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業務&ITコンサルタントのひとり言

コンサルティング活動を通じて感じることを勝手気ままに記載

何故日本の社会では、政治の話はタブーなのか?

2022年10月29日 07時57分42秒 | 社会全般
先日みたネット番組で、印象に残る発言が有った。それは「日本の社会では、政治の話を出来ない(していない)。欧米の社会では同僚やご近所との間で政治の話を普通にするが、日本ではそれができない。この事が問題であり、気軽に政治についての会話ができる社会になる必要がる」と云う様な事を言っていた。
これを聞いた時は、”確かにそうだよね。良い事云うね”と感じたが、その後、良く考えてみると、この発言は必ずしも正しいとは思えなくなってきた。それで今回はこの事について、考えてみたい。

確かに日本の社会では、ビジネス上での雑談では、政治の事は当然として、どの野球のチームを応援するかについても会話してはいけないと云った、社会通念がある。特に東京に住んでいる人が熱狂的なファンがいる地域への出張の最には注意が必要であった。
実際、自分も仕事中は政治の話をした事は全く無いし、酒の席であってもごく僅かな親しい人とのみしか政治的な会話したことがない。野球に関しては多少は会話した事は有るが、自分自身が贔屓にしている球団が今は無いので、関西などの東京以外に行った時などにて、場を和ませるために、野球やサッカーなどの話をする程度である。

このネット番組での発言を聞いた時は、その意見に同意していたが、その後疑問が湧いてきた。

残念ながら、我々日本人は違う意見を持つ人との議論には慣れていない。意見が違うと、人間関係が険悪になり易く、対立関係に陥ってしまう事が多い。相手の意見を尊重する事が出来ず、そして相手の意見と人間性をごっちゃにしてしまう傾向があるためであろう。
欧米、特にアメリカでは意見は意見として脇に置き、普通の人間付き合いが出来るのだが、それが日本人は下手なのである。その昔、アントニオ猪木とモハメドアリが試合をしたのだが、その試合前にモハメドアリが、「試合後はアントニオ猪木と友達になれると思っている」様な事を言ったのだが、日本の文化で育った当時は子供だった自分に取って、試合をする敵と何故友達になれるのか、全く理解できなかった事を記憶している。試合は単なる試合であって、人間関係は別である事は、大人になって、世界の人達と仕事をしてきた今は理解できる。
その様な特性を持つ日本人が、ビジネス上で政治を話をしてしまい、もし政治信条が違うとビジネスが成り立たなくなる事は明白であろう。そして「同僚やご近所との間で政治の話を普通にできる社会」になるには、ハードルが余りにも高いと感じる。

もし、冒頭のネット番組での発言を実現したいとするならば、先ずは日本人同士で意見の違う人と議論をする訓練が必要である。そして議論をした後にも仲良くできる関係を築ける様になったら、ビジネス上での雑談で、政治の話も出来るのではないだろうか。意見が違っても相手を人間として尊重する事が出来る様になりたいモノである。

因みに、そして但し、先ほど”欧米、特にアメリカでは意見は意見として脇に置き、普通の人間付き合いができる”と書いたが、これは昔の話であって、2016年の大統領選挙辺りから、政治信条が違う人同士は、人間関係も崩れてしまう様になってきた。その傾向は、考え方の多様性を認めない勢力が強くなってきた事が原因と思われるが、この”多様性を認めない勢力”とはリベラル&左翼か、または右翼かについては、ここでは言及しないでおこう。
コメント
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