そして時の最果てへ・・・

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アリストテレス

2010-08-29 23:57:21 | 歴史
「科学」を考えるシリーズ。前回の続きです。

プラトンは「イデア」という理想的な世界があるんだ!と想定し、そこから真理を導くスタイルをとりました。

しかしプラトンの弟子のアリストテレスは、こう考えました。

「イデアなんて、そんな目に見えないものを仮定するなんて馬鹿馬鹿しい!本当にイデアがあると言うならすぐ見せろ!ほら見せろ!そんな正しいか間違ってるか確かめられないオカルトチックなことを議論するより、世の中にあるものをつぶさに観察して、その特徴ごとに整理していったほうが、物事の本質に間違いなく近づけるんじゃないのか?」

そんなわけでアリストテレスは、身の回りにあるものを丁寧に観察するという現代の自然科学に用いられる手法で、いろいろな動物、植物、鉱物、天文データなどを収集し、特徴ごとに分類し、知識の体系化を行いました。

物事を事細かに観察し、そのデータを蓄積し、性質や特徴ごとに整理・分類し、知識を体系として構築していく。こういう科学の基礎は、アリストテレスが作り出したのです。

以上がギリシアを代表する哲学者たちの考え方です。特に注意していただきたいのはこういうところ。

・プラトンはある理想状態を仮定し、世の中の仕組みを説明しようとした。つまり究極の原理からの演繹によって論を展開した。普遍的な原理から個別のケースを導き出そうとした。少数の単純な原理から多数の複雑な事例を構成できると考えた。
・アリストテレスは自分の回りの観察を通して世の中の仕組みに到達しようとした。つまり具体例の積み上げによって帰納的に本質へ迫ろうとした。個別のケースをかき集めて普遍的な原理をあぶり出そうとした。多数の複雑な事例から、共通する項目を原理として抽出すべきと考えた。

イメージとしてプラトンは「上のほう」から世の中を描写し、アリストテレスは「下のほう」から世の中を積み上げていこうとした感じです。ラファエロの絵画「アテネの学堂」で、プラトンが天を、アリストテレスが地を指していたのは、こんな背景からなんです。

さて、自然哲学はアリストテレスまででかなりの発展を見せましたが、アリストテレスが弟子の育成に失敗したことや、キリスト教の教義がバイアスになったことも併せて、長い間停滞してしまうことになります。再び歩みを始めるのは、なんと1600年後のルネサンス期を待たねばなりません。