そして時の最果てへ・・・

日々の雑感や趣味の歴史についてつらつらと書き並べるブログ

多義性と空気を読む能力

2008-05-25 11:47:26 | 雑感
以前、空気を読むことについて書きましたが、どこかの雑誌で(出典が思い出せません・・・ヽ(;´Д`)ノ)、こんな話を読んでふと思い出しました。

松尾芭蕉の「古池」に飛び込んだ蛙は1匹か?100匹か?

自然な日本語は単数形と複数形をほとんど区別されません。だから正岡子規やドナルド=キーンは「a frog」と単数形に、ラフカディオ=ハーン(小泉八雲)は「frogs」と複数形に訳したそうです。

古池の水面に一匹の蛙が飛び込み水音が静かに聞こえるのと、たくさんの蛙が次々と水中に飛び込んでいき、その音が次々と響き渡るのとでは、全く違う光景なのに。

蛙が何匹であるのか、その水音はどんな響きなのか。それは読者の心が決めます。その自由度が、曖昧であると同時にとても味わい深い。それがこんな有名で昔から知っていた詩にまだ隠れていました。いや、気付くことができた、と言うべきでしょうね。

日常言語にたゆたう曖昧で、かつ趣き深い空気。目を凝らせば、すぐそこにあります。

古池や 蛙飛び込む 水の音