年のせいか、体のあちこち、特に背中にかゆみを感じることがよくある。「かゆい」は「痒」あるいは「癢」と書く。なぜ病垂に羊なのかと思ったが、ヒツジの意味はなく養と同じく音符(音を表す部分)なのだそうだ。また、「かゆい」は辞書によると、「皮膚を掻きたくなるような感じ」とあり、掻は手偏に蚤だが、字源的には蚤の上の部分の音符は「そう」で、これは又(て)の間に爪があることを示していて、爪でかくことを意味していると言う。それはともかくとして、蚤は昆虫のノミだから、いかにもかゆそうで分かりやすい。
皮膚感覚には痛覚、温覚、冷覚、触覚などがあって、それぞれ皮膚に分布している神経の末梢部にある感覚点(痛点、温点、冷点、圧点)で刺激が受容されて起こる感覚である。かゆみを感じる特別な感覚点はなく痛点で感じるという。かゆみとは弱い痛みだということだ。そして掻くというのは痛みを与えてかゆみを抑えることだそうだ。
かゆみが起きる詳しいメカニズムはまだ分かっていないようだが、ひとつには皮膚にある肥満細胞と呼ばれる細胞が分泌するヒスタミンという物質がかゆみを引き起こす重要な役割を果たすということは知られていると言う。ヒスタミンは、痛みやかゆみを知覚する神経に作用して、それが脳に伝えられてかゆみとして知覚され、同時にその刺激は逆行して皮膚の神経末端にも伝えられ、神経ペプチドと呼ばれる神経伝達物質を放出させる。そしてこの神経ペプチドはまた肥満細胞を刺激し、ヒスタミンの分泌を促すと言う、刺激-反応の循環が起こっているわけだ。
背中のある一点にかゆみを覚える。孫の手を使ってそこを掻く。するとそこからかゆみは広がってあちこちがかゆくなるのはこういう仕組みなのか。頭の皮膚がかゆいときにも同じことが起こる。掻き始めると切りがなくかゆくなる。それは妙に快感のような感覚を伴うからますます掻くことになる。掻くのは気持ちのいいものだが、あまり度を過すと皮膚を傷つけてしまう。
なお、「孫の手」は本来は「麻姑の手」で、麻姑は手の爪が長く、鳥のようだったと言われる中国の美しい仙女。後漢の蔡径という人物が、麻姑にかゆい所を掻いてもらったらさぞ気持ちがいいだろうと思ったと言うことに由来する。孫の手も初めのころは鳥の爪のような形をしていたそうだ。
犬や猫もかゆみは感じているようだ。後ろ足を激しく動かして首筋や胸の辺りを掻いているのを見ていると、気のせいか気持ちよさそうでもある。やはり快感のようなものを感じているのだろうか。
皮膚感覚には痛覚、温覚、冷覚、触覚などがあって、それぞれ皮膚に分布している神経の末梢部にある感覚点(痛点、温点、冷点、圧点)で刺激が受容されて起こる感覚である。かゆみを感じる特別な感覚点はなく痛点で感じるという。かゆみとは弱い痛みだということだ。そして掻くというのは痛みを与えてかゆみを抑えることだそうだ。
かゆみが起きる詳しいメカニズムはまだ分かっていないようだが、ひとつには皮膚にある肥満細胞と呼ばれる細胞が分泌するヒスタミンという物質がかゆみを引き起こす重要な役割を果たすということは知られていると言う。ヒスタミンは、痛みやかゆみを知覚する神経に作用して、それが脳に伝えられてかゆみとして知覚され、同時にその刺激は逆行して皮膚の神経末端にも伝えられ、神経ペプチドと呼ばれる神経伝達物質を放出させる。そしてこの神経ペプチドはまた肥満細胞を刺激し、ヒスタミンの分泌を促すと言う、刺激-反応の循環が起こっているわけだ。
背中のある一点にかゆみを覚える。孫の手を使ってそこを掻く。するとそこからかゆみは広がってあちこちがかゆくなるのはこういう仕組みなのか。頭の皮膚がかゆいときにも同じことが起こる。掻き始めると切りがなくかゆくなる。それは妙に快感のような感覚を伴うからますます掻くことになる。掻くのは気持ちのいいものだが、あまり度を過すと皮膚を傷つけてしまう。
なお、「孫の手」は本来は「麻姑の手」で、麻姑は手の爪が長く、鳥のようだったと言われる中国の美しい仙女。後漢の蔡径という人物が、麻姑にかゆい所を掻いてもらったらさぞ気持ちがいいだろうと思ったと言うことに由来する。孫の手も初めのころは鳥の爪のような形をしていたそうだ。
犬や猫もかゆみは感じているようだ。後ろ足を激しく動かして首筋や胸の辺りを掻いているのを見ていると、気のせいか気持ちよさそうでもある。やはり快感のようなものを感じているのだろうか。