白骨の道 「地を這う虫達の叫び」 ・ メール:kanran@i-next.ne.jp

私の寒蘭栽培と「炭鉱が閉山して崩壊した町」の回顧録
利権に慾る人間の生きざまを赤裸々に綴ります 77歳です

・・・ 人生なんて何処かで帳尻が合うように成っているもんですね (その7) ・・・

2014-04-21 19:19:26 | 日記

私が在職中の話です。市町村合併について町長に対するアンケートが、県知事から町長宛てに送付されてきた。町長からこの書類の作成について私に依頼された。私は調書を作成して知事に回答した記憶がある。この時の陣野町長の回答は金子町長の政策を尊重して「世知原町は佐世保市との合併を希望する」との回答でした。この陣野町長が四期目で辞任するとの表明をしたことで、その頃議会では安永美佐男派と世知原周次派に二分しており、建設業社長の議長安永美佐男氏の選挙運動が潜行していた、ところが突然に安永議長が立候補を目前にして重病のために入院し、安永氏は後任に町議二年目の市瀬健爾を指名した、前町長の陣野氏も市瀬議員を支援したのである。安永議長の代理町長として市瀬健爾氏が見事に町長に当選した。当選後の市瀬町長は建設業者の同窓生仲間と結託して「談合三兄弟」の噂すら立っていた。そこで安永議長は政敵の世知原周次氏を二期目の町長選挙に立候補させたが完敗した。市瀬町長は安永建設に対して公共工事の指名停止を行ったのである。

その頃、議長の安永美佐男氏と元町議の鴨川善光氏と私の三人で密談した事がある、私と鴨川善光氏は安永議長に立候補を要請したが彼はこれを強く拒否した。そこで、松田郡四郎元町長の長男で、私が事務局長時代の農業委員会長を推薦した。応援には世知原周次氏、元建設課長で安永建設に天下りした吉居君と大野君を付ける事を助言した。結論に至らず安永議長に検討を要請して私一人が安永豪邸を出た。いよいよ選挙戦が始まった、事務所は元スーパーが倒産した店舗跡である、私が事務所を片付けていると、世知原周次町議、野口市長候補、宮島衆院議員候補等の選挙事務所を常に仕切っている女性が来て準備を始めた。そこに鴨川善光氏と松田候補が現れ、吉居正雄、大野実君等数人が集まって事務所開きの準備が整ったので私は帰宅した。

いよいよ選挙戦が始まった、市瀬健爾候補の後援会で安永議長はこう挨拶した「世知原の町長には市瀬健爾候補のほかには居ません・」と言い放ったのです。松田氏の立候補を擁立した安永美佐男氏が市瀬健爾候補を支援した、その結果松田候補は無残にも完敗したのです。市瀬町長は当選後に安永建設を世知原町の公共工事の業者に指名した。

その後鉱害復旧工事で富を得た安永議長は急死して叙勲を霊前に飾りました。元町長の陣野氏は退職後事故を起して車椅子で余生を送っている、現職の市瀬町長は「強姦未遂で逮捕され」テレビ新聞でその醜態を全国にさらしたのです。元議長の世知原周次さん、元農業委員会長の松田さん「抱き捨つる 石に眼くらむ 畑打ち」この俳句のように地を這いずり廻って生きましょう。人生なんて何処かで帳尻が合うように成っているもんですよ。・・このブログは個人を誹謗中傷したものではありません、その人の運命の無常さを思い出すままに披歴しました、憎まず、恨まず、全てを許して余生を送りたいものです、一休さんの遺言書にも「どうにかなるさ」と書いてあったそうです。

場所は、現在の松浦病院の前です、写真は、炭鉱閉山前の「吉井・世知原線」です