そして時の最果てへ・・・

日々の雑感や趣味の歴史についてつらつらと書き並べるブログ

歴史の教科書にみる科学

2010-03-09 23:45:19 | 雑感
ネットで「教科書」を5冊購入。

・もういちど読む山川世界史
・もういちど読む山川日本史
・数学ガール
・数学ガール フェルマーの最終定理
・数学ガール ゲーデルの不完全性定理

あんまり教科書らしくないっちゃぁないんですが、そんなことよりもチョイスのセンスが問題ありでしょうか。


届いたところにこんなニュースが。

たった四はいで夜も・・・黒船来航直後の作 (読売新聞)


黒船来航(1853年6月)にあわてふためく江戸幕府の様子を風刺した狂歌「太平の眠りを覚ます上喜撰(じょうきせん)(お茶の銘柄。蒸気船とかけている) たった四はいで夜も寝られず」が、ペリーが浦賀沖(神奈川県横須賀市)に来航した直後に詠まれていたことを示す書簡が東京・世田谷の静嘉堂(せいかどう)文庫で見つかった。

 この狂歌は、1878年(明治11年)の史料で確認されるのが最初で、後世の作との説も出てきたことから、現在は、多くの教科書が記載を見送っている。新資料の発見で旧来の説が裏付けられた形となった。


ワタシが日本史を勉強した13年前の教科書では、この狂歌はバッチリ掲載されていました。が、手元に届いた教科書を開くと、確かにこの狂歌は載っていません。

その他パラパラとめくってみただけで、
・「聖徳太子」という呼称や肖像画の妥当性
・「乙巳の変」と「大化の改新」
・富本銭の記述
・源頼朝の肖像画の妥当性
・「吉田兼好」という呼称の妥当性
・足利尊氏の肖像画の妥当性
・「慶安のお触書」の実態
・生類憐みの令の再評価
・「安藤広重」という画号の妥当性
・「五箇条の御誓文」という呼称の妥当性
などが「ワタシの教わった歴史」と変わっていました。
(近現代は迂闊なこと言えないので割愛しますが。)

こんなふうに、歴史は書き変わる可能性があり、教科書を「編修」する立場の人はそのことを踏まえて慎重に文章を書いていることがよくわかります。

自然科学だけでなく、社会科学の世界でもデータを吟味し、曖昧さを排し、正確さを期す。仮説を立てては(しばしば自分で)叩き壊し、それでも残ったものだけが真実として残る。学問は地道な積み上げの上にのみ存在する。

人間は足元の土を一歩一歩踏み固め、はるかな高峰を目指していくのです。