時戻素

昔の跡,やがてなくなる予定のもの,変化していくもの,自身の旅の跡など・・・

(No.32) 【遡上】 彦四郎川編

2008年11月26日 17時31分56秒 | 遡上

「【遡上】新川編 ~その1~」で彦四郎川との合流点を示した。
 今回は,新川を少し離れ,支流の彦四郎川を遡上してみたい。


(2008年11月18日撮影)

 前回の記事と同じ写真だが,新川に流れる彦四郎川。
 奥に見えるのは消防の訓練施設だ。


(2008年11月10日撮影)

 消防の訓練施設の下を流れた彦四郎川。
 かつての橋の形跡が見られる。
 この反対側からは川が地表に現れる。


(2008年11月10日撮影)

 もう少し進んで,公園の脇を通り,道路とぶつかると川はまた地下に消えてしまう。


(2008年11月10日撮影)

 地下に川が消えた場所をほぼまっすぐ行った気象台の横の道路。おそらく,こ野下を彦四郎川が流れているように思う。ガードレールは橋の跡か?


(2008年11月10日撮影)

 産業道路を越えると見える風景。
 今は歩道が広くとられている道路だが,かつてはこの道の向かって右側の脇の方に川が姿を現しており,道路わきの建物とは橋でつながっていたように思う。別の場所(宇宿のビッグⅡから人工島へ向かう道)であるが,ちょうど下の写真のような風景が見られたと思う。


(2008年11月18日撮影)

 さっきの道路をまっすぐ行くと国道225号線にぶつかる。かつて川が見えていたときも国道の下で地下化していた。その後は地下をどう流れているか分からないが,次に地表で見られる場所はここだ。


(2008年11月11日撮影)

 後に見えているのは,「二軒茶屋電停」の記事で紹介した南港踏切だ。
自分が彦四郎川の名前を知ったのもこの場所が最初だったと思う。8・6水害で氾濫して周囲に被害を及ぼした。現在は,写真のように整備されているが,かつては川が線路の下に潜っていくのが見えていたように思う。


(2008年11月11日撮影)

 さっきの写真を撮った橋の上から反対方向を見てみる。急な傾斜で丘の上の方へ向かっている。
 この上まで行くと,こんな感じになっている。


(2008年11月18日撮影)

 堰がある。この奥の風景はこれまでとはまた変わったものとなる。


(2008年11月15日撮影)

 さっきの道はあれ以上進むことはできないが,紫原の上からその後の彦四郎川の流れを見ることができる。奥に見える家が前の写真を撮った南新町だ。
 地形図でも「市街地」として分類されている紫原にもまだこのような原野?が残っている。ちょうど写真の下でまたどこかへつながっている。しかし,この後はどこへ行っているのか分からない。


(2008年11月15日撮影)

 彦四郎川を上から眺めた場所から紫原の中心の方へ向かっていく。
 この場所はかつて工事をしていたが,そのときの案内板に彦四郎川改良工事のように記されていた。この下を彦四郎川が流れているのかもしれない。


(2008年11月15日撮影)

 写真左に見える公園がむらさき公園だ。
 先ほどの工事はこの辺りまで続いていた。
 かつてよく遊んだ公園であるが,まさかこの下に川があるとは考えたこともなかった。(実際あるのかも分からないが・・・)
 余談ではあるが,写真左の家があった場所はかつて生協があった。このせまい場所によく建てたなと今になって思う。(現在は桜並木通り沿いへ移転。)

 ここまで書いた後に「彦四郎川」で検索してみると,鹿児島大学理学部紀要の岩松嘩教授の1976年の論文「シラス崩災の一型式-1976年6月梅雨前線豪雨による鹿児島市紫原台地周縁部の崖崩れについて-」にあたった。その論文には「彦四郎谷の中程にダムを作り,その上流部にシラスを埋め立てて宅地を造成した。現在は1974年当時より人家が建てこみ,空地はほとんどない。」と記されている。そうなると,先ほどの2枚の写真の場所はもともと谷であった場所で,作られたダムより上流部がシラスによって埋め立てられた場所ということになる。


 小さな川ではあるが,それだけに人の手を加えることも容易であり,変化は大きい川だ。

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