかも。