みちくさ便り

日常の出来事や特別な事、思いついたり感じた事などをジャンルを問わずに書き込んでいきます。

沖縄全戦没者追悼式で朗読された「平和の詩」全文

2020年06月30日 | 乱読本

あなたがあの時

 沖縄県立首里高校3年 高良朱香音

 

「懐中電灯を消してください」

一つ、また一つ光が消えていく

真っ暗になったその場所は

まだ昼間だというのに

あまりにも暗い

少し湿った空気を感じながら

私はあの時を想像する

あなたがまだ一人で歩けなかったあの時

あなたの兄は人を殺すことを習った

あなたの姉は学校へ行けなくなった

あなたが走れるようになったあの時

あなたが駆け回るはずだった野原は

真っ赤っか 友だちなんて誰もいない

あなたが青春を奪われたあの時

あなたはもうボロボロ

家族もいない 食べ物もない

ただ真っ暗なこの壕の中で

あなたの見た光は、幻となって消えた。

「はい、ではつけていいですよ」

一つ、また一つ光が増えていく

照らされたその場所は

もう真っ暗ではないというのに

あまりにも暗い

体中にじんわりとかく汗を感じながら

私はあの時を想像する

あなたが声を上げて泣かなかったあの時

あなたの母はあなたを殺さずに済んだ

あなたは生き延びた

あなたが少女に白旗を持たせたあの時

彼女は真っ直ぐに旗を掲げた

少女は助かった

ありがとう

あなたがあの時

あの人を助けてくれたおかげで

私は今 ここにいる

あなたがあの時

前を見続けてくれたおかげで

この島は今 ここにある

あなたがあの時

勇気を振り絞って語ってくれたおかげで

私たちは 知った

永遠に解かれることのない戦争の呪いを

決して失われてはいけない平和の尊さを

ありがとう

「頭、気をつけてね」

外の光が私を包む

真っ暗闇のあの中で

あなたが見つめた希望の光

私は消さない 消させない

梅雨晴れの午後の光を感じながら

私は平和な世界を創造する

あなたがあの時

私を見つめたまっすぐな視線

未来に向けた穏やかな横顔を

私は忘れない

平和を求める仲間として


ローマ教皇 広島でのスピーチ(全文)

2019年11月26日 | 乱読本

教皇の日本司牧訪問
教皇のスピーチ
平和記念公園にて
2019年11月24日、広島

「わたしはいおう、わたしの兄弟、友のために。『あなたのうちに平和があるように』」(詩編122・8)。

あわれみの神、歴史の主よ、この場所から、わたしたちはあなたに目を向けます。死といのち、崩壊と再生、苦しみといつくしみの交差するこの場所から。

ここで、大勢の人が、その夢と希望が、一瞬の閃光と炎によって跡形もなく消され、影と沈黙だけが残りました。一瞬のうちに、すべてが破壊と死というブラックホールに飲み込まれました。その沈黙の淵から、亡き人々のすさまじい叫び声が、今なお聞こえてきます。さまざまな場所から集まり、それぞれの名をもち、なかには、異なる言語を話す人たちもいました。そのすべての人が、同じ運命によって、このおぞましい一瞬で結ばれたのです。その瞬間は、この国の歴史だけでなく、人類の顔に永遠に刻まれました。

この場所のすべての犠牲者を記憶にとどめます。また、あの時を生き延びたかたがたを前に、その強さと誇りに、深く敬意を表します。その後の長きにわたり、身体の激しい苦痛と、心の中の生きる力をむしばんでいく死の兆しを忍んでこられたからです。

わたしは平和の巡礼者として、この場所を訪れなければならないと感じていました。激しい暴力の犠牲となった罪のない人々を思い出し、現代社会の人々の願いと望みを胸にしつつ、じっと祈るためです。とくに、平和を望み、平和のために働き、平和のために自らを犠牲にする若者たちの願いと望みです。わたしは記憶と未来にあふれるこの場所に、貧しい人たちの叫びも携えて参りました。貧しい人々はいつの時代も、憎しみと対立の無防備な犠牲者だからです。

わたしはつつしんで、声を発しても耳を貸してもらえない人々の声になりたいと思います。現代社会が直面する増大した緊張状態を、不安と苦悩を抱えて見つめる人々の声です。それは、人類の共生を脅かす受け入れがたい不平等と不正義、わたしたちの共通の家を世話する能力の著しい欠如、また、あたかもそれで未来の平和が保障されるかのように行われる、継続的あるいは突発的な武力行使などに対する声です。

確信をもって、あらためて申し上げます。戦争のために原子力を使用することは、現代において、犯罪以外の何ものでもありません。人類とその尊厳に反するだけでなく、わたしたちの共通の家の未来におけるあらゆる可能性に反します。原子力の戦争目的の使用は、倫理に反します。核兵器の保有は、それ自体が倫理に反しています。それは、わたしがすでに2年前に述べたとおりです。これについて、わたしたちは裁きを受けることになります。次の世代の人々が、わたしたちの失態を裁く裁判官として立ち上がるでしょう。平和について話すだけで、国と国の間で何の行動も起こさなかったと。戦争のための最新鋭で強力な兵器を製造しながら、平和について話すことなどどうしてできるでしょうか。差別と憎悪のスピーチで、あのだれもが知る偽りの行為を正当化しておきながら、どうして平和について話せるでしょうか。

平和は、それが真理を基盤とし、正義に従って実現し、愛によって息づき完成され、自由において形成されないのであれば、単なる「発せられることば」に過ぎなくなると確信しています。(聖ヨハネ23世回勅『パーチェム・イン・テリス―地上の平和』37〔邦訳20〕参照)。真理と正義をもって平和を築くとは、「人間の間には、知識、徳、才能、物質的資力などの差がしばしば著しく存在する」(同上87〔同49〕)のを認めることです。ですから、自分だけの利益を求めるため、他者に何かを強いることが正当化されてよいはずはありません。その逆に、差の存在を認めることは、いっそうの責任と敬意の源となるのです。同じく政治共同体は、文化や経済成長といった面ではそれぞれ正当に差を有していても、「相互の進歩に対して」(同88〔同49〕)、すべての人の善益のために働く責務へと招かれています。

実際、より正義にかなう安全な社会を築きたいと真に望むならば、武器を手放さなければなりません。「武器を手にしたまま、愛することはできません」(聖パウロ6世「国連でのスピーチ(1965年10月4日)」10)。武力の論理に屈して対話から遠ざかってしまえば、いっそうの犠牲者と廃墟を生み出すことが分かっていながら、武力が悪夢をもたらすことを忘れてしまうのです。武力は「膨大な出費を要し、連帯を推し進める企画や有益な作業計画が滞り、民の心理を台なしにします」(同)。紛争の正当な解決策として、核戦争の脅威による威嚇をちらつかせながら、どうして平和を提案できるでしょうか。この底知れぬ苦しみが、決して越えてはならない一線を自覚させてくれますように。真の平和とは、非武装の平和以外にありえません。それに、「平和は単に戦争がないことでもな〔く〕、……たえず建設されるべきもの」(第二バチカン公会議『現代世界憲章』78)です。それは正義の結果であり、発展の結果、連帯の結果であり、わたしたちの共通の家の世話の結果、共通善を促進した結果生まれるものなのです。わたしたちは歴史から学ばなければなりません。

思い出し、ともに歩み、守ること。この三つは、倫理的命令です。これらは、まさにここ広島において、よりいっそう強く、より普遍的な意味をもちます。この三つには、平和となる道を切り開く力があります。したがって、現在と将来の世代が、ここで起きた出来事を忘れるようなことがあってはなりません。記憶は、より正義にかない、いっそう兄弟愛にあふれる将来を築くための、保証であり起爆剤なのです。すべての人の良心を目覚めさせられる、広がる力のある記憶です。わけても国々の運命に対し、今、特別な役割を負っているかたがたの良心に訴えるはずです。これからの世代に向かって、言い続ける助けとなる記憶です。二度と繰り返しません、と。

だからこそわたしたちは、ともに歩むよう求められているのです。理解とゆるしのまなざしで、希望の地平を切り開き、現代の空を覆うおびただしい黒雲の中に、一条の光をもたらすのです。希望に心を開きましょう。和解と平和の道具となりましょう。それは、わたしたちが互いを大切にし、運命共同体で結ばれていると知るなら、いつでも実現可能です。現代世界は、グローバル化で結ばれているだけでなく、共通の大地によっても、いつも相互に結ばれています。共通の未来を確実に安全なものとするために、責任をもって闘う偉大な人となるよう、それぞれのグループや集団が排他的利益を後回しにすることが、かつてないほど求められています。

神に向かい、すべての善意の人に向かい、一つの願いとして、原爆と核実験とあらゆる紛争のすべての犠牲者の名によって、心から声を合わせて叫びましょう。戦争はもういらない! 兵器の轟音はもういらない! こんな苦しみはもういらない! と。わたしたちの時代に、わたしたちのいるこの世界に、平和が来ますように。神よ、あなたは約束してくださいました。「いつくしみとまことは出会い、正義と平和は口づけし、まことは地から萌えいで、正義は天から注がれます」(詩編85・11-12)。

主よ、急いで来てください。破壊があふれた場所に、今とは違う歴史を描き実現する希望があふれますように。平和の君である主よ、来てください。わたしたちをあなたの平和の道具、あなたの平和を響かせるものとしてください!

「わたしはいおう、わたしの兄弟、友のために。『あなたのうちに平和があるように』」(詩編122・8)。


ローマ教皇 長崎 爆心地公園でのスピーチ(全文)

2019年11月24日 | 乱読本

ローマ教皇庁が発表したフランシスコ教皇のスピーチ全文は以下のとおりです。

教皇の日本司牧訪問 
教皇のスピーチ
核兵器についてのメッセージ
長崎・爆心地公園
2019年11月24日

 

愛する兄弟姉妹の皆さん。

この場所は、わたしたち人間が過ちを犯しうる存在であるということを、悲しみと恐れとともに意識させてくれます。近年、浦上教会で見いだされた被爆十字架とマリア像は、被爆なさったかたとそのご家族が生身の身体に受けられた筆舌に尽くしがたい苦しみを、あらためて思い起こさせてくれます。

人の心にあるもっとも深い望みの一つは、平和と安定への望みです。核兵器や大量破壊兵器を所有することは、この望みへの最良のこたえではありません。それどころか、この望みをたえず試みにさらすことになるのです。わたしたちの世界は、手に負えない分裂の中にあります。それは、恐怖と相互不信を土台とした偽りの確かさの上に平和と安全を築き、確かなものにしようという解決策です。人と人の関係をむしばみ、相互の対話を阻んでしまうものです。

国際的な平和と安定は、相互破壊への不安や、壊滅の脅威を土台とした、どんな企てとも相いれないものです。むしろ、現在と未来のすべての人類家族が共有する相互尊重と奉仕への協力と連帯という、世界的な倫理によってのみ実現可能となります。

ここは、核兵器が人道的にも環境にも悲劇的な結末をもたらすことの証人である町です。そして、軍備拡張競争に反対する声は、小さくともつねに上がっています。軍備拡張競争は、貴重な資源の無駄遣いです。本来それは、人々の全人的発展と自然環境の保全に使われるべきものです。今日の世界では、何百万という子どもや家族が、人間以下の生活を強いられています。しかし、武器の製造、改良、維持、商いに財が費やされ、築かれ、日ごと武器は、いっそう破壊的になっています。これらは途方もないテロ行為です。

核兵器から解放された平和な世界。それは、あらゆる場所で、数え切れないほどの人が熱望していることです。この理想を実現するには、すべての人の参加が必要です。個々人、宗教団体、市民社会、核兵器保有国も、非保有国も、軍隊も民間も、国際機関もそうです。核兵器の脅威に対しては、一致団結して応じなくてはなりません。それは、現今の世界を覆う不信の流れを打ち壊す、困難ながらも堅固な構造を土台とした、相互の信頼に基づくものです。1963年に聖ヨハネ23世教皇は、回勅『地上の平和(パーチェム・イン・テリス)』で核兵器の禁止を世界に訴えていますが(112番[邦訳60番]参照)、そこではこう断言してもいます。「軍備の均衡が平和の条件であるという理解を、真の平和は相互の信頼の上にしか構築できないという原則に置き換える必要があります」(113番[邦訳61番])。

今、拡大しつつある、相互不信の流れを壊さなくてはなりません。相互不信によって、兵器使用を制限する国際的な枠組みが崩壊する危険があるのです。わたしたちは、多国間主義の衰退を目の当たりにしています。それは、兵器の技術革新にあってさらに危険なことです。この指摘は、相互の結びつきを特徴とする現今の情勢から見ると的を射ていないように見えるかもしれませんが、あらゆる国の指導者が緊急に注意を払うだけでなく、力を注ぎ込むべき点なのです。

カトリック教会としては、人々と国家間の平和の実現に向けて不退転の決意を固めています。それは、神に対し、そしてこの地上のあらゆる人に対する責務なのです。核兵器禁止条約を含め、核軍縮と核不拡散に関する主要な国際的な法的原則に則り、飽くことなく、迅速に行動し、訴えていくことでしょう。昨年の7月、日本司教協議会は、核兵器廃絶の呼びかけを行いました。また、日本の教会では毎年8月に、平和に向けた10日間の平和旬間を行っています。どうか、祈り、一致の促進の飽くなき探求、対話への粘り強い招きが、わたしたちが信を置く「武器」でありますように。また、平和を真に保証する、正義と連帯のある世界を築く取り組みを鼓舞するものとなりますように。

核兵器のない世界が可能であり必要であるという確信をもって、政治をつかさどる指導者の皆さんにお願いします。核兵器は、今日の国際的また国家の、安全保障への脅威からわたしたちを守ってくれるものではない、そう心に刻んでください。人道的および環境の観点から、核兵器の使用がもたらす壊滅的な破壊を考えなくてはなりません。核の理論によって促される、恐れ、不信、敵意の増幅を止めなければなりません。今の地球の状態から見ると、その資源がどのように使われるのかを真剣に考察することが必要です。複雑で困難な持続可能な開発のための2030アジェンダの達成、すなわち人類の全人的発展という目的を達成するためにも、真剣に考察しなくてはなりません。1964年に、すでに教皇聖パウロ6世は、防衛費の一部から世界基金を創設し、貧しい人々の援助に充てることを提案しています(「ムンバイでの報道記者へのスピーチ(1964年12月4日)」。回勅『ポプロールム・プログレッシオ(1967年3月26日)』参照)。

こういったことすべてのために、信頼関係と相互の発展とを確かなものとするための構造を作り上げ、状況に対応できる指導者たちの協力を得ることが、きわめて重要です。責務には、わたしたち皆がかかわっていますし、全員が必要とされています。今日、わたしたちが心を痛めている何百万という人の苦しみに、無関心でいてよい人はいません。傷の痛みに叫ぶ兄弟の声に耳を塞いでよい人はどこにもいません。対話することのできない文化による破滅を前に目を閉ざしてよい人はどこにもいません。

心を改めることができるよう、また、いのちの文化、ゆるしの文化、兄弟愛の文化が勝利を収めるよう、毎日心を一つにして祈ってくださるようお願いします。共通の目的地を目指す中で、相互の違いを認め保証する兄弟愛です。

ここにおられる皆さんの中には、カトリック信者でないかたもおられることでしょう。でも、アッシジの聖フランシスコに由来する平和を求める祈りは、私たち全員の祈りとなると確信しています。

主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。
憎しみがあるところに愛を、
いさかいがあるところにゆるしを、
疑いのあるところに信仰を、
絶望があるところに希望を、
闇に光を、
悲しみあるところに喜びをもたらすものとしてください。

記憶にとどめるこの場所、それはわたしたちをハッとさせ、無関心でいることを許さないだけでなく、神にもと信頼を寄せるよう促してくれます。また、わたしたちが真の平和の道具となって働くよう勧めてくれています。過去と同じ過ちを犯さないためにも勧めているのです。

皆さんとご家族、そして、全国民が、繁栄と社会の和の恵みを享受できますようお祈りいたします。


グレタさん演説全文 「裏切るなら絶対に許さない」涙の訴え

2019年09月27日 | 乱読本

国連の温暖化対策サミット。地球温暖化対策を訴えて若者の運動が世界に広がるきっかけとなり、学校を休んで活動を続けているスウェーデンの16歳の活動家、グレタ・トゥーンベリさんが各国の代表を前に演説しました。演説の全文です。


私が伝えたいことは、私たちはあなた方を見ているということです。そもそも、すべてが間違っているのです。私はここにいるべきではありません。私は海の反対側で、学校に通っているべきなのです。

あなた方は、私たち若者に希望を見いだそうと集まっています。よく、そんなことが言えますね。あなた方は、その空虚なことばで私の子ども時代の夢を奪いました。

それでも、私は、とても幸運な1人です。人々は苦しんでいます。人々は死んでいます。生態系は崩壊しつつあります。私たちは、大量絶滅の始まりにいるのです。

なのに、あなた方が話すことは、お金のことや、永遠に続く経済成長というおとぎ話ばかり。よく、そんなことが言えますね。

30年以上にわたり、科学が示す事実は極めて明確でした。なのに、あなた方は、事実から目を背け続け、必要な政策や解決策が見えてすらいないのに、この場所に来て「十分にやってきた」と言えるのでしょうか。

あなた方は、私たちの声を聞いている、緊急性は理解している、と言います。しかし、どんなに悲しく、怒りを感じるとしても、私はそれを信じたくありません。もし、この状況を本当に理解しているのに、行動を起こしていないのならば、あなた方は邪悪そのものです。

だから私は、信じることを拒むのです。今後10年間で(温室効果ガスの)排出量を半分にしようという、一般的な考え方があります。しかし、それによって世界の気温上昇を1.5度以内に抑えられる可能性は50%しかありません。

人間のコントロールを超えた、決して後戻りのできない連鎖反応が始まるリスクがあります。50%という数字は、あなた方にとっては受け入れられるものなのかもしれません。

しかし、この数字は、(気候変動が急激に進む転換点を意味する)「ティッピング・ポイント」や、変化が変化を呼ぶ相乗効果、有毒な大気汚染に隠されたさらなる温暖化、そして公平性や「気候正義」という側面が含まれていません。この数字は、私たちの世代が、何千億トンもの二酸化炭素を今は存在すらしない技術で吸収することをあてにしているのです。

私たちにとって、50%のリスクというのは決して受け入れられません。その結果と生きていかなくてはいけないのは私たちなのです。

IPCCが出した最もよい試算では、気温の上昇を1.5度以内に抑えられる可能性は67%とされています。

しかし、それを実現しようとした場合、2018年の1月1日にさかのぼって数えて、あと420ギガトンの二酸化炭素しか放出できないという計算になります。

今日、この数字は、すでにあと350ギガトン未満となっています。これまでと同じように取り組んでいれば問題は解決できるとか、何らかの技術が解決してくれるとか、よくそんなふりをすることができますね。今の放出のレベルのままでは、あと8年半たたないうちに許容できる二酸化炭素の放出量を超えてしまいます。

今日、これらの数値に沿った解決策や計画は全くありません。なぜなら、これらの数値はあなたたちにとってあまりにも受け入れがたく、そのことをありのままに伝えられるほど大人になっていないのです。

あなた方は私たちを裏切っています。しかし、若者たちはあなた方の裏切りに気付き始めています。未来の世代の目は、あなた方に向けられています。

もしあなた方が私たちを裏切ることを選ぶなら、私は言います。「あなたたちを絶対に許さない」と。

私たちは、この場で、この瞬間から、線を引きます。ここから逃れることは許しません。世界は目を覚ましており、変化はやってきています。あなた方が好むと好まざるとにかかわらず。ありがとうございました。

沖縄全戦没者追悼式・平和の詩「本当の幸せ」

2019年06月24日 | 乱読本

本当の幸せ

糸満市立兼城小学校6年 山内玲奈

 

青くきれいな海
この海は
どんな景色を見たのだろうか
爆弾が何発も打ち込まれ
ほのおで包まれた町
そんな沖縄を見たのではないだろうか

緑あふれる大地
この大地は
どんな声を聞いたのだろうか
けたたましい爆音
泣き叫ぶ幼子
兵士の声や銃声が入り乱れた戦場
そんな沖縄を聞いたのだろうか

青く澄みわたる空
この空は
どんなことを思ったのだろうか
緑が消え町が消え希望の光を失った島
体が震え心も震えた
いくつもの尊い命が奪われたことを知り
そんな沖縄に涙したのだろうか

平成時代
私はこの世に生まれた
青くきれいな海
緑あふれる大地
青く澄みわたる空しか知らない私
海や大地や空が七十四年前
何を見て
何を聞き
何を思ったのか
知らない世代が増えている
体験したことはなくとも
戦争の悲さんさを
決して繰り返してはいけないことを
伝え継いでいくことは
今に生きる私たちの使命だ
二度と悲しい涙を流さないために
この島がこの国がこの世界が
幸せであるように

お金持ちになることや
有名になることが
幸せではない
家族と友達と笑い合える毎日こそが
本当の幸せだ
未来に夢を持つことこそが
最高の幸せだ

「命どぅ宝」
生きているから笑い合える
生きているから未来がある

令和時代
明日への希望を願う新しい時代が始まった
この幸せをいつまでも


くすぶり消すな

2019年05月24日 | 乱読本

くすぶり消すな

 

昭和二十年八月十一日

焼け野原の長崎

 

あちらでも

こちらでも

今日も

くすぶり続ける

数多(あまた)の煙

 

ときには黒く また黄色にと

色を変える煙

 

道はずれの

くぼみの中に くずれた塀のそばに

折り重なる 死体

ああ その亡骸(なきがら)が

燃えているのだ

 

煙に揺れ

横になびき

ときに 高く立ち上(のぼ)る

煙 煙

それは

死してなお昂(たか)ぶる

無念の思いか

はた また

父や母や わが子を呼ぶ

声なき声か


いま 死体処理のため

あらためて火葬される

名もなき人々


名もなき人々よ

あなた達は

すでに、ピカドンの

熱い光に焼き殺され

いま また 再びこの穴で

火と燃えるのか


声なき人々よ

この地獄の世界から

すべてをなくした

深い悲しみを

たぎりたつ 怒りの

そのすべてを集め

炎と燃やし

くすぶり 消すな


長崎の空高く


(被爆して3日目、死体処理作業、私の心が怒りに燃えた日)・・東京・小平市 田中美光(92歳)

 


生きる

2018年06月23日 | 乱読本

2018/6/23 沖縄全戦没者追悼式で朗読された詩

浦添市立港川中学校三年 相良 倫子


生きる

私は、生きている。 マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、草の匂いを鼻腔に感じ、遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。

私は今、生きている。

私の生きるこの島は、何と美しい島だろう。 青く輝く海、岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、ヤギの嘶き、小川のせせらぎ、畑に続く小道、萌え出づる山の緑、優しい三線の響き、照りつける太陽の光。

私はなんと美しい島に、生まれ育ったのだろう。

ありったけの私の感覚器で、感受性で、島を感じる。心がじわりと熱くなる。

私はこの瞬間を、生きている。

この瞬間の素晴らしさが、この瞬間の愛おしさが、今という安らぎとなり、私の中に広がりゆく。

たまらなくこみ上げるこの気持ちを、どう表現しよう。大切な今よ、かけがえのない今よ、

私の生きるこの、今よ。

73年前、私の愛する島が死の島と化したあの日。小鳥のさえずりは恐怖の悲鳴と変わった。優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。 青く広がる大空は鉄の雨に見えなくなった。 草の匂いは死臭で濁り、光り輝いていた海の水面は、戦艦で埋め尽くされた。 火炎放射器から噴き出す炎、幼子の泣き声、燃え尽くされた民家、火薬の匂い。 着弾に揺れる大地。血に染まった海。魑魅魍魎のごとく、姿を変えた人々。阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。

みんな、生きていたのだ。私と何も変わらない、懸命に生きる命だったのだ。彼らの人生を、それぞれの未来を。疑うことなく思い描いていたんだ。 家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。仕事があった。生きがいがあった。 日々の小さな幸せを喜んだ。手を取り合って生きてきた、私と同じ、人間だった。 それなのに。壊されて、奪われた。 生きた時代が違う。ただ、それだけで。無辜の命を。当たり前に生きていた、あの日々を。

摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。 悲しくて、忘れることのできない、この島のすべて。 私は手を強く握り、誓う。奪われた命に思いを馳せて。心から誓う。

私が生きている限り、こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。 もう二度と過去を未来にしないことを。 全ての人間が、国境を越え、人種を超え、宗教を超え、あらゆるr利害を超えて、平和である世界を目指すことを。 生きること、命を大切にできることを、誰からも侵されない世界を創ることを。 平和を創造する努力を、厭わないことを。

あなたも感じるだろう。この島の美しさを。 あなたも知っているだろう。この島の悲しみを。 そして、あなたも、

私と同じこの瞬間を一緒に生きているのだ。

今を一緒に、生きているのだ。

だから、きっと分かるはずなんだ。戦争の無意味さを。本当の平和を。 戦力という愚かな力を持つことで得られる平和など、本当はないことを。 平和とは当たり前に生きること。その命を精一杯輝かせて生きることだということを。

私は、今を生きている。みんなと一緒に。 そして、これからも生きていく。一日一日を大切に。平和を想って。平和を祈って。 なぜなら、未来は、この瞬間の延長線上にあるからだ。 つまり、未来は、今なんだ。

大好きな、私の島。誇り高き、みんなの島。そして、この島に生きる、全ての命。私とともに今を生きる私の友、私の家族。

これからも、共に生きてゆこう。 この青に囲まれた美しい故郷から。真の平和を発信しよう。 一人一人が立ち上がってみんなで未来を歩んでいこう。

摩文仁の丘の風に吹かれ、私の命が鳴っている。 過去と現在。未来の共鳴。 鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。 命よ響け。生きゆく未来に。 私は今を、生きていく。


 


誓い~私達のおばあに寄せて

2017年07月18日 | 乱読本
「沖縄全戦没者追悼式」で朗読された詩は次の通りです。
沖縄県立宮古高等学校3年  上原 愛音(ねね)
 
誓い~私達のおばあに寄せて 
 
今日も朝が来た。
母の呼び声と、目玉焼きのいい香り。
いつも通りの
平和な朝が来た。
七十二年前
恐ろしいあの影が忍びよるその瞬間まで
おばあもこうして
朝を迎えたのだろうか。
おじいもこうして
食卓についたのだろうか。
 
爆音とともに
この大空が淀んだあの日。
おばあは
昨日まで隠れんぼをしていたウージの中を
友と歩いた砂利道を
素足のまま走った。
三線の音色を乗せていた島風に
鉄の臭いが混じったあの日。
おじいはその風に
仲間の叫びを聞いた。
昨日まで温かかったはずの冷たい手を握り
生きたいと泣く
赤子の声を抑えつけたあの日。
そんなあの日の記憶が
熱い血潮の中に今も確かにある。
決して薄れさせてはいけない記憶が
私の中に
私達の中に
確かに刻まれている。
少女だったおばあの
瞳いっぱいにたまった涙を
まだ幼かったおじいの
両手いっぱいに握りしめたあの悔しさを
私達は確かに知っている。
広がりゆく豊穣の土に芽吹きが戻り
母なる海がまた
エメラルドグリーンに輝いて
古くから愛された
唄や踊りが息を吹き返した今日。
でも
勇ましいパーランクーと
心臓の拍動の中に
脈々と流れ続ける
確かな事実。
 
今日も一日が過ぎゆく。
あの日と同じ刻(とき)が過ぎゆく
フェンスを飛びこえて
絞め殺されゆく大海を泳いで
 
癒えることのない
この島の痛み
忘れてはならない
民の祈り
 
今日響きわたる
神聖なサイレンの音に
「どうか穏やかな日々を」
先人達の願いが重なって聞こえる。
 
おばあ、大丈夫だよ。
今日、私達も祈っている。
尊い命のバトンを受けて
祈っている。
おじい、大丈夫だよ。
この島にはまた
笑顔が咲き誇っている。
私達は
貴方達の想いを
指先にまで流れるあの日の記憶を
いつまでも
紡ぎ続けることができる。
 
誓おう。
私達はこの澄んだ空を
二度と黒く染めたりしない。
誓おう。
私達はこの美しい大地を
二度と切り裂きはしない。
ここに誓おう。
私は、私達は、
この国は
この世界は
きっと愛しい人を守り抜くことができる。
この地から私達は
平和の使者になることができる。
 
六月二十三日。
銀の甘蔗(かんしょ)が清らかに揺れる今日。
おばあ達が見守る空の下
私達は誓う。
私達は今日を生かされている。
 
◎ウージー=サトウキビ
◎パーランクー=手持ちの片張り太鼓
◎甘蔗=かんしゃとも。サトウキビの別名

詩『平和の申し子たちへ!』

2015年05月29日 | 乱読本

詩『平和の申し子たちへ!』  泣きながら抵抗を始めよう (なかにし礼)

 

二〇一四年七月一日火曜日

集団的自衛権が閣議決定された

 

この日 日本の誇るべき

たった一つの宝物

平和憲法は粉砕された

 

つまり君たち若者もまた

圧殺されたのである

 

こんな憲法違反にたいして

最高裁はなんの文句も言わない

 

かくして君たちの日本は

その長い歴史の中の

どんな時代よりも禍々(まがまが)しい

暗黒時代へともどっていく

 

そしてまたあの

醜悪と愚劣 残酷と恐怖の

戦争が始まるだろう

 

ああ、若き友たちよ!

 

巨大な歯車がひとたびぐらっと

回りはじめたら最後

君もその中に巻き込まれる

いやがおうでも巻き込まれる

 

しかし君に戦う理由などあるのか

 

国のため? 大義のため?

 

そんなもののために

君は銃で人を狙えるのか

君は銃剣で人を刺せるのか

君は人々の上に爆弾を落とせるのか

 

若き友たちよ!

 

君は戦場に行ってはならない

なぜなら君は戦争にむいてないからだ

 

世界史上類例のない

六十九年間も平和がつづいた

理想の国に生まれたんだもの

 

平和しか知らないんだ

平和の申し子なんだ

 

平和こそが君の故郷であり

生活であり存在理由なんだ

 

平和ぼけ? なんとでも言わしておけ

 

戦争なんか真っ平ごめんだ

 

人殺しどころか喧嘩(けんか)もしたくない

 

たとえ国家といえども

俺の人生にかまわないでくれ

俺は臆病なんだ

俺は弱虫なんだ

卑怯者(ひきょうもの)? そうかもしれない

 

しかし俺は平和が好きなんだ

 

それのどこが悪い?

 

弱くあることも

勇気のいることなんだぜ

そう言って胸をはれば

なにか清々(すがすが)しい風が吹くじゃないか

 

怖(おそ)れるものはなにもない

愛する平和の申し子たちよ

 

この世に生まれ出た時

君は命の歓喜の産声をあげた

君の命よりも大切なものはない

生き抜かなければならない

死んではならない

が 殺してもいけない

 

だから今こそ!

 

もっともか弱きものとして

 

産声をあげる赤児のように

泣きながら抵抗を始めよう

泣きながら抵抗をしつづけるのだ

泣くことを一生やめてはならない

 

平和のために!


「岳人 700号記念」

2005年10月25日 | 乱読本

「岳人 700号記念」東京新聞出版局 2005.10.1 (お勧め度:★★☆☆☆)

 山岳月刊誌に、「山と渓谷」「岳人」その他(?)があるのだが、自分は昔から前記二冊を時と場合に応じて購入している。この手の雑誌は1年間購読してみれば大体の傾向が掴めるので最近は殆んど「立ち読み」で通している。

 去年の5月に、本屋さんの店頭で「岳人」を「立ち読み」していたら、なんと私の故郷、藤見中学校の担任で国語の上村幹雄先生が特集記事に載っていた。峡彩山岳会で活躍している事は中学生の時から聞いていたが、まさか「岳人」でお逢いするとは思わなかった。記事では、「峡彩ランタン会の重鎮」と紹介されていたが笑っている顔は昔と変わらずお元気そうで大変懐かしかった・・・・私の山好き人生は先生の影響ではなかったが、先生はよく授業中か休み時間に山の話をしてくださった。また、写真の現像や焼付もしていて友達と先生の家へお邪魔して暗室に入った事もあった。中学校卒業後忘れ忘れになっていたが、まさか「岳人」で出会うとは、びっくりした次第である。

 

 「岳人」が創刊されたのは1947年(昭和22年)5月だそうでこの10月号で通算700号を迎えたという。その記念特別グラフに皇太子さまの「秋山の思い出」が寄稿されている。皇太子さまが登山を趣味としている事は多くの人が知っていると思うが。自然に親しまれている姿は優しさが現れていて良いものである。 

 


「回想の谷川岳」

2003年02月12日 | 乱読本

「回想の谷川岳」安川茂雄 河出書房 2002.8.20 (お勧め度:★★★☆☆)

 

この本は、著者がある一時期に情熱を燃やした谷川岳を中心に、回想的に書き綴ったものである。

戦時中の日本全体が末期的な様相を呈していた頃は、登山行為など今では想像も出来ないほど困難な時代であった。

装備は勿論、食料にも事欠き、電車の切符さえ手に入り難いという非常時であったにもかかわらず著者は情熱的に登山活動を続けた。一ノ倉沢の名立たるルートを矢継ぎ早に登っていったのである。

著者の初登攀記録となった、谷川岳幕岩正面ルンゼ状岩壁の「秋のある登攀より」は、迫真の状況・心理描写が圧巻である。

一章は.「回想の谷川岳」、二章には谷川岳以外の山の随想を集めた「山の歳時記」、三章には「山をめぐるノート」と題してウェストンと一日本人、ヒマラヤや谷川岳における登山思想などが収めてある。



「K2に憑かれた男たち」

2000年02月12日 | 乱読本

「K2に憑かれた男たち」本田靖春 文春文庫1985.7.25(お勧め度:★★★☆☆)

 

昭和52年(1977年)日本山岳協会隊のK2遠征をテーマにしたルポルタージュである。

 

 カラコルムの帝王と呼ばれる標高8611メートルのK2は、エベレストに次ぐ世界第二位の高峰である。K2のKはカラコルムの頭文字で、2は測量番号を意味する。

 

地方に住む無名の社会人登山家の集まりである、HKT(日本ヒンズークシュ・カラコルム会議)で、この計画が持ち上がった。この大遠征を行うためには、1億円を上回る資金を調達しなければならないと予想された。HTKでは、到底それだけの募金能力がない。そこで、日山協のお墨付きを得て、K2登山許可取得や資金調達を図ることになる。

彼らにとって、K2を落とすより、社会を落とす方が大事業だった。仕事を棄ててまでヒマラヤの高峰に挑む男達の情熱と、山岳協会の体面、面子へのこだわり・・・等が、遠征以前の問題として、詳しく書かれていて当時の海外遠征を知る上で貴重なものだと思う。

 また、実際のアタックにおいても、隊員は全国から集めた「一匹狼」であるため、誰がサミッターになるかという駆け引き、嫉妬、無念さ等が見事に描かれている。中でも、伝説である?森田勝の「第一次アタック隊」を外され、「第二次アタック隊」にされたことで、山を降りてしまう・・・当時の彼を取り巻く状況や「森カツ」の山への情熱・・・などは、登山には素人である著者が、山の技術的な面を別として、大規模遠征隊の中で繰り広げられる人間的なエゴや葛藤を見事に描いていて興味が尽きない。



「私の山 谷川岳」

2000年02月10日 | 乱読本

「私の山 谷川岳」杉本光作 中公文庫 昭和58年9月 (お勧め度:★★★★★)

 

 岩と雪を対象に、より高度な登山を追求する近代登山が、日本の登山界に芽を出したのは大正十年前後である。しかしそれは当時、恵まれた生活環境にある大学山岳部とその関係者のもので、一般社会人登山者にまでは入りこんでいなかった。しかし、昭和6年の上越線の開通は、それまで時間的、経済的にハンデキャップを負わされていた社会人登山者に、大きな展望を与えた。近代登山の舞台としての谷川岳が、一ノ倉沢の岩壁を中心に手の届くところに姿を現したからである。それは社会人登山者の情熱を、一気に爆発させるきっかけとなった。その先頭に立ったのが、杉本光作さん、山口清秀さんたちの登歩渓流会であった。

 本書には、著者が最初の谷川岳山麓を訪れた昭和6年1月から昭和15年5月までの、いくつかの山行記録がほぼ時を追って収められている。著者の山との出会いは大正11年15歳の男体山であり、それから約60年間山登りをつづけていて、谷川連峰には100回以上入ったと語られているが、著者にとって忘れ難いのは昭和戦前の谷川岳であった。

 著作の大半は谷川連峰の登攀、とくに東面の初登攀と遭難救助関係で埋まっている。本書は戦前の谷川岳を中心とした岩登りの貴重な記録的文献であり、あらゆる世代の登山者に深い感銘を与えることだろう。

 また本書の「松濤明君と北鎌尾根遭難」は一読の価値がある。


「スキー・ツーリングに乾杯!」

2000年02月06日 | 乱読本

「スキー・ツーリングに乾杯!」佐伯邦夫1989.1.20山と渓谷社(お勧め度:★★★☆☆)

 

 いつもの「山道具屋」で見つけた1冊の本が本書である。なぜ目に止まったかと言うと、あの「会心の山」の著者、佐伯邦夫氏が書いた本であったこと、それと、何よりも心引かれたのは、「半額」の値段が付いていたからである。

 

 スキーの本というと、殆んどが技術上達や、ゲレンデ案内のようなもので、心ときめく体験を綴ったものは数少ないと思う。本書は、スキーツアーの記録であるが、コースの選定とかは、昨今のBCブームにあっても、新鮮さを感じることができるし、何よりも雪山の楽しさが伝わってくる。


「会心の山」

2000年02月06日 | 乱読本

「会心の山」 佐伯邦夫 中公文庫 昭和60年5月 (お勧め度:★★★★★)

 

剣岳を中心とした北アルプス北部、頚城の山々などいくつかの山行記集。

山の嵐、におい、光、音が肌で感じられ、日本の山のよさを改めて教えられる珠玉の山行記集であるが単なる登行事実の報告や案内でなく著者の山への思い登山姿勢が表出されている。

 

「どんな山だって、大事なのは、それを、いかに登るかだ。もとよりぼくらは、山中にただ在るためにだけ来ているのではない。登山者でありクライマーである以上、いかにそれを為すかが問題ではないか・・・・・・会心の登山をしたい。静かに、自らのうちに湧き起こる意志と力だけで登りたい」