中原聖乃の研究ブログ

研究成果や日々の生活の中で考えたことを発信していきます。

共著出版のお知らせ

2015-05-06 19:45:08 | 研究報告

かなり遅い報告ですが、3月末に共著が出版されました。

足羽與志子・中野聡・吉田裕編『平和と和解―思想・経験・方法 一橋大学大学院社会学研究科先端課題研究叢書6』旬報社、2015年3月。

わたしは「科学がうち消す被ばく者の「声」-マーシャル諸島核実験損害賠償問題をめぐって」を書きました。

以下出版社HPです。

http://www.junposha.com/catalog/product_info.php/products_id/986

 

HPより抜粋

「平和と和解」がなぜかくも困難なのか—。冷戦終焉後の国際社会で国際公共政策上の重要課題として位置づけられてきた平和構築や「移行期の正義」論などとの対話と協働を意識しつつ、「平和と和解」が政策課題となったとたんに抜け落ちてしまうような思想・経験・方法といった領域の諸問題について検討する。

解説 中野 聡 

 第 I 部 思 想
第1章 マハートマー・ガーンディー晩年における「世俗主義」について 間永次郎
第2章 W・ジェイムズの反帝国主義—プラグマティズムと平和主義についての一考察 清水由希江 
第3章 自然の「美しさ」をめぐる争いと制度—アメリカ国立公園局によるミッション66計画を事例に 寺崎陽子
第4章 育てる身体と感覚—『養蚕秘録』に見る人間と蚕の関係 沢辺満智子
   
 第 II 部 経 験
第5章 非政治的な価値をめぐる政治性—広島と人道主義 根本雅也
第6章 十五年戦争と元・兵士の心的外傷—神奈川県の精神医療施設に入院した患者の戦後史 中村江里
第7章 黒人運動の「外交」—全米黒人向上協会(NAACP)、国際連合と冷戦 小阪裕城 
第8章 アメリカ合衆国における中東平和アクティビズムの形成一九六七年以降のアメリカ・フレンド奉仕会のアラブ・イスラエル紛争への取り組みから 佐藤雅哉
第9章 科学がうち消す被ばく者の「声」—マーシャル諸島核実験損害賠償問題をめぐって 中原聖乃 
第10章 記憶をうしなった「たったひとりの生きのこり」 六歳スペイン少女のその後—マニラ戦スペイン総領事館襲撃事件(一九四五年) 荒沢千賀子
 
 第 III 部 方 法
第11章 フランス・ドイツの歴史研究における「極東」への関心 シャンタル・メジェ 
第12章 行動の神経生物学と攻撃に関する個体群生物進化のいくつかのデータとそれがもつ意味について クロード・ドゥブリュ 
第13章 トラウマを耕す:ドゥブリュ教授の報告への応答 宮地尚子/菊池美名子 
第14章 暴力の表象と文学ジャンルの倫理—ジョナサン・リテル『慈しみの女神たち』からカタルシスのリベルタン批評へ ジャン・シャルル・ダルモン
第15章 翻訳者の使命、あるいは虚構に倫理を見出すことの困難さについて—ダルモン教授の報告への応答 有田英也
第16章 討論から クロード・ドゥブリュ+宮地尚子+有田英也+ジャン・シャルル・ダルモン+シャンタル・メジェ


マーシャル諸島の言語はたった一つ

2015-05-06 18:49:38 | マーシャル諸島の紹介

 

 ヴァヌアツ共和国という国が赤道より南の太平洋上にあります。ブータン王国とならんで「幸せだなあ」と考える国民の割合が世界一高い国とも言われていますが、海域面積(排他的経済水域)68km²、国土面積12200km²、人口20万人の国に、100を超える言語が話されています。方言ではなく本当に通じないため、植民地時代に生み出されたピジン語が共通語として用いられています。なんとニューギニア島(西半分がインドネシア、東半分がパプアニューギニア)には言語が850もあると言われています。

 それではマーシャル諸島はどうでしょうか。海域面積は213万平方キロメートル、国土面積は181km²、人口は約5万人です。ここにどのくらいの言語集団がいるのでしょうか。

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 答えは一つです。こんなに広い海域にたった一つの言語しか存在しないのです。なぜヴァヌアツは一つの言語につき2000人程度の話者しかおらず、マーシャル諸島では5万人もの人が一つの言語を話しているのでしょうか。

 それは災害時の対処の仕方の違いにありそうです。干ばつや台風といった災害はヴァヌアツでもマーシャルでもやってきます。20153月ヴァヌアツを大きな台風が襲ったことは記憶に新しいことと思います。

 災害時の対処として、ヴァヌアツなどの火山島では土壌も豊かで豊富な食料の収穫が見込めることと、一人当たりの土地が広いことで、余剰の土地を利用できる可能性はないでしょうか。他方、海抜2メートルしかないマーシャル諸島の環礁では、災害に襲われるとひとたまりもなく、一つの環礁の資源だけでは長期にわたる生存は難しかったはずです。だから危機的な災害時には助けてもらう、あるいは思い切って移住をする必要があったのでしょう。もちろん見ず知らずの人に助けてもらうのは、さすがに気が引けますから、普段から広い海域に散在する島々の間で知り合いを作ろうとしたのではないでしょうか。この交流が言語を一つにまとめていったのだと私は考えます。

 マーシャルでは「はじめに言葉ありき」というよりも、「はじめに行いありき」そして、いつのまにか「言葉ひとつになりぬ」なのです。