時戻素

昔の跡,やがてなくなる予定のもの,変化していくもの,自身の旅の跡など・・・

(No.21) 西之谷集落

2008年11月15日 02時10分10秒 | 過去になる現在
※写真撮影日はすべて2008年11月14日。

西之谷という名前を聞いてもどこにあるかなかなかイメージのつかないだろう。自分自身,この集落を訪れたのは,そこに行こうと思って行ったのではなく,新川を遡っている途中に通過したのがここだった。2度目も,いずれこのブログで紹介する予定の「新川の遡上」のための写真を撮りにいくのが目的だった。1回目(5月)に一度訪れたときは違和感は感じつつもこの風景がもうすぐ見られなくなるなんて考えてもいなかった。この集落に現状について書いていきたい。

 西之谷集落へ向かうのは田上八丁目の松元方へ向かう県道がせまくなる辺りで細かい道のほうへ曲がっていく。
 その道を進むと新幹線の高架の下を通る。


 高架下をくぐりしばらく道なりに行くと,紅葉(もみじ)橋という橋がある。


 橋を越えると道路が急に真新しくなる。一方川沿いの旧道も見られるが柵があり,歩行者の通行禁止と書かれている。(もちろん柵でふさがれているので車やバイクも通れない。)
 この辺りの道路は通行量が少なく,旧道もそんなに荒れていないのに,なぜこんなにきれいな道を作ったのだろうと思いつつ,進んでいった。新道は高いところにあり,たまに旧道や川を見下ろすことができる。しばらくすると次のような風景が見られた。


 かなり大規模な工事をしている。トラックなどが通過するために片側相互通行が行われていた。
 工事の様子を見ながら,さらに進んでいく。


 何のための工事なのか知る手がかりがあった。先ほどからも時折見かけている「ダム用地につき立ち入り禁止」の看板だ。どうやらここにダムを作るようだ。しかし,今はダムの気配すら感じられないような場所だ。どのようなダムができるのか想像がつかなかった。
 あと,この場所,町内会の誓いの看板や掲示板があることから,かつては地域の公民館がここにあったのではないかと思われた。
 そして,写真の奥に鳥居が見える。


 神社にしては,何かさびしいつくりだ。


 祠の前へ行ってみると,中には何もなかった。
 「西之谷八幡宮」というようだ。ダムの建設のために公民館とともに壊されてしまったのだろうか?


 と,思っていると奥のほうに新しそうな建物が見えた。
 とりあえず,そちらへ行ってみる。


 西之谷公民館だ。工事のために,この場所に移動されたのだろう。
 奥をみると鳥居が見える。 


 やはり,「西之谷八幡宮」だった。
 さきほどの祠の中身はすべてこちらへ移されたのだろう。


 先ほどの公民館の跡と思われる場所へ戻ってみる。
 来た道の方に,家の車庫の跡と思われるコンクリートの構造物が見える。
 ダム建設のために移動したのだろう。

 また,先ほどの公民館が移された場所の方を見てみる。



 少し高いところに道路が見える。
 今いるところもやがて旧道になり,ダムの用地となっていくのだろう。

 ということは,この辺りはダムができると水没してしまうのだろうかという考えが頭の中をよぎった。
 この場所が水没してしまうと,もちろん同じ高さにある下の写真のような・・・


 田や畑の跡地も水没するのだろうか。
 そうなると,これまで来た旧道の部分や蛇行を繰り返している現在の川の形なども姿を消すのだろう。

 家に帰ってから,このダムのことについて県のホームページなどを見てみた。

 ダムの名称は「西之谷ダム」で目的は,治水専用だ。これまで,新川は何度も氾濫を起こし,床上浸水などの被害をもたらした。下流部では,川幅を広くしたり,川床を低くしたりする工事が行われているものの,それでは不十分なので,それを上流部にダムを作ることで補おうとしているようだ。
 西之谷という地区を知ったのが最近なので,工事の状況からダム建設は最近になってから決められたものと思っていたら,実は平成4年(1992年)から着工されていた。用地の買収などに加え,周囲がシラス台地に囲まれた場所であるなどの条件で時間がかかるようだ。完成は2012年の予定。
 なお,通常は水を溜めず,大雨が降った時にだけ,一時的に水を溜め,下流に流れる水量をおさえるようだ。
 国土技術政策総合研究所のHPにダムの見取り図なども公開されているが,空間把握が苦手な自分にはどのようなダムになるのかなかなか理解できなった。しかし,これだけ広い範囲において工事をしているので,それなりの規模で,現在のこの景色は一変するのだと思う。

 このような開発も,災害から人命を守るためには必要なことと思えば仕方ないのかもしれない。

 最後に,このような看板があったので紹介しておきたい。


 ダム工事が着工される前の1990年に西之谷の住民が行った活動が分かる。
 ここを流れていた新川には,住民の古きよき想い出があり,それをよみがえらせるために鯉を放流したようだ。

 このような活動もむなしく,この想い出の川やそれまで住み慣れた土地も失ってしまったのではないだろうか。(注:もともとどれぐらいの家があり,現在どこへ移動しているのか把握できていないため,あくまで推測である。)
 台地に囲まれた谷底の部分だけでなく,台地の斜面に生えていた木も切り倒され,はげた斜面が見えていた。



 現に大きな木が切り倒され,斜面から落ちてくる場面を目にし,心が痛かった。
 ダムの規模を知らない以上何も言えないのだが,シラスの斜面を裸にして崖崩れが起きないのだろうか,あんな高いところの木も切り倒さないとダムが作れないのだろうかとも思ってしまった。
 時間かけて作っているダムである以上,そのようなことは杞憂だろうが,いくら必要なもののためとはいえ,このような光景を見るのはやはり辛い。

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