今までも何度かお伝えしてきていますが
私はこのブログの他に
『ことばに注目したブログ』と
『闘病生活を通してお伝えしたいことを書いているブログ』を持っています。
昨年、「すべて自分なのだから統合すれば?」と言われたのだけれど
自分の中で、まだ完全に混ざり合う感覚までは至っていませんでした。
でも今、自分が変化・変容していく中で
表現の感覚が変わってきたのを感じています。
なので、少しずつ混ぜ合わせていこうと思っています。
かといって、あちらのふたつをなくすわけではないけれど。
↑
この(上記の)文章が果たして必要なのかも、迷いました。
でも、すべてのブログに目を通していることを
伝えてくださっている方がいらっしゃるので、
ここでひとこと、ご挨拶のスペースを設けさせていただきました。
+++さあ、ここからが、今回の記事の本題。+++
↓
「『ありがとう』と言われたらどう返す?」
と問われたら、どう答えるだろう?
「『どういたしまして』だよ」
うん、間違ってはいない。
間違ってはいないのだけれど…
普段使ってますか?
日常生活において、「ありがとう」と言われたら私はなんと答えているか…
「いいえ」
「はーい」
「いえいえー」
「だいじょぶよ~」
「ほーい」
「こちらこそ~」
こんな言葉が多い気がする。
北海道の友人なら
「なんもだよ~」
なんていう言葉が返ってきたりもする。 かわいいv(笑)
『どういたしまして』って、普段はあまり使っていない。
でももちろん、まったく使っていないわけではない。
ではどういうときに使っているのか。
大きく3つのパターンがあるような気がする。
【パターン1】
子どもに対するとき
「ありがとうは?」と、子どもに話しかけたことのある方は多いだろう。
何かをしてもらったり、モノをいただいたりしたら 「ありがとう」。
そして、子どもが「ありがとう」を言ってくれたら
それを受け取った大人はきっと、こう返す。
「どういたしまして」
まるで「『どうもありがとう』『どういたしまして』はセットなんだよ」と
教えているかのように。
“まるで”
…そう、『どういたしまして』は、あまり子どもに強要しない。
少なくとも、「どういたしましては?」と子どもに言っている大人を私は見たことがない。
「ありがとうは?」は、たくさんあるけれど。
『ありがとう』は、言う側も言われる側も、とても気持ちがいい。
でも子どもとの間に
「ありがとう」と共に「どういたしまして」が存在しているときもまた、
私はその2人の間にとても優しい空気が流れるのを感じる。
【パターン2】
外国人に対するとき
例えば日本人に道を聞かれたとき
「ありがとうございます」と言われても「どういたしまして」と返すことは少ない。
「いいえ」とか 「お気をつけて」とか
そういう言葉は返すけれど。
でも外国人に道を聞かれて、カタコトの日本語で「ありがとう」と言われたら
私は間違いなく「どういたしまして」と返している。
これは、パターン1にも書いた“「『ありがとう』と『どういたしまして』はセット”
ということと関係があるように思う。
日本に慣れていない外国人旅行者でも
せめて「ありがとう」と「すみません」は言えるようにしておこう
と準備してくる方は多い。
逆の立場だったときは私もやっぱり、そういう準備をしていた。
そんな彼らがガイドブックなり日本語会話集なりで勉強するとき
その本に載っている「ありがとう」の返答は、
9割9分『どういたしまして』だ。
だからそこで「いいえー」とか「いえいえー」とか返しても
彼らには伝わらない。
『あなたが言ってくれた「ありがとう」はちゃんと受け取ったよ』
という気持ちが、伝わらないと思うのだ。
だからこそ、私は彼らには「どうしたしまして」を返す。
【パターン3】
改まったとき
では普通の日本人同士…大人同士の間では
まったく「どういたしまして」と言わないかというと、そんなことはない。
何か改まって 「本当にどうもありがとう」という言葉をもらったとき
その時に応じて 「どういたしまして」と返す。
これは年齢の上下と関係があるわけではない。
「あなたのおかげで本当に助かりました。 どうもありがとう」
こんな気持ちを伝えたとき。
「どういたしまして」と返している。
そう思いませんか?
『ありがとう』に対する言葉は『どういたしまして』。
それは間違っていはいないけれど。
よくよく考えるとこんな世界が広がっている。
「どういたしまして」って、興味深いコトバね。
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