10月に大学時代の同学科の同窓会があった。理学部と教育学部の生物学専攻の者の集まりだ、毎年地元広島の学友達が世話をしてくれる。数年前までは毎年1人ずつ他界して寂しい思いをしたが、幸い最近は訃報はない。今年の懇親会でそれぞれの近況報告になると、ほとんどが健康状態についてで、やはり年だなあと思い知らされた。特に男性では前立腺癌で手術したと言うものが3人もいて「前立腺3兄弟」などと戯言を言っていた。皆他人事ではないと思うのか熱心に質問したり、女性などはメモを取ったりしていた。来年の会まで、それぞれが健康に注意して元気に過ごしたいと願いながら別れた。
卒業生達とは頻繁に会ってきているが、60歳に近づくにつれて話題が年金に関することが多くなり、近頃はやはり健康のことが何かと話題になる。かつての高校生時代の教え子達の姿を想像すると歳月の歩みの速さに驚きもするが、これが現実なのだろう。
年を取ったことをどのようのことで自覚するかは人によってさまざまだろう。私の場合は40歳を過ぎてまず目に来た。いわゆる老眼だが、始まってみるとどんどん進行して老眼鏡が必要になっても、その他は特に何ともなかったから、老いを自覚し嘆くことはなかった。しかし、老眼鏡をかけながら人を見る時に少し顔を下げ、眼鏡の上縁越しに上目遣いのようにするので、年寄りくさいよと言われたことはあった。今でも目のほかは聴覚も嗅覚も正常だし、歯もこれまで2本抜いただけである。40歳からはじめた血液検査の数値もまったく正常だから、まずは健康体と言えるのだろう。
しかし、残念ながら若い頃の鍛錬不足の報いが70歳を過ぎた頃から顕著になってきて、まず、少し歩いただけで脚が痛むようになった。膝も重い。最近では腰から背中にかけてひどくだるさを感じることが多い。日常の起居に疲れを感じることも少なくない。ブログ友の北海道のSさんは毎日朝夕2時間のウォーキングを欠かさず、パークゴルフにも熱心だし、隣の市に住むGさんも早朝ウォーキングですでに1万キロを超えたといい、ゴルフもやっている。継続は力なりと言うが、私には真似のできない健康管理だと、我が身を顧みてつくづく悔やまれる。
街への行き帰りの途中にちょっとした坂がある。100メートル程度のものだが少し急で3段になっている。傾斜も緩やかとは言えず、雪が降った時などは下りて行くのが危なっかしいこともあった。この坂はかつてはその日の体調の良し悪しを判断するバロメーターのような所だった。さっさっと上がって行けたら体調は良く、少し体が重く感じられるようなら不調と分かった。その目安でいけば、今は毎日が不調だ。街から帰ってこの坂まで来て先を見上げると既に気分が重くなり、とぼとぼと歩いて上がっているうちに、時には立ち止まって休み、肩で息をすることもある。
下から見上げて溜息をつく。
傾斜の大きい2番目の坂。
まだある3番目の坂。
100歳になってもヒマラヤやアルプスに行きスキーで滑降するような人もいるのに、こんな坂ぐらいでと情けなくもなる。この坂は嫌でも私に年を取ったことを思い知らせる忌々しい場所だ。
身体のことはいくら嘆いても最早後の祭りだから、せめて精神面では若さを保っていきたい。些細なことに腹を立てたり、いらいらしたりすることのないように気をつけ、坂道をゆっくり上がるように生きていこう。何よりもこれまでどおり好奇心を旺盛にしていこうと思う。
卒業生達とは頻繁に会ってきているが、60歳に近づくにつれて話題が年金に関することが多くなり、近頃はやはり健康のことが何かと話題になる。かつての高校生時代の教え子達の姿を想像すると歳月の歩みの速さに驚きもするが、これが現実なのだろう。
年を取ったことをどのようのことで自覚するかは人によってさまざまだろう。私の場合は40歳を過ぎてまず目に来た。いわゆる老眼だが、始まってみるとどんどん進行して老眼鏡が必要になっても、その他は特に何ともなかったから、老いを自覚し嘆くことはなかった。しかし、老眼鏡をかけながら人を見る時に少し顔を下げ、眼鏡の上縁越しに上目遣いのようにするので、年寄りくさいよと言われたことはあった。今でも目のほかは聴覚も嗅覚も正常だし、歯もこれまで2本抜いただけである。40歳からはじめた血液検査の数値もまったく正常だから、まずは健康体と言えるのだろう。
しかし、残念ながら若い頃の鍛錬不足の報いが70歳を過ぎた頃から顕著になってきて、まず、少し歩いただけで脚が痛むようになった。膝も重い。最近では腰から背中にかけてひどくだるさを感じることが多い。日常の起居に疲れを感じることも少なくない。ブログ友の北海道のSさんは毎日朝夕2時間のウォーキングを欠かさず、パークゴルフにも熱心だし、隣の市に住むGさんも早朝ウォーキングですでに1万キロを超えたといい、ゴルフもやっている。継続は力なりと言うが、私には真似のできない健康管理だと、我が身を顧みてつくづく悔やまれる。
街への行き帰りの途中にちょっとした坂がある。100メートル程度のものだが少し急で3段になっている。傾斜も緩やかとは言えず、雪が降った時などは下りて行くのが危なっかしいこともあった。この坂はかつてはその日の体調の良し悪しを判断するバロメーターのような所だった。さっさっと上がって行けたら体調は良く、少し体が重く感じられるようなら不調と分かった。その目安でいけば、今は毎日が不調だ。街から帰ってこの坂まで来て先を見上げると既に気分が重くなり、とぼとぼと歩いて上がっているうちに、時には立ち止まって休み、肩で息をすることもある。



100歳になってもヒマラヤやアルプスに行きスキーで滑降するような人もいるのに、こんな坂ぐらいでと情けなくもなる。この坂は嫌でも私に年を取ったことを思い知らせる忌々しい場所だ。
身体のことはいくら嘆いても最早後の祭りだから、せめて精神面では若さを保っていきたい。些細なことに腹を立てたり、いらいらしたりすることのないように気をつけ、坂道をゆっくり上がるように生きていこう。何よりもこれまでどおり好奇心を旺盛にしていこうと思う。