そして時の最果てへ・・・

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白山林、檜ヶ根の戦い

2009-09-26 21:54:08 | 歴史
小牧・長久手戦役シリーズ。前回の続きです。

池田恒興が岩崎城守備部隊と接触したのと同じ頃、別ルートを進み小幡城を目指していた羽柴秀次率いる第2部隊が、小幡城から出撃してきた守備部隊と白山林にて遭遇しました。

約7000の羽柴軍は3000に満たない守備部隊を圧し包むべく、部隊の向きを変えたその時を狙って、背後から徳川の伏兵隊が奇襲をかけました。兵力こそ2000に満たない数でしたが、家康の旗本を中核とする精鋭部隊です。

真後ろからの攻撃で羽柴隊は瞬時に壊乱。5000余りの将兵が逃走、500人に近い死者を出します。羽柴秀次は地形の悪い尾根伝いに後退したため、多数の将兵が討ち取られる結果となったのです。

高ヶ根まで後退した羽柴隊は、ようやく一息つくことができました。逃走兵により第2部隊の苦境を知った第1部隊の予備兵力、堀秀政が救援に駆けつけたのです。

高ヶ根の羽柴秀次隊、檜ヶ根に陣取った堀秀政隊の十字砲火によって織田・徳川連合軍を撃退。退却する敵を追撃して北方の退路を確保することに成功しました。

しかしこの成果を長く維持することはできませんでした。そこに徳川家康の本隊が出現したのです!