中原聖乃の研究ブログ

研究成果や日々の生活の中で考えたことを発信していきます。

米国で、核セキュリティサミットに参加しました。

2018-12-14 23:10:28 | 研究報告

たった4日間のワシントン滞在。今回はジョージタウン大学で行われた核セキュリティサミットに参加した。私も講演者のひとり。しかも、はじめての海外での招待講演者。この会議で話をしたのは、大学関係者が多かったが、国務省、エネルギー省、軍事研究機関などの政府関係者も3分の1位いた。話題は、核兵器の国際管理、原子力の核サイクルなどが中心。そして登壇するはずだったマーシャル諸島の核実験被害者側の弁護士は急きょキャンセル。つまり、私は完全にアウエイ(笑)

昼食会でのみなさんのお話は興味深かった。会議では、ウランサイクルも話題となったので、マンハッタン計画で使用されたウランがどこで生産されたのか、どのように輸送されたのか昼食中に伺ったが、「広島長崎のことはごめんなさい。でもそんなに興味あるのなら、ウラン持って帰ったらいい」と言われる。「私はウランが欲しいのではなく、ウラン輸送ルートの情報が欲しいのよ。」と真剣な顔で答える。周りのみんなもにやにやしている。

それにしても、ウランで被害をうけた国に、ウラン持って帰ったらいいなんて、やっぱり、つねった人は、つねられた人の気持ちはわからないんだなあ、と残念に思う。ワシントン出張の帰り、掛川で行われた大学共同利用機関法人によるの討論会に参加したが、ここで、「社会的経済的に地位の高い人は、他の人の気持ちを考えることが苦手」という発言があったが、構造が似ている、と思う。

昼食後は私の発表のセッション。別の方は国際放射線防護委員会(IAEA)について、そして私がマーシャル諸島の被ばく者の伝統的暮らしとその中で起こった被害体験。質問の時間になると「その女性の話も面白かったが、IAEAの・・・・」と質問がIAEAに集中する。アメリカというのはもっとポライトに議論を進める国だと思っていたので、名前を呼ばずに「その女性」といういい方で反感を示すのは、残念だなあ、と思う。社会的経済的に地位の高い方だからこうなってしまうのだなあ。

ただ、質疑応答が終ってから、ある研究者が私の発表が面白かったと言って、声をかけてくださった。これからも連絡を取り合うことになったのだが、このことからわかるのは、自分の考えを、意見の異なる人が多いとわかっている場で率直に述べるのは、物おじせずに語ると言われるアメリカ人でさえも難しいということだ。原子力問題・核兵器問題は、生活に直結している被害もあるとはいえ、生活の問題として語るのは勇気のいることなのだ。

(会議での写真は全くとらなかったので、せめて懇親会後のクリスマスイルミネーションがきれいなジョージタウンの街並みを)

核問題は、少しずつしか進展しない。変化があったとしてもそんな変化は意味がないと批判されるほどにしか変化しかない場合もある。でも、そのほんの少しの進展の影には多くの人の地道な努力や、上層部への勇気ある説得などが隠れているかもしれない。そうして起こった少しの進展を無駄にすることなく、すこしでも良い方向に進めることに私も参加できたらと思う。

今回のワシントン出張では、アフリカンアメリカン文化歴史博物館(African American Culture and History Museum)に立ち寄った。展示を見てつくづく思う。いま奴隷を使って利益を上げることは公にはできなくなっている。でも、アメリカで奴隷制が始まって奴隷解放宣言まで、実に200年以上の歳月が必要だった。その間、奴隷は安価な労働力として当たり前の存在だった。壮大な環境汚染をもたらし続けている核テクノロジーの使用を禁止するまでにも、多くの時間がかかるに違いない。

この博物館は、実は2回目の見学。この博物館は、他の博物館と違う雰囲気がある。多くの人が展示の説明文を真剣に読み、じっと考えている横顔、すすり泣く声、深い感慨を伴ったため息、、、こうした雰囲気のなかで、洗練された展示物の中を歩いていると、歴史を生きてきた、あるいは歴史を変えてきた一人ひとりの人と対話としているかのようだ。博物館展示に背中を押されているような気持ちになるのだ。

最後に、私のお気に入りの展示物を一つ。奴隷解放宣言からほどなくして、人びとは自分の家族を探し始める。人びとは、旅人に尋ねたり、広告を利用したり。この手紙は、家族を探す手紙。こうした家族探しは、20世紀初頭まで続いたという。

きっとまたこの博物館に来ると思う。