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業務&ITコンサルタントのひとり言

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武道は人格(人格者)を育てるのか?②:欧米のスポーツでも人格者を育てている

2022年10月08日 13時52分16秒 | 経済
前回、”武道は人格(人格者)を育てるのか”をテーマに考えてみた。今回は、武道以外のスポーツでは人格(人格者)を育てられないのかを考えてみたい。

武道以外のスポーツでも、日本でトップレベルで競技している人達は、礼儀・礼節をわきまえていると感じる。例え、野球やサッカーの競技場であっても、出入りする時は軽く礼をすし、インタビュー等での受答えも、紳士的に対応できる選手も多くなってきた様に感じる。多分それは、トップレベルの指導者は、礼儀・礼節も含めて教育しいてるからであろう。そしてプロ野球などのスポーツで極めた人達の言動や振舞いには、人格者のオーラも出ている。例えば、長嶋さんや王さん等の言動には礼節と人格を感じる。また、現役の大谷選手もそちらの方に向かっている様に見える。グラウンドに落ちていたゴミを拾ったり、インタビューの受答えをみても礼節をわきまえている様に見える。

2019年に、日本でラグビーのワールドカップ(WC)が開催された。それまで、ラグビーをTV等で見た事はあるし、ルールも凡そしっていたが、このWCでラグビーの真髄の多少なりとも知る事ができた事は大変有意義であった。以前は、ラグビーを行う人達は、かなり気性が荒い人間が行うスポーツだと思っていて、チーム競技での格闘技というような感覚を持っていた。しかし、2019年のWCを見たお陰で、ラグビーは紳士的なスポーツである事を知る事ができ、自分の浅はかな理解を払拭した記憶がある。そういった意味で、武道以外のスポーツでも、十分人格(人格者)を育てられると確信が持てた。

武道を行っている外国人をみると、礼儀・礼節をわきまえているかどうか、または人格者かどうかと云う観点で見ると、あまりそうは思えない。外国人からすると、西欧のスポーツにはない独特な競技に親近感等を感じ、取り組んでいる人も多いと思うが、一般の日本人が持つ礼儀・礼節からはほど遠い。柔道のオリンピックを見ても、剣道の世界大会を見ても、日本人同士の試合との違いを強く感じる。勝つために手段を選ばない選手が誠に多いのである。勿論、一部には日本人以上に礼儀・礼節をわきまえている人も居るのだが...。
昔、アメリカ人にこう云われた。「アメリカ人はスポーツやゲームを勝ためにする。だから、相手の弱みに徹底的に付け入る」。この感覚は日本人にはなかなか持てない。勝つ事を目的としているため、勝つためには手段を選ばない場合もある。であるため、外国人にはスポーツを極めた人の中でも礼儀・礼節をわきまえた人が少ない様に感じる。

結論として、武道のみが人格者または礼儀・礼節をわきまえた人を育てている訳ではない。指導者次第であり、西欧起源のスポーツでも、人格者が育っている例も沢山ある。しかし、一番大事な事は、社会に役立つ人間を育てる事である。そういった視点・目的で武道または指導者は意識してもらいたいし、また子を持つ親であれば、その様に子供を育てて欲しいモノである。

最後に、前回書きそびれた事を余談として話したい。それは武道を行う事で、「人との間合い」の取り方が上手になると云われている事についてである。これについては、沢山の武道経験者が実感体験を語っており、信じるべきであろう。しかしこれについても武道以外のスポーツでは醸成出来ないのかとの疑問が湧いてくる。
モノの濃淡は有るだろうが、人と人が直接接触する様なスポーツでは、「人との間合い」を醸成できるのではないだろうか。例えば、サッカーやバスケットボールでは、1対1の時に間を詰めすぎたり開けすぎたりすると、簡単に抜かれるため、相手との距離感が大事である。また人との接触がないテニスや卓球の様な個人競技においても、”間”は大変大事であろう。それからチームスポーツのリーダを経験する事で、武道では経験できないリーダーシップ能力を得られる事も忘れてはいけないだろう。
それで、「人との間合い」を醸成するのは武道の専売特許ではなく、濃淡はあるが、他のスポーツでも十分醸成できると考える方が良かろう。


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