先日の記事で「ガーターベルトとエドワード3世に何の関係があるの?」というお問い合わせを受けましたので、この機会にエドワード3世のお話を。
1312年、イングランド王エドワード2世の子として誕生するんですが、母親のイザベラとその愛人のモーティマーに父親を殺され、14歳で傀儡君主となりますが、1330年にモーティマーの処刑と母の幽閉を断行して親政を開始します。
内政としては織物産業を振興するため、羊毛(原料)の輸出禁止、毛織物(製品)の輸入禁止という保護政策を採りまして国内産業の充実を図りました。このため「羊毛商人王」というあだ名もあります。
軍事的には歩兵中心の常備軍を編成します。特に速射性と威力を兼ね備えた長弓歩兵隊を充実させ、後の戦争でフランスに対するアドバンテージを確立することになります。
また1348年にはガーター騎士団を設立。ここでのエピソードとして、舞踏会でダンスをしていた貴婦人の靴下止めが落ちて周りの人達に笑われた時に、涼しい顔して靴下止めを拾い上げて「他人を悪く言う者に災いあれ」と言って自分の足に装着したんだそうです。それ以来ガーター勲章(ブルーリボン)はイングランドの最高勲章となり、今上天皇も叙勲されている名誉ある勲章なんです。だから「ガーター」と言ってもガーターベルトとは関係ないんですけどね。
(´σー`)ホジホジ
そしてエドワード3世と言えば戦争。1333年のスコットランド征服を皮切りにスロイス沖海戦(1340)、クレシーの戦い(1346)、ネヴィルスクロスの戦い(1346)、カレー攻略(1347)、ウィンチェルシー海戦(1350)と勝利を重ね、1356年にはポワティエの戦いで大勝利を収めフランス王ジャン2世を捕虜とします。平たく言いますと百年戦争の前半戦はエドワード3世が連戦連勝。ガスコーニュ、アキテーヌ、カレー、ポンティウ、ギーヌなどの広大な大陸領土を獲得することに成功しました。強い!
ただ、晩年は妻や皇太子(エドワード黒太子)に先立たれたり、ライバルのフランス王・シャルル5世に反撃を受けて大陸領を奪い返されたりしてます。晩節を汚した典型的な例です。
百年戦争を通じて「イングランド」という国家観が醸成され、薔薇戦争で国家の枠組みが決まったというのがワリと多数の歴史家の見解ですし、軍事費調達のために下院の権限強化を認め、後のイギリス議会政治の基礎となったことなども含めて考えると、近代イギリスの方向性を決めた王様、という見方ができるかもしれませんね。
1312年、イングランド王エドワード2世の子として誕生するんですが、母親のイザベラとその愛人のモーティマーに父親を殺され、14歳で傀儡君主となりますが、1330年にモーティマーの処刑と母の幽閉を断行して親政を開始します。
内政としては織物産業を振興するため、羊毛(原料)の輸出禁止、毛織物(製品)の輸入禁止という保護政策を採りまして国内産業の充実を図りました。このため「羊毛商人王」というあだ名もあります。
軍事的には歩兵中心の常備軍を編成します。特に速射性と威力を兼ね備えた長弓歩兵隊を充実させ、後の戦争でフランスに対するアドバンテージを確立することになります。
また1348年にはガーター騎士団を設立。ここでのエピソードとして、舞踏会でダンスをしていた貴婦人の靴下止めが落ちて周りの人達に笑われた時に、涼しい顔して靴下止めを拾い上げて「他人を悪く言う者に災いあれ」と言って自分の足に装着したんだそうです。それ以来ガーター勲章(ブルーリボン)はイングランドの最高勲章となり、今上天皇も叙勲されている名誉ある勲章なんです。だから「ガーター」と言ってもガーターベルトとは関係ないんですけどね。
(´σー`)ホジホジ
そしてエドワード3世と言えば戦争。1333年のスコットランド征服を皮切りにスロイス沖海戦(1340)、クレシーの戦い(1346)、ネヴィルスクロスの戦い(1346)、カレー攻略(1347)、ウィンチェルシー海戦(1350)と勝利を重ね、1356年にはポワティエの戦いで大勝利を収めフランス王ジャン2世を捕虜とします。平たく言いますと百年戦争の前半戦はエドワード3世が連戦連勝。ガスコーニュ、アキテーヌ、カレー、ポンティウ、ギーヌなどの広大な大陸領土を獲得することに成功しました。強い!
ただ、晩年は妻や皇太子(エドワード黒太子)に先立たれたり、ライバルのフランス王・シャルル5世に反撃を受けて大陸領を奪い返されたりしてます。晩節を汚した典型的な例です。
百年戦争を通じて「イングランド」という国家観が醸成され、薔薇戦争で国家の枠組みが決まったというのがワリと多数の歴史家の見解ですし、軍事費調達のために下院の権限強化を認め、後のイギリス議会政治の基礎となったことなども含めて考えると、近代イギリスの方向性を決めた王様、という見方ができるかもしれませんね。