そして時の最果てへ・・・

日々の雑感や趣味の歴史についてつらつらと書き並べるブログ

自然哲学の誕生

2010-08-05 22:13:28 | 歴史
「科学」を考えるシリーズ。論旨は哲学なんですが、あらすじとして科学史、思想史をなぞることになりますので、ブログのカテゴリーとして「歴史」にしました。


さて、「考える」という特徴を持った生物、人類が地球に登場した時から、おそらくこんな事を考える人がたくさんいたことでしょう。

「どうして俺は生まれたんだ?どうして生きなきゃならないんだ?死んだらどうなっちゃうんだ?」

そんな疑問に答えるべく、イマジネーションとクリエイティビティーにあふれた、人類最初の大ボラ吹きが「神話」をでっち上げました。神様が人間を創っただとか、死んだら天国に行くだとか。

それを聞かされた人間も、最初はそれを信じていました。両親も祖父母達も、隣近所のおじさんおばさん達も全員信じている神話が間違っているはずがありません。

しかし人間が科学技術を発達させ、遠く離れた人たちと交流を持つようになります。時には平和的な商売として、時には戦争として。

そうなると、いろいろな地方の神話が集まってきて、人それぞれ勝手な神話を話す。

「俺の神話が正しいのか、奴の神話が正しいのか、もしくはどれもこれもデタラメなのか?」

貿易商でもあったタレス(正しく音写するとタレース)は、いろいろな地域の神話を耳にし、神話の語る世界観に疑問を持つようになりました。そんなわけで、自分の頭をゼロリセットし、身の回りにある自然を真摯に見つめ直しました。いっさいの固定観念を捨て、自分の頭で世の成り立ちを考えました。

そしてタレスはこんな結論にたどり着きました。

「万物の根源は水である」

全ての生物は水を含んでいて、人間も動物も植物も、水が無ければ死んでしまう。水が無くなれば乾いてボロボロになっていずれ消えてしまう。だから全てのものは水で成り立っているんじゃないか!?

現代人から見れば幼稚な考え方かもしれません。しかし、「海は海、犬は犬」と表面的な理解しかなかった時代に、それらの構成要素はいったい何か?を、自分の頭で考え、自分なりの結論を導いたのは画期的なことでした。

自分の身の回りを、一切の偏見無く見つめる。

・・・こうして世の中の成り立ちを考える「哲学」と、自然の在り様を考える「科学」が同時に成立しました。「科学」が誕生した時、その体は「哲学」と一体となっていたため、科学と哲学を分離せずに「自然哲学」というカテゴリーで捉えられることになります。

P.S.
博士号を「Ph.Doctor」 = Doctor of Philosophy (哲学博士)と呼ぶのは、科学と哲学が融合していた時代のなごりですね。