Toi et Moi (トワ・エ・モワ) - Meigaza (名画座)
・「にぎやいだ」(←にぎやぐ?)の出てくる歌です。以前にも話題にしました。
・「にぎやいだ」(←にぎやぐ?)の出てくる歌です。以前にも話題にしました。
妹の順礼 我等(わがら)は他国のものやほどに教へてくれいのう。
第一の童子 このお寺は唯のお寺ではあらない。
妹の順礼 唯のお寺や無いとて、坊様が住むお寺やろがな。
第一の童子 その坊様は真(まこと)の人間ではあらない。
妹の順礼 ほほ、真の人間で無いのやら、そんなら天狗(てんぐ)様かいのう。
第一の童子 いやいや、天狗(てんぐ)様でもあらない。もつと怪(け)しいものぢや。
学会の準備で100均へ。
4歳くらいの子が、やや遠くにいる母親に呼びかけた。
「お母さ~ん、聞こえてよぅ~!」
こは珍しや。顔本の話題にせばや。よく見れば(普通、見ないと思うが、我ながら・・(^_^;)、母親は、イヤホンをつけてる。なるほど、聞こえなかったり、聞こえないフリをしたりするのかな。イヤホンをとって、しっかり聞いてくれ、との含意が叫びにはあるか? ちょっと違う? 自動詞の使い方として妙味あり?
「ふたがしてない」では重みが足りなくて、何所かおかしい。まちがっている。「ふたがして……」。「ふたがしてあらない」と書きたいのだが、「あらない」という言葉はないようだ。「あらぬ」と言うと、此所までの調子と違ってしまう。「してない」では形が美しくない。「あらない」と言いたい。このインキつぼが、かぶるものなしで落ち着いている様子は、「あらない」と言うべきだ。この一つの言葉が許されない。明らかにこの事が言いたいのに、なぜ言葉の命じるままにこれをねじまげて、嘘を言わなくてはならないか。(『ことばと創造 鶴見俊輔コレクション4』)・特殊な場面ではある、この引用の前の方には「机の上の物を写して、作文にまとめようとした」とある。いわば、言語による写生を試みているわけだ。絵画の写生の言語版。となれば、対象物を見つめるにも普段とは集中力が異なる。当然、よりよく写すために言語感覚も研ぎ澄まされる。そういう、いわば非日常的な状況だからこそ、日常的に使用している言葉への内省が深まっているシチュエーション。いつもいつも「あらない」を使いたいと思っているわけではあるまい。
また丹羽教授に呼び出され、いろいろと説得され、とうとう引き受ける決心をさされてしまった。(152ページ)
いろいろ押し問答をしたが、結局引き受けさされてしまった。(161ページ)