時戻素

昔の跡,やがてなくなる予定のもの,変化していくもの,自身の旅の跡など・・・

(576) 最初の記事の場所の今。

2011年03月24日 23時58分40秒 | 過去になる現在

 先日,久々にこのブログを始めてみようかと思った動機となる場所の一つへ行った。このブログの記念すべき最初の記事にもなっている慈眼寺駅周辺だ。この記事は谷山神社の高台から見下ろした写真が中心なので,この記事で取り上げる写真はこちらの記事の場所の方が直接関係しているかもしれない。この2つの記事,自分でも久々に見たのだが,書きぶりが今のものとだいぶ違って見えた。時間で見れば2年数ヶ月前,記事数で見れば550個以上前に書いた記事だから当然のことかもしれない。

 駅の谷山寄りの木之下川に架かる橋の上から見た慈眼寺駅。

(2008年10月21日撮影)

 橋は写っていないが,今のほぼ同じ場所。

(2011年3月20日撮影)


 その木之下川に架かっていたJRの橋。

(2008年10月21日撮影)

 今。

(2011年3月20日撮影)

 最終的にはこの手前に高架で川を越えることになるはずなので,これも仮の橋だろう。

 駅の脇にある諏訪踏切。

(2008年6月1日撮影)

 今。

(2011年3月20日撮影)

 高架はもともとの線路の位置に作るため,仮の線路になった今は山側へずれている。高架化工事の現場はいくつか目にしているが,立ち退きなどで開いたスペースに高架を作って,元の線路を撤去する手法のものしか見たことがなく,このように空かせたスペースに仮の線路を作って,元の線路を撤去して,その場所に高架を作るという手法を見たのは初めてだった。時間も費用もかかるはずなので,現在の仮の線路の位置に高架が作れない事情が何かあるのだろう。

(2011年3月20日撮影)

 階段の上にあったかつてのこの駅舎も…

(2008年6月1日撮影)

 当然のことながら壊されている。

(2011年3月20日撮影)

 2階に改札があったものが1階へ移され,線路の向かう側のホームへは歩道橋を渡ることになった。駅への入口は線路より海側にあったが…

(2011年3月20日撮影)

 今は山側に移っている。
 駅舎のある山側は…

(2011年3月20日撮影)

 線路の高架化工事と共に道路などの整備が進められている。高架駅の入口がどうなるのかは分からないが,もとから住宅は多くあったがこちら側の雰囲気も変わってくるかもしれない。
 線路の海側に戻る。以前は駅舎の下に駐輪場が設けられていた。

(2011年3月20日撮影)

 それは今も変わらなかった。ただし,もともとホームと線路があった部分が開いたので,道路沿いに1台分の奥行きしかなかった時と比べるとスペースが広々となっている。

(2011年3月20日撮影)

 道路側に柵で囲まれたスペースがある。

(2011年3月20日撮影)

 看板をよく見るとやや古そうだ。ここにかつての駐輪場の写真を重ねると…

(2008年10月21日撮影)

 看板の写っている場所ではないが,何となく同じ場所であることが分かる。大規模に色々なものが撤去されている今の段階でもかつての影はまだ残っている。
 駐輪場沿いの道路を坂之上の方へ進んでいく。

(2011年3月20日撮影)

 線路とホームの跡地が更地となって広々として見える。
 さらに進んで種ヶ宇都第2踏切へ。

(2008年11月20日撮影)

 この時点で写真後にある丘陵は仮の線路を作るためのスペースとして崩され始めていた。今は…

(2011年3月20日撮影)

 線路も移され,完全に広々とした空間になった。もっと近寄ってみる。

(2011年3月20日撮影)

 線路の位置がずれたので…

(2011年3月20日撮影)

 踏切の位置も変わり,元の線路の場所がはっきり分かる。
 この踏切を渡ったところから駅の方を見ると,かつては…

(2008年11月20日撮影)

 田んぼが広がっていた。
 今は…

(2011年3月20日撮影)

 何もない更地になった。駅の裏側が田んぼで入口も線路の反対側に回らないといけなかった状況は今後どう変わっていくのだろうか?駅の山側を現在の仮駅舎が建っている場所から…

(2011年3月20日撮影)

 かつては家が建っていた場所と記憶しているが,ここもきれいな更地だ。
 慈眼寺公園も近く,木之下川の源流も間近な自然の豊かなイメージのあったこの場所も数年後には高架橋の立つ都市的な場所へと変化していくのだろうか。

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