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中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

何か理解できない

2009-04-16 10:02:16 | 身辺雑記
 大分市のパチンコ店に2歳の女児と男児を連れてきた両親が、遊技中に店外に出た女児が車にはねられて死亡した事故で、店側に損害賠償を求めていた訴訟の控訴審判決があったという記事を読んだ。

 女の子は店の台車に乗り、男の子が押して遊んでいたが、店外に出て赤信号の横断歩道を横断中に乗用車にはねられて死亡した。両親は店が監視を怠ったとして約2350万円の損害賠償を求めた。1審の大分地裁は店側に注意義務違反はないとしたが両親は控訴、これを受けた福岡高裁は1審判決を覆して「幼児同伴の入店を認める以上、(幼児の)監護を補助すべき義務があった」などとして、店側などに計約650万円の支払いを命じたというものだ。この訴訟が今後最高裁まで行くのかは分からないが、この記事を読んで、何か割り切れない思いにさせられた。

 高裁の言うところに従えば、パチンコ店は幼児同伴の入店を認めていたことになるが、わざわざ改まって入店を認めたというほどのことではなく、黙認していたくらいではなかったのだろうか。そのあたりの司法の判断については素人の私には分からないが、そんなことよりも、パチンコ店にわずか2歳の幼児を連れてきて、子どもは店内で遊ばせ、自分達は遊技に耽っていたという、その親のあり方が理解できない。

 パチンコは不健全な遊技で、そのような場所に子どもを連れて行くことはおかしいなどというつもりはない。人によって好き嫌いはあり、私はしないが、パチンコは庶民の楽しみとして認知されている。だからこの両親がパチンコが好きでも何も咎められることはない。しかし、なぜあのような喧騒に満ち、空気の良くないところに、まだ2歳の幼い子どもを連れて行かなければならないのか。ためらうことはなかったのか。どうしても遊びたいという気持ちのほうが強かったのか。自分達はパチンコに夢中になり、幼い子どもを放っておく、それが親というものなのだろうか。おそらくは20代の若い父親と母親なのだろうが、親としての分別が乏しいように思われてならない。

 いたいけない幼女が事故死したことは本当にかわいそうだと思う。しかし両親に放置されて店の外に出て事故に遭ったことは店の責任なのだろうか。おそらく従業員も気がつかなかったのだろうが、そのことが店の過失なのか。いったい根本の親の保護責任はどうなるのだろう。それに、わが子を失った親の悲しみは理解できても、店に注意義務違反の責任があるとして2千万円余りの賠償を求めるなどとはとても理解できない。

 親は子ども、とりわけ幼い子どものためには、自分の楽しみも辛抱しなければならないことがあるなどというのは時代遅れの考えなのか。それに、このように自分達の行動を顧みずに、すぐに訴訟沙汰にするのは日本も米国のような訴訟社会になって行きつつあるということなのか。いろいろ考えさせられてしまう。