中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

原理主義

2011-01-15 11:10:00 | 身辺雑記

 年末に、高校時代のクラス会に出るためにこちらに来た次男と会って食事をした。7月に会って以来なので、いろいろ話ができて楽しく過ごすことができたが、その中でひとつ面白い話をしてくれた。

 

 息子の近所にイラン人の男性がいて、地域の祭礼にも出て神輿を担いだりするそうだ。イラン人でイスラム教徒だから、息子は異教徒の祭に参加していいのかと尋ねたらしい。イスラム教徒は戒律が厳しく、他の宗教に対しては厳しい態度をとっているのではないかと思ったからだ。しかしその男性は「かまへんね、かまへんね」(構わないんだ)と、いたって屈託なく答えたそうだ。

 

 イスラム教徒とは言っても、すべてが戒律を厳しく守っているわけではないらしく、きわめて厳格なのは原理主義者の教徒のようだ。原理主義と言うのは、ある宗教の原典(教祖の言葉)や教団の教義を字義通りに解釈し、それを押し付けるもので、しばしば非寛容で狂信的になり、非常に闘争的で攻撃的になることが多い。最近では米国に対するテロで「イスラム原理主義」をよく耳にするようになっている(ただしイスラム原理主義者=テロリストと考えるのは誤りで、原理主義者の中の過激派の一部がテロリストなのだ)。

 

 そのイラン人の話では、故郷のイランで集まりがある時に、中に原理主義者がいると、会の雰囲気は非常に堅苦しいものになるのだそうだ。パーティーなどの楽しい場でもそうで、参会者は緊張するらしいが、その原理主義者が退席すると、途端に「さあ、飲もう」となって騒ぐということだ。もちろん公式的にはイスラム教徒はアルコール類を口にしないということになってはいるが、実態はそんなものらしい。女の子などはミニスカートなどに穿き替えて踊りだすということだ。そんなものかと思った。

 

 そのイラン人は、我々はペルシャだからと言ったそうだ。イランの古名はペルシャで、私たちがイスラムと言うと連想する、戒律の厳しい極めてイスラム的なアラブとはちょっと違うらしい。1978年のイラン革命以来、イランではイスラム原理主義的な勢力が支配しているが、革命以前のパフレヴィー王朝時代は非常に西欧的な雰囲気の国だったと記憶している。そんなことで表面的にはおとなしくしているようでも、庶民の感覚としては堅苦しい原理主義には辟易していることもあるのだろう。庶民の素朴でおおらかな感情やエネルギーは、教義、教条で押さえつけておくのは難しいのかも知れない。

 

 


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5 コメント

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教祖も神も泣いている (もやし)
2011-01-16 16:12:57
厳寒の中、お体をお大事に。

この科学の時代に、まさに今世界で起こっているこの問題の多くはいわゆる「宗教戦争」である。おかしな話ではないか?「それは神に背く」、「それは異教徒の考え方だ」、「それは神に対する冒涜だ」とか言い回る。一体「神」とは何なのか?宗教によって異なるの?このような話題になる度に、私は、君達の宗教の原典をよく読み分析し考えなさい!と言って、シンパ達に説明を繰り返すことになる。

そしてその度にシンパ達は、特に熱心なシンパの人ほど私の質問に対して返答ができない。何も科学のサーチライトの下で「それは有り得ない」というようなことを説明したのではない。彼等の宗教の原典に書いてあることと、シンパ達や教団が言い信じていることとの矛盾点を指摘しただけなのである。つまり教会や教団が何を教えたか知らないが、イエス自身がそんなことを言ったのか?ムハマンドはそう言ったのか?ゴータマ・ブッダはそう言ったのか?と聞いただけである。

イエスもブッダも教団を創設しなかったしそのつもりもなかた。ある仏教徒が「仏、法、僧を敬え」とあるではないかと言い、僧とは教団ではないか?と言い返してきた。いいや、ブッダはどこにもそんなことは言っていない、「仏、法」までは言ったが「僧」は言っていない、彼は「自分の師」でさえ疑えと言っている。教団や教会の教えを聞くだけで、読んでいないのである。「僧」の真の意味は「仏法に帰依した自分自身」のことであった。

最初のキリスト教であるカソリック教会にしてもそうである、紀元四世紀にコンスタンチヌス帝の命により政治目的でローマの国教を創設するために当時の五万点もの書から取捨選択し、たったの三日間で聖書を「造り上げ」、それ以外の書を「異教」としてしまったのである。だから聖書が間違っている、と言うのではない、聖書でさえ、あまりにも狭すぎると言うのである。

原理主義では更に狭い、せま~い解釈しかできないし、無知な信者は利用されているに等しい。

真の宗教が伝える「敵」は常に「自分の心の中の敵」であり、「悪の要素」はそれが悪魔と称されるものであっても、現れる時は常に「人間の心を媒体にして現れている」ことを見逃している。実は「神」もそうであるとあるのであるが。

教祖も神も泣いている。
狭い (ショコラ)
2011-01-25 10:19:12
熱心ではありませんが一応○○教徒です。よく奉仕もするし一般の人より心は広いと思う、確かに疑問もあるが、いったい何がそれほど「狭い」のか?
大らか (もやし)
2011-01-26 01:18:53
狭くない部分を見るから「狭くない」のであり、「狭い」部分を見れば「狭い」のが分かる。教科書や歴史書ではよく分からない、宗教の裏底を見るのも面白いよ。

カトリックが創設される前は、南ヨーロッパからイラン、インドの近くまでミトラ教が最も普及していた宗教であり、カトリック教会の儀式典礼の70%はこのミトラ教からの拝借であり、クリスマスの12月25日は実はミトラ教の最大の祝祭日であり、イエスの実際の誕生日も9月か10月の可能性が極めて高いことが最近の聖書の研究からほぼ判明してきている。つまりカトリックはミトラ教を完全にテイクオーバーし、ミトラ教はカトリックの国教化とともに消滅し、実際にはカトリックの奥深くしみ込んだのである。

ミトラ教は一種の密教であり、ミトラス、英語読みではマイトレーヤであり、インド以東ではミロク、弥勒菩薩である。つまり世界の三大宗教の底流にあり、源流は中東のバビロニアにあり、エジプトのオシリス教とも関係が深い。更に更に、調べを進めていくと、我々の世界に独立した異なる基盤を持つ宗教など存在しないことが分かり、時代を遡るほど同じ思想、「同じ様な神の概念」へと焦点化していく。

さて、ユダヤ教の退廃ぶりを見たイエスが原典の正しい解釈を教え、「その一部」が新約聖書となったが、後にローマ帝国が四世紀に政治的にそこからカトリックを創設し、その後にカトリックの退廃を見たムハマンドが再び原典への回帰を目的としてイスラム教を興した。

このことが三つの宗教にそれぞれの理由で正しさを主張し戦う原因を生じさせたが、宗教としてはユダヤ教の「高度な部分」が段々剥ぎ取られ、神の概念の質が落ちていった。だからローマ帝国が宗教を政治に利用して偏屈で了見の「狭い」国教を創設しなければ、ムハマンドの回帰もなく、後の宗教対立の連鎖が起こらなかったかもしれない。

原理主義では、クエーカー教徒のように閉鎖的な社会集団を作るだけで他人には干渉しないものと、何らかの政治目的に利用する(された)攻撃的なものとがあり、危険なのは後者。

「狭い神の概念」が十字軍を作り同根の兄弟宗教と戦い、南米の古代文明(宗教)を破壊し、日本においては「踏み絵」という馬鹿げた行動をさせた。カトリックだけの問題ではなく、あらゆる個人や集団も「寛容性」が消えると、思想と心の広さを失い、同じ過ちを起しやすいかもしれないね?

付け加えると、密教系の宗教は一般民衆には、神を「火」や「太陽」と象徴し、様々な神々を描くが、民衆が理解しやすいようにその様に表現するだけで、実際には世界中に共通する非常に高度な論理体系である。そして非常に寛容であり、日本でも神道は元々は密教であり、アニミズムではなく非常に高度な概念を保持し、民衆を些細な教義で規制し過ぎることはなかった。それが、仏教が波及する以前の万葉の人々が後世の日本人とは異なり大らかで「狭くなかった」理由ではないかと感じるよ。長文ゴメン。
ないよりましでしょう? (ショコラ)
2011-01-26 12:20:13
なるほどな話ですが、そんな堕落した宗教でも信じることで、平和とか心の安定に役立っている面もあると思い、そう願いたいのですが・・・?
おしまい (もやし)
2011-01-27 12:43:01
勿論、あらゆる宗教の倫理規定は、それはそれですばらしいもの。偏狭な部分に注意して欲しいと言っているだけで、間違っているとは言っていないよ。

ブログの主催者の迷惑になるかもしれないのでこれで終りにしょう。

ギリシャのデルフォイ神殿の戸口に「汝自身を知れ」という有名な言葉が書かれている。神殿の中には12体の神の像があるのだから、「神聖なる神を知れ、敬え」とか書かれるべきなのに、神殿の戸口に「人間自身を知れ」と書いてあるのだから変なのであるが、その真の意味は忘れられている。神の前では自分が如何に小さいかを知れ、と言っているのだと言う人がいるが、実は更に古代の言葉を調べるとこの続きがあり「・・・しからば汝は神と宇宙のすべてを知らん」となっているので、そうではないことが分かる。この12の神は実際には人間の中にいる、それを見出せということを表現していた。仏教に流入して十二仏光、十二縁起となっている。Bye お元気で。

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