随縁記

つれづれなるままに、ものの歴史や、社会に対して思いつくことどもを記す

阪神タイガース

2005-09-30 12:27:18 | 趣味
東京から大阪へ転勤してから、初めて阪神ファンになった。
とにかく大阪人の阪神への応援は凄く、在阪のラジオやテレビのキャスターには熱狂的な阪神ファンがいて、臆面もなく阪神が負けるとボヤいていた。
それが妙に印象に残り、知らず知らず阪神ファンになっていった。
大阪へきた翌年の1985年に、吉田義男監督の阪神タイガースは優勝した。当時は、三冠王、首位打者のバースを中心に、掛布・岡田というクリーンアップ打線が活躍して、関西を熱狂させてついに優勝を勝ち取った。
さらに日本シリーズで、4勝2敗で西武を破り、リーグ分立後初の日本一となった。

阪神ファンになってから、それから17年も優勝から遠ざかった。やっぱり今日も負けたかと、弱い阪神にため息が出た。
熱狂的なファンではなかったし、仕事に追われる日々であったから、それ程ではなかったが、やはり試合の結果だけは気になった。
17年間のシーズン結果は、なんと最下位が10回、5位が2回もある。これでは、ファンに成り甲斐がない。
監督もいろいろ代わったが、野村克也監督の時には期待した。しかし、結果は三年とも最下位であった。これは、監督としての裁量権がなく、野球を知らない阪神球団のオーナーやフロントに憤慨もして、ファンを辞めた。

ところが、あの情熱的な星野仙一監督がやって来た。そして二年目には、17年振りという本当に久しぶりの優勝をもたらしてくれた。
長年、最下位に苦しんでいた阪神ファンは、その喜びに打ち震え泪が溢れた。
熱狂的なファンは、おとなしく家に居ることが出来ず、だれかと喜びを分かち合いたく、自然と道頓堀に集まってきた。
一昨年は、あの道頓堀といわず、阪神間では異常な興奮状態を演じた。これには、大阪に二十年近く住んでいる私自身も驚く程の、阪神ファンのエネルギー発散方法であった。
それだけ蓄積された憤懣が大爆発したのだろう。

星野仙一監督が二年で辞め、岡田彰布監督となったが、昨年はまたまた四位に低迷した。前年優勝した実力あるチームが、翌年どうして低迷するのか、やはり野球は監督の技量次第なのかと落胆した。
また、十年以上も優勝と縁のない、弱い阪神に転落かと思っていたが、今年の阪神は違った。つまり、岡田彰布監督自身が変わったのである。
あの強烈な個性の星野仙一監督の跡を継いで、その路線を踏襲したから低迷したという事に気が付いた。

岡田彰布は、本来確かな野球技術と理論を持ち、野球に必要なものは全て備えている、したたかな勝負師でもあった。
阪神の二軍監督として、ウェスタンリーグで三度も優勝している。それは、選手の才能と適正を見抜く確かな目を持っていたことの証拠でもある。

今年の岡田彰布監督は、本来の自己の持っている野球の原点に戻り、本来のしたたかな勝負師に戻った。大胆な内野陣のコンバートを実行している。金本、今岡のクリーンアップも成功した。また、押さえのJFKコンビも誕生した。
しかし以外に頑固で、なかなか方針を変更せず、選手交代を遅らせて負けた試合も多い。
しかし、それが選手のやる気を引き出したのであろう。

指揮官の仕事は、やはり選手のやる気を如何に引き出すかである。
星野仙一前監督と岡田彰布監督とは、まるでその性格や手法が異なるように見えるが、結果としては、選手のやる気をうまく引き出したと云えるだろう。
兎も角、関西在住の人間として、常勝猛虎タイガースの誕生を願っている。

関西人は、伝統的にアンチ巨人であり、アンチ中央(東京)であり、阪神タイガースが元気であれば、関西は元気である。
関西が元気であれば、日本の経済も元気になるような気がする。
日銀の福井総裁だって、関西人だ。