goo blog サービス終了のお知らせ 

業務&ITコンサルタントのひとり言

コンサルティング活動を通じて感じることを勝手気ままに記載

壊れたニッポンを治す為の処方箋#3:1月12日の日経「高校無償化」は必要か?

2025年02月24日 11時52分46秒 | 社会全般
1月12日の日経に、高校教育の無償化の記事があった。大学も含めて高等教育の国公立の無償化については、基本的には推進すべきと考えているが、条件がある。条件の一つは私立への支援はホドホドにし、その変わりに国公立の学校を増やす事が必要である。

この高校無償化は、大阪の維新の会が進めた政策なのだが、それを全国に広めようとしている。これは一見良い事に見えるが、私立については、多少の補助金を出す程度で十分だろう。

問題の根本は二つあり、その一つは公立高校に行きたくても受験と定員の制限から行けない学生が多く居る事である。特に都会には私立の学校が沢山あり、その分公立高校の定員が少なくなっている。

二つ目の問題は、私立の有名大学の付属校に行く事で、私立の大学にエスカレーション的に上れる事が、私立の高校に進学する事が親のモチベーションになっている。それでこの問題は、国公立の大学を増やす事で簡単に解決出来る。

国公立の大学を増やすと同時に、公立の高校も都会を中心に増やす必要が有る。ただその為には条件がある。それは勉強しないと卒業できない仕組みにする事である。そして高校教育ではもう一工夫が必要になるだろう。

高校は単位制にし、学期単位で単位の取得を完了できる様にすべきである。そして、学期毎に習得したい単位数を自由に選択出来る様にすべきである。そして必要単位を習得すれば、早くに卒業できる様にする事も必要である。

この単位制を前提とし、公立高校を二つのグループに分ける事も考える必要がある。トップクラスの成績の学生を集めた高校と、地域の学生を中心に集める高校との2種類である。流石に高校レベルで学習の理解度がかけ離れた学生が同じ場所で学ぶ事は決して良い事ではない。その為、テストによって選別する学校と、希望する学生がほぼ全て入学できる学校との分ける事が必要となる。地方都市の公立高校はこれに近い形になっていて、ある程度優秀な生徒から、中学時の成績がそれ程良くない生徒等が混在している。

学生によっては成績優秀でも地元の高校に通いたい学生も居るだろう。その様な学生には単位の習得を早めると同時に、学校はより高い教育を受けられる選択肢も用意する必要がある。

一方勉強しない学生には、長い期間学校に残るか、または退学させる事も必要である。または工学系や商業系の高校に転校する等の対応をする事で、社会で活躍出来る人間を教育する事が大事になってくる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

壊れたニッポンを治す為の処方箋#3:高額医療の自己負担額の増加について

2025年02月23日 10時20分21秒 | 社会全般
高額医療の自己負担額の増加について反対意見が世間を賑わせている。この反対意見には積極的には賛同しないが、維新が提案し自民が合意した医療費全体の削減目的に自己負担額の増加を決めた事には反対したい。そしてそもそも、健康保険制度を見直す必要がある。

先ず負担額の増加について積極的に賛成しない理由は、物価の高騰に合わせて、負担額の増加も仕方がないと考えているからである。負担が増える事は誰にとっても喜ばしい事ではない。しかし、負担が増える事もある程度許容する必要があるのではないだろうか。

この日本の健康保険制度には様々な問題点があり、それらを解決する事の方が重要である。その一つ目の問題は、日本での滞在期間がたった3ヵ月で健康保険に加入できる事である。この悪法は、民主党政権下で1年から3ヵ月に改定されたのだが、これが即刻廃止し、1年以上に戻す必要がある。特に隣国の住民がこの悪法を利用し、日本の優れた医療を受けていると聞く。それが、国レベルでの医療費の増加に影響しており、これらの不当な利用を止める事で、財政面での負担を減らす事が出来る。国はこの問題を隠し、国民の負担額を増やそうとしているので、この点については憤りを感じている。

二つ目の問題は、保険の負担額の差が余りにも大きい事である。健康保険の保険料の最低が5788円に対して、最高額は13万8772円で、約13万円以上の差で、約24倍の差である。参考として、厚生年金の差は、最低が1万6104円、最高が11万1950円で、約10万円の差、そして約7倍の差である。この様に比較すると、健康保険の差が大きすぎると感じている。

この国民健康保険制度は低所得者でもちゃんとした医療を受けられると云う、世界に誇れる制度なのだろうが、この差は厚生年金レベルまで縮める事を望みたい。そして厚生年金は将来的には自分に帰ってくるが、この健康保険は一切自分には戻ってこない。なので尚更、この大きな差については納得感が低く、出来れば是正してもらいたい。

そしてこれは国民の為の制度であって、外国人の為の制度ではない。その為、外国人の最低保険料は、少なくとも日本の国民の中間的な収入レベルにすべきである。そもそも、何等かの生活支援が必要なレベルの低収入の外国人を日本に住まわせている事自体が何か間違っている。その為、日本の健康保険制度の恩恵を預かりたければ、それなにに負担額も増やすベキである。

それで外国人に大しての適正負担額は、日本人の平均賃金である480万円を12ヵ月で割った月額収入が40万円辺りの保険額が適当であろう。そしてその保険額は、約3万8千円で、個人の負担額はその半分である。

三つ目の問題は、ムダな延命治療が多い事である。これは前にも書いたが、胃ろうなどの延命治療は即刻止めるベキである。自分で食べる事が出来なくなったら、それはその人の寿命であり、ムリに生きさせる事をすべきではない。その人の為にも...。このムダな延命治療を止めれば、その分の国の医療費負担は下がる。

この様に、ムダな医療と外国人による不当な医療費が減れば、高額医療費の自己負担額の増加をしなくても済むかもしれない。政治家は、先ずはこれを分析し、実行すべきである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

壊れたニッポンを治す為の処方箋#3:1月11日の日経「ボランティアに災害地往復保持」の問題点

2025年02月22日 13時25分44秒 | 社会全般
1月11日の日経に「ボランティアに災害地往復保持」と云う記事があった。被災地に入るボランティア団体に交通費の一部を補助するとの事で、一見良い事に見えるが本末転倒である。本来国が行うべき事を行わないから、ボランティアが活動している事をなんとも思っていないのだろう。

「昨年1月発生の能登半島地震などの災害救助法が適用された被災地で、今月10日から3月末までに活動する団体に対して、審査で認められれば1件当たり上限50万円を支給する」とある。そして坂井防災担当大臣は、「被災者支援活動が活性化し、復興の後押しになることと期待したい」と述べているらしい。腹立たしい発言である。

繰り返すが、被災地の復興は、本来国が行う事である。しかし昨年の1月1日に発生した能登の地震の復興については、国は不十分なお金しか出していない。役人は、自分達の天下り先への投資は積極的に行っているが、東京から見ると僻地に見える能登への復興資金の捻出を出し惜しみしている。そんな中、ボランティアを行っている人は、復興が進まない状況に不満を持ちながら、被災者のためを思って一生懸命にボランティア活動を行っている。

この遅々として進まない責任は、国政に携わる国会議員や財務省などの役人だけの所為ではなく、石川県の知事を始めとしたリーダーシップの欠如も問題でもある。

阪神・淡路大震災から始まって、東日本大震災などの大きな災害を経験し、災害支援の在り方について、十分学習効果を発揮していなければならないのに、その学習効果が殆ど見られないのが、今回の能登半島地震発生後の国及び石川県の対応である。

我々国民が出来る事はただ一つ。公金チューチューを推進している左翼系の政党と政治家を国会から排除する事である。今の自民の多くは左翼系であり、国民の事など考えていない。そしてそれに合わせて多くの役人も、公金チューチュー組である。政治家の次は、これら役人の入替えも必要になる。霞が関の役人だけでなく、地方自治体でも問題は少なくない。それが昨年行われた兵庫県の知事選で露わになった。

今、アメリカでは公金チューチューに対してお金をバラまいていたUSAIDの所業が露わになりつつある。日本もでの金額の程度の違いはあるにせよ、似た様な事が日本でも行われている。これらを止めれば、災害復興に使う為の原資は幾らでも捻出できる。大事な事は、政治家に対する厳しい目線を送れる国民になる事である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

壊れたニッポンを治す為の処方箋#3:アメリカ副大統領のバンス氏によるドイツでの演説から考えるベキ事

2025年02月20日 20時15分53秒 | 社会全般
アメリカ副大統領のバンス氏がドイツで演説を行い、そこでEUでの現在の問題点を指摘したのだが、その問題はそっくりそのまま日本にも当てはまる。一つは「SNS規制を止めるベキ」と訴え、もう一つは「欧州が抱えている脅威はロシアでも中国でもなく、欧州の内側にある」と。

この「欧州が抱えている脅威はロシアでも中国でもなく、欧州の内側にある」と云う言葉は大変重要で、この”欧州”と云う箇所はほぼ全ての国家や地域に当てはまる。この箇所を日本に変えれば、「日本が抱えている脅威はロシアでも中国でもなく、欧州の内側にある」であり、アメリカも同じ問題を抱えており、今イーロン・マスク氏率いるDOGEチームが、その元凶であるUSAIDの解体を始めている。このUAIDは、表向きは後進国の支援活動を行う組織であるが、その内情は、世界各国の世論操作・言論統制を行っている組織である様だ。その世論操作の代表格が、LGBTであり、多様化の推進である。そしてトランプ大統領は就任直後に性別は男女のみと宣言し、行き過ぎた多様化に対してNoを突きつけている。

残念ながら、このUSAIDをめぐる報道は、日本では殆どなされていないと聞く。自宅にはTVがないのでTVからの報道がどうなっているのか知らないが、ネットやYoutube等での発信を見る限り、殆どのマスメディアでは報道されていないと聞く。幸い、自分が購読している日経新聞ではUSAIDの記事があるので、少し安心している所である。

話を元に戻すが、バンズ氏が言っている様に脅威は内側にあり、その活動資金源をUSAIDが出しており、その資金の一部が日本にも流れている。その受取先の代表格がNHKなのだが、これに関する記事や報道は大変少ない。報道が無いと云う事は、正に脅威は内側にあると言う事の裏づけであると云える。

この様にアメリカではトランプ政権下で、正に世直しが始まっている。それは物凄い勢いであり、毎日新しい情報が入ってくる。その報道をYoutubeで見るのが楽しみであり、アメリカを羨ましくも感じている。

しかし残念ながら日本では、DOGEチームがヤリ玉に上げているLGBTに関連する夫婦別姓の議論を行っている。そして、DOGEチームがUSAIDの無駄遣いを暴露している一方で、日本では無駄使いを棚に上げ、財源論を語っている。

このDOGEチームの活動が、良い意味で日本に飛び火する事を期待し、この書き込みを行っている。これを実現する為には、我々が立ち上がるしかない。一緒に頑張りましょう!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

壊れたニッポンを治す為の処方箋#3:今の日本の大学の問題点とあるべき姿

2025年02月16日 11時48分35秒 | 社会全般
昨日まで3回に分けて、日経に掛かれていた大学教授の論文を元に、問題点を指摘してきた。それらを総括し、解決方法を纏めてみたい。過去3回のBlogのリンクは以下になります。
1回目”https://blog.goo.ne.jp/s_and_m_consul/d/20250209”。
2回目”https://blog.goo.ne.jp/s_and_m_consul/d/20250211”。
3回目”https://blog.goo.ne.jp/s_and_m_consul/d/20250215”。

今の日本の大学には、様々な問題点がある。先ずは大学の制度としての問題店を4個指摘したい。
①大学入学時の学部選択:
今の日本の大学に入学する際に、学部や学科を選択する必要があるのだが、これは高校生にとってとてつもなく高いハードルである。高校生の時点で、自分が何をやりたいのか、何に向いているのか、など分かっている学生はほんの僅かである。仮に自分がやりたいと思っていた学部・学科に実際入ってみてから、自分に向いていないと感じた人は大変多いのではないだろうか。

アメリカの大学では、入学時点で学部や学科を決めなくてもOKな大学もあるが、一番大きな違いは、学部・学科を何時でも変える事が出来る事である。学科が指定する単位を取っていれば卒業出来るので、学部・学科を変更する事で、卒業までに習得した単位数が増えるダケである。また学生によっては複数の学科を修復する人も居る。これがアメリカのダイナリズムを支える仕組みであろう。

②学部によって分散されたキャンパス:
複数の学部を持つ日本の多くの大学は、キャンパスを複数持っている。これによって、教養課程を学部が独自に行っている大学が少なくない。これに拠る主な弊害は、非効率な教養課程の運営と、他学部との交流の疎外である。

大学は単に知識や技術を学ぶダケの所ではなく、情操教育や刺激を与える所でもある。学部別のキャンパスを持ち、そして企業の事務所の様なビルしかないキャンパスで、情操教育を提供する事は出来ないだろう。

③単一学部、または少ない学部しかない大学の存在:
この様な小さい大学を認可している事が問題で、大学として「情操教育や刺激を与える所」を提供する役割・価値を全うしていない。この様な大学は、特別な価値が無い限り、専門学校に格下げすべきであろう。

④3月開始の学期の在り方:
多くの人が知っていると思うが、殆どの先進国では秋から新学年が始まる。秋の学期は8月後半から12月後半に実施され、春の学期は1月初旬から5月中旬の4ヵ月間である。残りの3ヵ月は基本は夏休みだが、夏の間にも授業は行われている。日本も、これに合わせるベキであろう。

受験シーズンが2月から始まるが、この頃はインフルエンザが流行する時期でもある。1月のセンター試験を皮切りとした冬の間の受験シーズンは廃止にし、5~6月頃に行った方が、受験生にとって助かるハズである。

教育に中身に関して、問題点を二つ指摘したい。
⑤勉強しなくても卒業できる制度:
残念ながら、日本の大学は勉強しなくても卒業できる所が殆どである。そして学生は、アルバイトと遊ぶ事に精を出している。この状況を脱却し、勉強しないと卒業できない教育機関に変貌しないと、日本の将来は本当に暗い。

⑥大学の教育内容に対する評価制度の欠如:
一時期、日本でも大学の教育内容を評価する仕組みを作る事が議論されていたと記憶しているが、現時点ではその様な評価を行う仕組みは無いようである。因みに1月28日の日経電子版での記事に、「文部科学省は大学の運営を第三者が審査する「認証評価制度」を見直す。在学中の学生の成長具合など、教育の質を測る指標をつくり、複数段階で評価する。受験生らが偏差値やイメージではなく、教育内容を比較して進学先を選べるようにする。大学間の切磋琢磨(せっさたくま)を促し、大学教育全体の質向上にもつなげる。」とある。果たしてこの取組が機能するだろうか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

壊れたニッポンを治す為の処方箋#3:1月6日の日経の論文「日本の大学よ変れ」の重要性(その3)

2025年02月15日 10時57分11秒 | 社会全般
1月13日の日経のこのタイトルの連載は、前回とは別の教授が書いている。これも良い内容なので、紹介したい。。
記事へのリンクはこちらです。”https://www.nikkei.com/article/DGKKZO86019430S5A110C2CK8000/”
前回のBlogはこちらです。”https://blog.goo.ne.jp/s_and_m_consul/e/8bda748dbcded708baea3328edf1de3a”

1月13日の論文では、留学生の獲得に関する問題点の指摘である。この論文では、世界全体の留学生の45%が英語圏であるアメリカ、英国、オーストラリア、カナダの「ビッグ4」で学んでいるとの事だ。やはり、世界の共通言語として確率している英語圏に対抗する事は難しいであろう。

若者が留学する目的は様々あるだろうが、後進国の学生の目的は、卒業後の留学先の国家での就職する事であり、将来的には移民を意識しての留学である。一方日本の学生(学部生)の場合は、一つは言語の習得であり、もう一つは日本の大学では学べない国際感覚の醸成と知識の習得であろう。また大学院以上の研究者レベルになると目的が大きく変わり、より良い研究環境の確保と世界のトップの研究場所で得られる刺激であろう。

これらの目的を考えた場合、日本の魅力は低くなっている。社会人の給料は世界の二流レベルに成り下がっており、研究の場としても、魅力は低い。唯一の魅力は、共産国家からの自由と治安の良さを求ての留学と、技術の先進国としての価値がある事から、かの国にとってははまだまだ魅力的な様だ。

日本では留学生を30万人受け入れると云う目標を掲げているとの事で、23年では27.9万人の留学生が居たとの事だが、その約半数が語学や専門学校への留学との事で、語学留学を含める事は意味が無い。

昔は、外国人の留学生を受け入れる事で、自分の国を好きになってくれる人が増える事を期待していた面もあった。しかし、日本の隣国は相変わらず反日教育を続けており、そしてかの国は先に述べた様に日本の技術を盗む事と、日本の自由をおう歌する為に来ているので、かの国の受入れは制限すべきである。そして、ムリな留学生の受入れの目標は設定は、今後行う必要はない。

大事な事は、魅力ある大学の育成である。日本の大学の評価は相対的に低下しており、学問としての中身の相対的な低下の現れである。これらを改善する事が一番大事な目標設定であり、大学の質が上がれば、留学生も自ずと増えてくる。それが、この二人の大学教授が言いたかった事だろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

壊れたニッポンを治す為の処方箋#3:1月6日の日経の論文「日本の大学よ変れ」の重要性(その2)

2025年02月11日 11時07分19秒 | 社会全般
9日にアップしたBlogの続きである。先ずはそちらを見て頂きたい。
”https://blog.goo.ne.jp/s_and_m_consul/e/3cae9b5c6d77462850c94f5797e8fba8”

記事へのリンクはこちらです。”https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD195PA0Z11C24A2000000/”

4つ目の問題点は、教育課程の縦割りであり、これが日本の大学の一番の問題点であろう。

アメリカでは通常全ての学部が同じキャンパス内にある為、教養課程は様々な学部の生徒が一緒に受講する。その為受講生の数が多くなり、複数の時間帯で授業を行っているので、選択肢が高まる。またこの時点では、学部を必ずしも選択する必要がない大学もある様だ。そして一旦特定の学部に入学した後でも、学部の変更は簡単に行える。

このアメリカの制度には大きなメリットが二つある。その一つは、様々な学部の生徒が一緒に授業を受けられる事で、色んな学生と交流を持てる事である。大学生活はある意味多様な人達と交流する場であり、色んな刺激を受ける場でもある。それが単一の学部内のみで教養課程を受けたら、様々な人達との交流による多様性の理解は限定的になってしまう。

そしてもう一つの大きなメリットは、学部や学科を大学に入学してから決められる事である。高校の時に自分が進むべき学部や学科を見つけられる事は至難の業である。仮に見つけられたとしても、それに自分に適合しているかどうかは、やってみないと分からない面もある。そういった意味で、ある程度トライする機会を得られるのが、アメリカの大学の良さである。まだ複数の学部・学科の授業を受け、学位も得る事ができる事も大きなメリットである。

日本の大学ではこの様な機会が無い。なので、大学へは進んだが、自分のやりたい事ではない、または自分に向いていないと気づいた学部・学科で勉強する学生は大変多いのではないだろうか?そうなると、4年間学んだ事はあまり社会人になって役立てる事が出来ない事を意味する。これは大変もったいない事であり、日本の社会にとっても良く無い事である。

自分自身、最初はコンピュータサイエンスの学部に入学したのだが、途中で自分に向かない事を悟り、工学部の経営工学科に変更した経験がある。この学部を変更した事は、自分にとって最適な判断だったと今でも思っている。そして今は広義でコンピュータ関連の仕事をしているが、細かいコンピュータに関する事については疎く、マネージメント力で社会に貢献している積りでいる。

この論文の最後には、これらの問題を解決する為の方策として、「突破口になり得るのは教育の実態についての把握とそれを基礎とする情報公開だ。」と言っている。そしてその情報とは、「教員1人当たりの学生数、大教室授業の割合などの指標を大学間で比較すること」と書いているが、これは10年程前に検討されたが、現状は骨抜きにされていると云う。

これは大学が切磋琢磨し、向上していく事を拒んでいると云う事になるが、誠に残念である。是非この評価制度を復活させ、日本の大学をより良い教育機関に変えて欲しいものである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

壊れたニッポンを治す為の処方箋#3:1月6日の日経の論文「日本の大学よ変れ」の重要性(その1)

2025年02月09日 13時00分55秒 | 社会全般
1月6日の日経に大変良い論文が掲載されていた。その内容は現在の日本の大学教育の問題点を指摘しているのだが、納得できる事が大変多い。日本の大学は勉強する所ではなく、レジャー化していると昔から言われている事が、今の日本の国力低下に繋がっている。

この良い論文については、3回に分けて紹介していきたい。

筑波大学の教授が書いたこの論文の表題は「『教育の空洞化』克服を」で、サブの表題に「日本の大学よ変われ」とあるが、この論文を読んだ印象では、「空洞化」よりは「変われ」の方が重要なメッセージかと思われる。

一つ目の問題点は、明治時代から始まった大学での”詰め込み教育”が、戦後も続いていると云う事である。明治から大正に掛けては、欧米に追い付け追い越せで、トニカク欧米の知識が技術を習得する事が最優先であった為、”詰め込み教育”が一番必要だった時期であろう。その点では仕方がない面もある。そしてその頃の学生は、かなり勉強していた様で、学外での勉強時間も長かったとの事である。この”詰め込み教育”が、日本の小学校から大学まで行き渡っている事が、大変大きな問題であろう。

二つ目の問題点は、戦後に始まった新制大学の発足時に参考とした、アメリカの制度を理解出来なかった事にあるとの事である。具体的には、アメリカでは19世紀末に大学教育の近代化の過程で、学生の主体的な学習を理念として形成されたとある。その方法は、「1週間に2~3回の授業からなる授業科目(course)、双方向の授業、必読文献、授業助手(TA)、小テスト(quiz)など授業の様々な『しかけ』が形成されていった」とある。

チョット分かり難いかもしれないが、1学期(Semester)の4か月弱の期間に、通常4回のテストがあり、その間に小テストや複数の書物を読み、レポートを出す必要があり、これらをこなす場合、結構忙しくなる。そして通常1学期内に4~6個のコースを受講する。、例えば5コースを受講する場合、月水金は各1時間を3コース、火木は各1,5時間を2コース受講するパターンが多い。毎日3時間の授業を受け、残りの時間は勉強や、学生の仲間とのコミュニケーションである。

一方日本の大学では、週に1回1~2時間のクラスを沢山受講するの為、1学期に20単位以上を受講し、多くの学生は3年で必要な単位をほぼ取得する。そして4年目は就職活動が中心になってくる。また授業に出席しない学生が大変多く、授業がキャンセルになる事も少なくない。アメリカでは授業がキャンセルになる事は殆ど無いのだが...。

三つ目の問題は、二つ目と絡めて考える必要がある。この論文には日本の大学生の授業以外の学習時間の分布をグラフ形式で掲載しているのだが、週にゼロ時間から2時間以内の勉強時間の学生はほぼ半数近くで、75%以上の学生が、5時間以下の勉強時間した取っていないとの事である。学外で勉強をしない分、日本の学生はアルバイトの精を出している一方で、アメリカの学生は”詰め込み”ではない勉強をしている。その結果が、今の国力の差になってはいないだろうか?
(11日に続く)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

壊れたニッポンを治す為の処方箋#3:12月30日の日経に記載されていた世界の大学の授業料の比較から見える問題点と記事の幼稚さ

2025年02月08日 12時05分18秒 | 社会全般
12月30日に世界の大学の授業料や収入の内訳を記載したページがあった。この紙面ではグラフなどの視覚的情報が沢山掲載されているのだが、授業料と奨学金の視点と、収入の内訳の2点での論評を行いたい。授業料は国によって様々だが、収入の見劣りが大きい。

先ずは授業料に関してだが、国家によって考え方がかなり違う様で、授業料が実質無料のドイツやフランスと、公立と私立の差が少ないイギリス、そして公立と私立とで差がある日本やアメリカなど、国家の考え方の違いが大きく、比較のしようがない。ただ一つ言える事は、授業料が高い海外では、奨学金などの支援が手厚く、特に返還不要の奨学金が充実している所が日本との違いであろう。

アメリカの場合、殆どの大学にはキャンパス内に学生寮が併設されており、生活費を抑える事が出来る。日本の学生寮の様に上下関係などの人間関係での問題も少なく、当然食事も提供されているので、親としても安心して預けられる。

一方日本の大学では授業料はアメリカよりは安いが、アパート暮らしをしている学生は多く、交通費も含めた生活費の負担は都会になるほど高い。昨今の日本と海外との物価の差を考えると、日本の方が安いかも知れないが、2000年以前であれば、アメリアの田舎の大学の方が、生活コストは遥かに安かった。

一番の問題は、大学の収入の差・違いである。この記事では、オックスフォード大とハーバード大学との比較情報しかないので、そこからの論評に限定してしまうのだが、先ずは収入金額と収入の内訳に大きな違いがある。

金額面では、東大は1736憶円に対して、オックスフォード大学は3308憶円、そしてハーバード大学は6062憶円と、大きな差がある。そして差より大きな違いは、その収入の内訳であろう。当然、公立大学の東大は交付金が40%以上を占め、約700億円程度であるが、一方のハーバード大学は交付金ゼロである。一方授業料の割合は、東大が凡そ10%を占めているのに対して、オックスフォード大学は15%程で、ハーバード大学は22%程度である。公立と私立を比較する事自体に問題があるが、比較において授業料が安い東大での授業料の割合が高い事が懸念事項であろう。

この中で一番大きな違いは、オックスフォード大学やハーバード大学では出版業や資産運用などの収入が30%以上占めているのに対して、東大はゼロである事である。東大は自らの力で、収入を得る事が出来ていないと云う、決定的な課題が浮彫になっている。

ただこの記事自体に沢山の問題がある。一つはハーバード大学での寄付金収入の金額を記載しているが、東大やオックスフォード大学ではその金額を記載していない。そして一番の問題点は、学生一人当たりの割合や金額の記載がない事である。総額で記載しても、各大学は学生数が全然違う。その状況下で総額で比較しても、新聞社が出す情報としては、かなり幼稚であると言える。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

壊れたニッポンを治す為の処方箋#3:12月30日の日経「選挙結果 Z世代が左右」の重要性と課題

2025年02月02日 10時44分07秒 | 社会全般
12月30日の日経1面に「選挙結果 Z世代が左右」と云うタイトルの記事があった。昨年秋の衆議院選挙では、SNSの活用で若年層の支持を取り込み、躍進したとの事であるが、まだまだ不十分である。

この記事には、高齢者向けと家族向け支出のGDB比を先進4か国と比較したグラフが載っていたのだが、高齢者向けはフランスを除けばほぼトップクラスである一方で、家族向けはアメリカの次に低い割合になっている。この情報から云える事は、日本では、若者向けにお金を使わず、お年寄りを中心に使っている傾向にある事が明確に分かる。但し、アメリカを除いてではあるが...。

この高齢者向けの政策に偏る理由は、やはり日本の若者が選挙に行かない事が大きな原因の一つと考えるベキだろう。実際記事には、「最近の衆議院選挙の投票率は60%弱で、20~30歳代は30~40%にすぎない」とある。一方、「北欧諸国は国政選挙で7~8割を超える」と…。選挙に行かない人は、国がどの様な政策を策定しようが、それに文句を云う資格はない。

この前の衆議院選挙では、国民民主の政策に共感した若者が、国民民主に投票し、大躍進を遂げている。若者が投票する事で、確実に成果は現れる。但し、れいわの様な左翼政党に投票しても、悪い方向に行くだけで、良くはならないが…。

しかし何故若者は、政治に興味がないのだろうか?

自分が子供の頃、日曜日に父親が家に居る時は、必ずTBSの”時事放談”を見ていた。今の若い人は知らないだろうが、結構年をいった人(ジャーナリスト?)が2~3名TVに出て、政治に関して論評する番組である。自分の故郷では当時民放は1~2局しかなく、また幼い自分にはTVの選択権も無く、親と一緒にこの”時事放談”を見ていた。多分その所為もあって、政治には子供の頃から馴染んでいた。そして選挙の毎に、選挙結果速報をマラソンでも見る様な感覚で見ていた。

多分、若者が政治に興味がない理由の一つは、家庭環境に拠るのだろう。家庭内で政治の話をしない家庭に育った場合、その子供は政治の知識が浅く、関心も向かないのだろう。

そしてもう一つの理由は、その家庭(親)が、子供に対して社会に対する責任感を醸成する教育を行ってきたかどうかであろう。親の行動、または家庭内での教育に、親が社会への責任を少しでも担う行動は発言をしていれば、多少は政治にも興味を持つ可能性が高まるであろう。そしてこれら二つの家庭内環境がない家庭に育った子供は、自ずと政治には興味をもたないのでは無いだろうか?それともこれは仮説としては、間違っているだろうか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする