そして時の最果てへ・・・

日々の雑感や趣味の歴史についてつらつらと書き並べるブログ

そもそもこんな山の中に鉄道を走らせていることが奇跡だと思う

2010-08-11 17:31:40 | 雑感
1570年、朝倉攻めのため越前(福井県)に侵攻した織田信長は、浅井の朝倉方への寝返りによって越前と北近江から挟み撃ちに遭い、朽木谷(比叡山と琵琶湖の間)を抜けて命からがら京へ撤退したことがあります。「金ヶ崎退き口」と呼ばれる撤退戦です。

一方1582年には、堺を見物中の徳川家康の元に本能寺の変の一方が入りました。家康は落ち武者狩りを避けるため、甲賀(滋賀県南東部)から鈴鹿山脈を越えるルートで伊賀、伊勢(三重県)へと逃げたことがあります。「神君伊賀越え」と呼ばれる逃走ルート。

何が言いたいかと言いますと、
・天下人が命懸けで逃げた時の逃走ルート
・追手が大規模なな追撃隊を編成できないような険しい山道
という共通点があります。

そしてもう一つ、そんな険しい山間の土地に走っている鉄道は、雨風によってよくダイヤが乱れます。

大阪、および広島に住んでいたころ、帰省の際には湖西線(信長の撤退ルート)を利用して実家の石川県と行き来していましたが、「強風のため徐行運転」がしばしば。

でも乗り継ぎが無い分だけマシでした。現在住んでいます三重県から石川県へ電車で行こうとすると、家康の逃亡ルートである加太峠をくぐり抜ける必要があります。電車で言うと 関西線 → 草津線 → 北陸線 という乗り継ぎ。乗り継ぎがあると、例えば「関西線が雨のため遅れています」の場合、接続に失敗して何時間遅れるかわからなくなるわけです。

・・・で、昨日(8月10日)の終電で三重から石川に向かおうとすると、その「雨のため遅れています」が発動。北陸線の終電に接続できなくなる恐れがあったため、帰省を今日(8月11日)に延期しました。

と、これだけを言いたいがためにクドクド説明してきましたが、どうにかなりませんか、JRさん?