充電日記     

オフな話で一息を。

「あらない」を使ってる人

2021年06月21日 | 文法
・いますね。木下杢太郎(1885-1945)『南蛮寺門前』

 妹の順礼 我等(わがら)は他国のものやほどに教へてくれいのう。
 第一の童子 このお寺は唯のお寺ではあらない
 妹の順礼 唯のお寺や無いとて、坊様が住むお寺やろがな。
 第一の童子 その坊様は真(まこと)の人間ではあらない
 妹の順礼 ほほ、真の人間で無いのやら、そんなら天狗(てんぐ)様かいのう。
 第一の童子 いやいや、天狗(てんぐ)様でもあらない。もつと怪(け)しいものぢや。


・ん~、どういうことなのか。滅多に現実世界では見聞きにしない言い方なので、役割語の必要条件は備えている形式である。となると、何らかの役割なり独特さを付与しようと使わせていることか疑われることになる。

・あるいは、方言性の演出?

「聞こえてよぅ~」

2020年10月09日 | 文法
・FBを開くと、その日と同じ日づけの過去記事を開いてくれる(タイミングがある)。で、2年前の今日、こんなことを書いていたらしい。
学会の準備で100均へ。
4歳くらいの子が、やや遠くにいる母親に呼びかけた。
「お母さ~ん、聞こえてよぅ~!」
こは珍しや。顔本の話題にせばや。よく見れば(普通、見ないと思うが、我ながら・・(^_^;)、母親は、イヤホンをつけてる。なるほど、聞こえなかったり、聞こえないフリをしたりするのかな。イヤホンをとって、しっかり聞いてくれ、との含意が叫びにはあるか? ちょっと違う? 自動詞の使い方として妙味あり?

・すっかり忘れてました。やっぱり、日記とかメモとかは残しておくものですね。

・COVID-19関連で、講義がwebで配信/中継(?)するようになりましたが、これだとポタン一つで録画してくれますね。結構、ありがたい。講義では、ノートをもとにお話ししますが、その時々の、学生の様子を察知して、別の説明の仕方で話したり、類例を追加したりします。まあ、アドリブになるわけです。それを残しておけたら、次の講義にも役立つなあと思ったりしてます。が、よく考えると、その時々の反応で時々に対応するわけですから、メモを採ったにしても次の機会で役立つとはかぎらないわけで・・・などと心のどこかで思うからから、講義後にアドリブのメモはしません。が、やっぱりよくよく考えると参考事例はいくらあってもよいわけだから・・・

「あらない」を使いたい人

2020年02月26日 | 文法
・たいていの日本語の動詞は、未然形に「ない」をつけることで否定の意味を表せる。ところが、何事も例外はあるもので、「ある」には「ない」が付かない。ちょっと丁寧な国語辞典なら(注記風にでも)書いてあることだ(デジタル大辞泉)。しかたないので、「ある」の反対語は「ない」という形容詞が担うことになっている。

・ただ、まれに「あらない」を使う向きもある。最近、話題になったのは、村上春樹『騎士団長殺し』。「私」を「あたし」と言ったり、「思ったんだ」を「思うたんだ」とウ音便にしたりと、言葉の上で、共通語はずしをやってるのが面白いが、やはり「あらない」が強烈。「ない」で済むはずだから。

・この場合は、まあ、キャラ付けということなんでしょうけれどね。標準のはずしまくりキャラというところがちょっと気になるところかな。

・ただ、真剣に表現の問題として、「ない」だけではもの足りず、「あらない」と言わねばならない、是非とも使いたいという、心情の吐露に出会った。
「ふたがしてない」では重みが足りなくて、何所かおかしい。まちがっている。「ふたがして……」。「ふたがしてあらない」と書きたいのだが、「あらない」という言葉はないようだ。「あらぬ」と言うと、此所までの調子と違ってしまう。「してない」では形が美しくない。「あらない」と言いたい。このインキつぼが、かぶるものなしで落ち着いている様子は、「あらない」と言うべきだ。この一つの言葉が許されない。明らかにこの事が言いたいのに、なぜ言葉の命じるままにこれをねじまげて、嘘を言わなくてはならないか。(『ことばと創造 鶴見俊輔コレクション4』)
・特殊な場面ではある、この引用の前の方には「机の上の物を写して、作文にまとめようとした」とある。いわば、言語による写生を試みているわけだ。絵画の写生の言語版。となれば、対象物を見つめるにも普段とは集中力が異なる。当然、よりよく写すために言語感覚も研ぎ澄まされる。そういう、いわば非日常的な状況だからこそ、日常的に使用している言葉への内省が深まっているシチュエーション。いつもいつも「あらない」を使いたいと思っているわけではあるまい。

・特別な事情があるとはいえ、「あらない」にたどりつき、その美点を見いだしている点に注意はしたい。もちろん、「ない」としか書けない共通語の縛りとのせめぎ合いに注目するところであるが、その状況を生んだのは、鶴見における「アラナイの発見」によるのだから、まずはそこに注目したい。

・どうぞ書いてください、と言ってやりたいことである。

「さされる」

2013年03月23日 | 文法
・伝記を読むのもたまにはいい。と、長尾真『情報を読む力、学問する心』(ミネルヴァ書房)を拾い読みしています。書き言葉ですから共通語的な表現しか出てきませんが、こういう例も見られました。
 また丹羽教授に呼び出され、いろいろと説得され、とうとう引き受ける決心をさされてしまった。(152ページ)

 いろいろ押し問答をしたが、結局引き受けさされてしまった。(161ページ)


・私は「させられてしまった」と書きますが、長尾さんの生まれ育った関西、あるいはそのなかの、どこかの方言形なのでしょう。『大辞林』だと、「浄瑠璃・二つ腹帯」の用例も紹介しています。古くからの関西方言の表現のようです。

・ところで、『大辞林』は「使役の助動詞「させる」に受け身・可能の助動詞「られる」の付いた「させられる」の転」と説明してます。まぁ、それでもいいのかもしれませんが、「決心(を)さす」+「れる」とか、「引き受けさす」+「れる」の方が話が早そうです。どうでしょうか。サスで使役を現わすことが関西方言に多い、ということが確認できればよいことになりますが。


「~しずに」

2011年01月04日 | 文法
・某先生からの年賀状で教えていただきました。美濃地方(飛騨も?)の皆様、喜びましょう。
 三遊亭円朝「金の勘定を仕ずに来た
 芥川龍之介『杜子春』右頁3行目。「何とも返事をしずにゐました。」

・しかし、迂闊だった。古い東京の例があったか。見れば『日本国語大辞典』も補注で触れてますね。二葉亭四迷と徳田秋水の例あり。方言の方が変化が進んでいる例としてきたけれど、ちょっと注釈が必要になるか。

・ただ、これらの例はスル単独の例ばかりのよう。岐阜のように「スケッチしずに」という(動作性)名詞+スルの例はないのかもしれない。ならばなお、方言の方が進んでいる例としうるか。新しい部分は違うけれど。

・新古の判断は一筋縄ではいかないですね。円朝ら東京の「しずに」は、スルが助動詞ナイを下接したシ・ナイが元なのでしょう(違うかな)。ナイ=ズだからシ・ズでもよいはずと内省されて生まれた新しい形でしょう。でも東京ではすでに滅んでいる。新しくて古い?

・年賀状、申し訳ありません。年を越してから出してしまいました。その理由はここには書けません。御受け取りになった方だけ、お笑いくださいませ。武士の情け、他言無用!


「私のこと(を)好きなの?」の「こと」

2010年10月03日 | 文法
・そうそう、昨日の研究会で不審に思ってたことが解けた。もちろん、きちんと現代語文法を勉強していればよいし、調べもすればよいのですが、つい放置してしまいます。

・それは、形式名詞と呼ばれる「こと」の一種の用法。

 a)私のこと(を)、どう思っているの?
 b)私を、どう思っているの?

この2つ、意味としては同じですね。だったら「こと」の働きは何なのか? なくてもいいのか? いや、あった方が落ち着きがいいということはあるか。

・この世にさまざまなモノ・コトがあるけれど、ざっくり言って、人間が動作・行為をする側になることが多く、それ以外のモノが動作・行為を受ける対象になりやすい。動物も人間に準ずるものと考えてもいい。路傍の石とかは意志もなく、みずからは動かないので動作・行為を受けるばかりの存在。数直線を頭に描いて、さまざまなモノをプロットしてみる。

・文aの「私」は、そういう原則とは反対ですよ、人間なんだから動作・行為をする側なんですが、この文では逆に動作・行為を受ける側として登場してますよ、と明示するのが「こと」の働きなんだそうです。

・とすれば、もうこれは助詞並みの言葉だ。語源とか形式名詞とかで考えていては限界があって、虚心に見ることが必要なんだね。なまじ「分かって」しまうことが邪魔になることもある。

・文aでは「を」が落ちることもあり、それがむしろ自然だとすれば、「受け手を強調するコト」の働きが効いている証拠。効いているから「を」は余計なのだ。文bでは「を」を落せない。主語になっちゃうからね。人間を表す名詞が1つしかなければ、原則どおりに動作・行為をする側に振り分けられるから。

「見つけるんだよっ!」

2010年01月22日 | 文法
・ううう、この時期、放電気味ですね。ふらふらと深夜にテレビをつければ、例の「とある科学の~」をやっていたので鑑賞。
・ビッグスパイダーの頭目が
 「(敵を)さがすんじゃねーんだ。見つけるんだよッ!」
と叫んでました。「さがす」は動作しか表さないが、「見つける」は動作による結果まで含めて表せる形式。シナリオ、なかなかできるな(先例があるのかな)。早津恵美子さんが喜びそうな実例?
・ところで「有対他動詞」って、ユウツイ? ユウタイ? 私は前者に読みなしてしまうけれど。

*そだそだ、gyaoで1週間だけ見られるようです。15分50秒(残り時間だと8分)のところ。

「去るる」

2008年02月03日 | 文法
・さて、マイフィールド(岐阜市内)の駐車場近くに、新しい看板ができてました。どこかのロータリークラブの会長さんだかが就任記念で植樹したのだそう。立派な看板ですが、内容はぶっきらぼう。本家・薄墨桜から分枝(とでもいうのか?)したとかなんとか、その辺の事情説明がほしい。本家ではないのだから。
・「一五〇〇年余年前」。ううむ。「一五〇〇余年前」か「一五〇〇年余(あまり)前」が普通でしょうか。「一五〇〇有余年前」でもよし。「前」を不要とする向きもありますか。
・「この地を去るる」。ふむむむぅ。「去られる」(尊敬)だと思うのですが、なぜルルになったのか、はなはだ興味深い。五段活用だけれどラ抜きとかの関係を意識しすぎたか。さらには、二段活用への類推らしきこともあったのか。

「にぎやいだ」

2007年04月12日 | 文法
・以前にもとりあげた「にぎやいだ」。トワ・エ・モワのCD『harvest』の「名画座」という曲にあるのですが、試聴サイトを見つけました。ただし、肝心の歌詞がちょうどまさにフェードアウトをかけられていて、ほぼ聞き取れないのが残念。■リンク■