充電日記     

オフな話で一息を。

命令形+し。

2022年05月14日 | 方言
映画『空の青さを知る人よ』予告【10月11日(金)公開】


・日本語学会春季大会1日目。命令形+シという用法についての発表があった。もとは山梨方言なのかな。

・私が最初に想起したのは、この映画。ちょうど、その例が出てくる。短い予告編だけどね。

・秩父市が舞台のモデルらしいので、埼玉西部方言かなとも思ったけれど、若い人はどこでも使うのかな、今は。でも、山梨も隣県だしね。

マッカチン

2022年04月12日 | 方言
「六角精児の呑み鉄本線・日本旅」の「冬・日南線を呑む!」、2月にあった再放送を録画してまして、見ました。このあたりは一度旅行で行ったけれど、いやはや、全然違う視点からアプローチするから、全然知らないことばかり。

・小内海駅に降りて、昼食場所をさがす。と、地魚名物の食堂を発見。イセエビの立体看板もあります。「これ、イセエビって書いてあって、これマッカチンだったら、ちと、あれですけどね」。

・なつかしい言葉。子どものころ、マッカチンといえば、アメリカザリガニの成体。特に立派なものを、そう言ってましたね。ただし、私たちのアクセントだとHLLLL。(ざっくり言って)仮名2字めから低くなる発音です。六角さんは平板型(カレシ(彼氏))。

・こういうお店で食事するのが通かもしれませんね。つい、道の駅とかドライブインとかに頼っちゃいますがね。旅行中だとそういうものかな。地元じゃないと分からない。

「瞳」の方言

2020年07月01日 | 方言
・講義で山梨県の方言地図を読んでます。昨年は、専修大学のを使いました。一つ一つの記号を手書きしたとかいう、とても丁寧な作りのものです。

・が、今年は、COVID-19のため、ネットに上がってるものがいい。はて、困った。ままよと検索すれば、なんと、もう一つの「山梨県言語地図」がありました。こちらは都留文科大学版とでもいうべきものです。

・独自のルートがあるというか、山梨県の暮らしに直結した項目が多く採用されているのが注目されます。住んでる方だからこそ、ピンと来る方言差をすくいあげていて、とてもユニークな存在と思います。

・いろいろびっくりするのですが、「瞳」もその一つでしょうか

・オジゾーサン・ホトケサマ・メボトケなどが目を惹きます。おそらく、身体のなかでも重要な部位なので、それに見合った言葉を流用したということなんでしょう。他人の目を突くようなことにならないよう、自分の目も突つかれたりしないよう、気をつけようという意味あいがありそうです。

・目・瞳の方言だと、東北地方のマナコ・マナグが、日本語の古い形を伝えることもあって有名です。逆に、その程度のバリエーションがあるくらいだろうと、漠然と思ってたんです。そうではないことを、山梨の「瞳」の方言から教えられました。

「うます」

2011年07月31日 | 方言

・昨日、近くのスーパーで買ったひやむぎ。製造は三重県北部の会社です(四日市と鈴鹿の住所が書いてあった)。

・「うます」というのは、火を止めた余熱によって、引きつづき加熱することのようです。岐阜でも「うむす」「おむす」などの形で現われることがあるもののようです。共通語だと「蒸す」というより「蒸らす」に近い形か。

・「うます」のような方言形が注意書きに出てくるのは何やら嬉しいなぁ。とはいえ、「うます」や、その前身の「うむす」は、平安~鎌倉時代の辞書(『新撰字鏡』『観智院本類聚名義抄』)にも出てくる古いかたちです。

違いの利点

2011年05月14日 | 方言
・大戦中、日本とドイツは、物資のやりとりには潜水艦を使っていた。情報通信は、電話は盗聴されているので不可。暗号もほとんど解読されている。そこで……
 一つの案が出されて、当時、ドイツに置かれていた日本大使館の館員であった曾木氏と、外務省に勤務していた鹿児島県出身者の間で、早口の鹿児島弁で通話し合った。
 それを傍聴していたアメリカ情報部では内容が全く理解できず、その電話による連絡は見事に成功した。(吉村昭「小津映画と戦後の風景」『わたしの普段着』)

・近代日本は国力を培うため、国内の意思疎通を円滑にする必要があり、方言差を超越した標準語が求められた。このことは、方言は邪魔な存在であるという見方も醸成することがあった。そんな背景を思えば、このエピソードは実に愉快ですね。

・ところで『わたしの普段着』(H20)も新潮文庫版だけれど、先の『わたしの流儀』(H13)とは、書体が微妙に異なる。古い方は「い・う・え・こ・た・な・に・は・ほ」の各画(筆?)が独立している。が、新しい方は、筆の運びを伝えるかのように、細い線でつながっているのだ。「よ」などは終筆を左方に返すようにしている(撥ねている)。ちょっとシツコイぞ。古い方が簡潔で好きだなぁ。

・ただ『わたしの普段着』の方は、一回り大きな字であり、わずかに太くもなっている。老眼向けになっているのかもしれない。もう少しつきあえば、こちらの方が便利に思いそうではある。

・内容は『わたしの普段着』の方が面白く、読みさしにすることはなさそうである。

「床屋」

2011年05月11日 | 方言
 男の散髪は理髪師の世話になるが、私は床屋さんと言っている。江戸時代、床店で仕事をしていたことから髪結い床──床屋となった。(吉村昭「床屋さん」『わたしの普段着』)

・東京の日暮里生まれの吉村はこう言っている。私も「床屋さん」だ。それ以外の言い方を知らない訳じゃないが、まず言いつけているのは「床屋さん」。

・愚妻はさもおかしげである。大銀杏でも結った頭を想像しているらしい。「散髪屋でしょう?」などという。デジカメを「写真機」という人に笑われたくはないが、時代的には「床屋さん」の方が古そうで、旗色が悪い。

・ただ、吉村も多少揺れがあるらしい。口頭では「床屋さん」を専用するのだろうが、地の文では「理髪店」が普通のよう。ただ、使い分けがあるような無いような、で、興味深い。
 毛髪がとみに乏しくなってはいるものの、まだ少々は残っていて、理髪店に行かねばならない。
 ビールや調味料をとどけてくれる店の主人に適当な床屋さんがないかとたずねると、私の家から歩いて二十分ほどの理髪店がいいと教えてもらい、その店に足をむけた。(同)

・最後の「理髪店」、実は「床屋」と答えたのを、あまり「床屋」が続くのも芸がないとでも思って表記上の変化を求めて変えたのかもしれない。地の文か会話文か判然としない文体中であるのも面白い。

・愚妻は京都で似たような仕事をしているので簡単なアンケートをとってきた。関西出身のものはみな「散髪屋」であり、愛知県出身の人だけが「床屋」だったという。岐阜は「床屋」だと思うけれど、それこそ思い違いかもしれない。一度学生に教えてもらおう。(コメントしてくれると助かります)

追記)
やっぱり東西対立拡大地図)?

身近な東西対立語

2010年11月13日 | 方言
・国語学概論は、他の講座の学生も聞きにくる。出身地のバリエーションも少し増える。母音の無声化の話をしたあと、京都南部出身の子が、質問とも感想ともつかぬ話をしにきた。どんな形であれ、普段聞いてる側から話しにきてくれるのは嬉しい。

・ふと思いついて、聞いてみた。
「お醤油は、オショーユ? オショユー?」
「んん、オショーユですが、観光地の人はオショユーって言ってます」
「大丸とか、高島屋とか、そごうとか、ひっくるめて何ていう?」
「百貨店ですね」
「カメラと写真機なら、どっちを使う?」
「両方使います」
「お、使い分けとか、あるかな?」
「ん~、カメラっていうのが恥ずかしいときに、写真機っていいますね」
「おお。じゃぁ、『失う』っていう言葉、普段使うかな?」
「?」
「文脈あった方がいいね、『鈴付れば、鍵も失わんやろ』とか」
「はいはい、使います使います」

「ぺっ!」の方言差

2010年08月03日 | 方言
・口の中に異物が飛び込んだ。「ペッ、ペッ」と吐き出すことになる。生理的・物理的な反応だから、人間なら誰しも「ペッ、ペッ」とやりそうだ。いや、やるはずだ。というか、「誰しも」と考えること自体、別の誰かは別のことをすることを含意することになる。だから、正確には、そうした「誰しも」などという発想すら出てきっこないくらい、異物を吐くときは「ぺッ!」とやるものだと信じていた(いや、これも本当は変だ。「信じる」という言葉を持ち出す背後には、そうでない状況が……疲れるからやめる)。

・ところが、(少なくとも)津軽では「とっ!」とやるらしい。なんと地域差があるわけで、かなり驚いた。

・いや、方言すなわち言語と考えるから、びっくりするだけなのかも。ボディ・ランゲージの変形とでも考えれば、そう驚くこともない気がする。「ペッ」では異物を舌で唇付近まで運んでから飛ばすので両唇音〔p〕に(近い音に)なるのだろう。「とッ」は舌先で異物を直接吐きだすので〔t〕音に(近い音に)なるのだろう。そう、個々の音は、動作のついでに出てしまうのであって、〔p〕なり〔t〕なりを出そうとして出るものではない。とすれば、言語的・方言的に考えるにはおよばない。

・ただ、そうした行為をそれぞれ言語化するのに、「ぺっとしないか!」「とっとへさなか!」というように、おまけで出てくる音の方に注目することはありうるし、もっとも簡単ではある。となると、「ぺっ」「とっ」は方言差・地域差と認めることになるのだろう。

(いや、まだちょっと考えがおよんでないな。いつか再説)