午後2時25分過ぎ成田到着。
税関はすんなり通過で逆に(@_@;)。
シカゴでは靴を脱いで、バッグの奥に入っていたペットボトルで引っかかり、他の座員はプラス上着を脱いだりベルトを外したり。
デモインでも靴を脱ぎました。
底が厚いとNGみたい。
目に入る日本語の案内板に安心感。
迎えに来てくれた座員2台の車に分乗。
山が見えるって良いです!
途中のGS、ガソリンの価格が下がっていてビックリ!!
石川パーキングで帰国初のソフトクリーム。
リクエストに答えてくれて夕飯は回転寿司。
生物が食べたかった。
宿泊先を7時に出発。
デモイン空港からデンバー空港へ。
わずかな期間でしたが一緒に過ごした時間の濃さ。
別れは寂しさがありました。。。
感動の見送りから理由はわかりませんが搭乗したものの一時間経っても離陸せず焦りました。
乗り継ぎ、間に合うのか??
デンバーはサマータイムで一時間のずれでした。
それでもデンバーから成田までの搭乗時間は迫り、空港を小走りしてギリギリ間に合いました。
ほぼ最後の方。11時。
デモインで預けた荷物はそのまま成田まで。
到着まで11時間(>_<)
成田まで3本の映画を見ました。
アイミタガイ
ディア・ファミリー
シークレット・ヘッドクォーターズ
日本映画は泣けた(T_T)
機内食。
美味しくない(^_^;)
孫、果物とお菓子、パン以外食べず。。。
おやつ
夕ご飯
朝ごはん
昼ごはん
アイオワ最後の公演はcommunity playhouse(デモイン・コミュニティ・プレイハウス)にて。
11時45分出発なのでゆっくりできました。
朝食はできるだけ食べきろうと冷蔵庫にあるもので。
玉子を頼んでおいたので孫のために甘い玉子焼きを焼くもあまり食べてくれず…
孫は天気も良くはじめて外で遊んだり、わんちゃんと散歩の人の挨拶に答えたり。
公演はアジア祭りのプロモーションの甲斐あって駆け込みの当日券含め230人の観客を集められました。
会場は先日のベーカリーカフェの隣で広さは文学館ほど。
有料公演としての緊張感を持って遣います。
外の電光掲示板にも!
幕の裏側
アイオワ日米協会の代表のご挨拶からスタート
太鼓演奏
前日もアジア祭りで聞きましたが迫力くある音でした。
さくらさくら
人形の歴史
三番叟
人形紹介
三人遣いの解説
団子売り
座員紹介
夕焼け小焼け
質疑応答
たくさんの質問を受けました。
お見送りで記念撮影にも対応。
座員紹介の際、サプライズ。
25日は誕生日でもあり230人プラス座員、スタッフがHAPPY BIRTHDAYを歌ったくれ涙涙涙。。。。。
こんな大きなプレゼントは64回目で初めてです。
お見送りの時にも、歌いましょうか?
泣いちゃうので、勘弁してくださ~い。
どこの会場でも座員紹介で孫の芸歴6年に皆さんびっくり!
今8歳。初舞台は3歳で県立文学館公演の三番叟の足遣い。
赤ちゃんの時から稽古場に居ましたのでここらスタートがハッキリわかりません。
立ち上がって足がつかめるようになったのがたぶん2歳前後。
左遣いは手が小さいので片手では持てず両手でつかんでいました。
終わって帰宅し、残り物食べきり打ち上げ。
ここでもバースデーカードをいただき再び涙。。。
おまけ参加の孫の分の交通費が日本円で確定。
円が来たときより高くなったので1万ほど安くはなったもののかなり良い冷蔵庫が買えるほど。
本当のことではありますが建前上高いとこ狭いところが嫌いしていたけど一番の理由は後遺症。
こちらの方もナントかクリアでき最終日を迎えることができました。
帰ったら回転寿司に行きたい、ウォシュレット使いたい。
こちらでは一度もウァシュレットに出会わず。
どこも便器、大きくて高さがありました。
ハンドブロワーも日本は水滴の受けがありますがこちらは形は違えど風が強く、周りにまき散らしでした。
さて、明日はデモインからデンバーへ、そして成田へ
6月7日土曜日。
都留市のうぐいすホールにて、“花こま”さんの公演が行われます。
花こまさんは一人遣いで箱車に座って人形を操ります。
江戸から明治への移行時期に、現在の昭島市で発明された一人遣いの人形を元に、背柱(せちゅう)という人形構造に新たな工夫を加えました。
笹子追分人形は三人遣いでの追分の三番叟を披露します。
一人遣いと三人遣いの違いもお楽しみください。
アジア祭二日目、今日は10時45分出発で会場へ。
昨日は信玄公祭くらいの混み方だと思っていたら今日は倍以上の混み方。
人形が珍しいため、JAPANブースもひっきりなしに覗いてくれました。
明日の公演のためのいい宣伝になりました。
一周してみましたがどこのブースも長い行列。
20ドル両替してもらいましたが怖いので何も買わず。
天気は良かったのてすが昼過ぎには曇りとなり風が冷たい。
4時、いよいよ出番。
他の団体より大きな歓声をいただき、ありがたいやら申し訳ないやら。
出るまでは緊張しました。
なんたって1,000人以上の観客の前で遣うのは初めて。
さくらさくらが終わって歓声が上がりテンションUP!
もちろん歓声も初めて。
人形芝居の歴史解説
なし割りもウケました。
三人遣いの人形解説もウケました。
三番叟もたくさんの歓声を受けました。
夕飯は帰りにオーガニックストアで好きなものを選んで帰宅。
久しぶりにゆっくり食べられました。
お寿司ですが、海苔が内側はやっぱ違和感。
明日はいよいよ有料の最終公演。
チケットの売上がアジア祭での宣伝の効果もあり増えました。
アジア祭り、到着が昼でokになり出発が11時。
ゆっくり朝食。
パンケーキと目玉焼き
孫も、課題に取り組めました。
聞いていた通り、午後三時過ぎると人出が多くなりました。
グルっと見て回りましたが何を使っているのか、どんな味なのかわからず、、、手持ちは12ドルだし、、、外れにあって行列のなかったベトナムのタピオカジュースを片言の英語で購入。8ドルでした。量は多いです。
ジャパンブース
日米協会の方たちは法被を着用。
アイオワで一番高いビルと杵造さん
ウォーターメロン(スイカ)ジュース
公演は明日のため宣伝活動
お昼はジャパンブースの餃子と豚丼
人が多くなったところで人形を持ってぐるっと一周。
夜はシカゴ領事館の方と夕食。
ここもナニを頼んでもシェアサイズ。
孫が選んだジュニアハンバーガー。
日本では珍しい?パンの表面サクサク。
唯一お代わりしたフィッシュ&チップス😁
















広辞苑からONE PIECE、鬼滅の刃、コナンなどのコミックまでたくさんの蔵書にびっくり
































反応もよく、やりがいあり。質問もたくさん。













第二次世界大戦中、山本とも子という女性がサンフランシスコで伝統的な日本の茶室を経営していた。
茶室は釘を使わずに建てられていたため、解体して箱詰めして移動が可能だったが、アイオワ州の新居に再建されることはなかった。
山本氏とハッテンロッチャー氏の死後、茶室の資材はデモイン市に寄贈され、倉庫に保管されたまま、ほぼ忘れ去られていた。
その後、1993年の洪水で資材が水没する寸前に、アイオワ日米協会 (JASI) により発見された。
現在、この茶室はフランクリン・イベント・センター (48丁目とフランクリン通り) にあるJASI 本部に再建された。
協会は将来的に、この茶室を屋外の中庭に移動し、ガラス張りの新たなシェルターで一般公開したいと考えている。
再建プロジェクトを主導するベン・モロイは、日本の伝統的な茶室がリラックスや人々を結びつけ、和解を促す集まりに利用される場所であると語っている。
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トイレの高さが違ってました。

