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週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
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鰻の話

2011-07-21 02:57:25 | 仏教小話

今日は土用の丑の日ということで。

       鰻の蒲焼です。

あれ? お重がないですね。 実はこれ…。

       iPhone(アイフォン)のカバーでした。

食品サンプルの職人さんが、一つ一つ手作りで仕上げたというカバー。
鰻の照りから、たれの染みたお米の一粒一粒に至るまで、思わず食べてしまいたくなるほどリアルに再現されています。

ネットでこのカバーを発見したとき、その面白さに思わず購入してしまったのですが、私はiPhoneユーザーではないので、利用者の副住職へプレゼント。
しかし、ちょっと重いのと、カメラに対応していなかったというのと、人前で出すのが恥ずかしいということで、装着してくれたのは1日だけ。(←至極、全うな言い分です)

まぁ、何かの折で、仕込みネタにでも使ってもらえればいいかなと思っています(笑)


さて、個人的なことですが、「鰻」というと思い出すのが「六師外道」の一人、サンジャヤ・ベーラッティプッタの「鰻論(まんろん)」です。

「六師外道」というのは、お釈迦さまと同時代にインドで活躍していた6人の自由思想家の総称。
仏教を「内道」とし、仏教から見て異端とする考え方を「外道」と言います。

そして、サンジャヤ・ベーラッティプッタは「懐疑論者」とも「不可知論者」とも言われ、霊魂や来世についてなどの形而学上の重要な問題に対して、曖昧な回答をして否定も肯定もしないという立場をとった人です。

例えば、「霊魂があるのか」という問題に対して、

「あると思うなら、あると言ってもいいけれど、別にあなたが言うとおりにあると思っていないし、違う方法であるとも思っていないし、全く別なものだとも思っていないし、ないとも思っていないし、どっちでもないとも思っていない。それから、思っていないとも思っていない」

というように、ニョロニョロと掴みどころのない論法を取ることから、これを「鰻論」「うなぎ論法」と呼ぶようになりました。

私も今日、鰻を食べるかどうか決まっていなし、食べてもいいけど、食べなくてもいいし、食べたいわけじゃないし、かといって食べたくないわけでもないし…。
さぁて、夕飯どうしようかな。



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