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中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

面子

2007-11-23 08:58:50 | 中国のこと
 西安の謝俊麗(シェ・チュンリ)の友人の娘の果果(グォグォ)が母親に叱られた時に、「みんなの前で叱るから面子がなくなって恥ずかしい。みんなの前で叱らないで」と泣いて言ったそうだ。

 面子(ミエンツ)とは、これまた中国人らしい。果果はもうすぐ4歳になる子だが、もう面子などと言うのかとおかしくて笑ってしまった。俊麗は果果はとても賢い子だから、面子という言葉も知っているのだろうと言った。


 面子は中国に限ったことではなく、日本人でも「面子に係る」などと言ったりする。面目とか体面の意味だが、おそらく中国語由来のものだろう。面目とか体裁を重んじるということなら中国人や日本人に限らないようだが、中国人の面子は本を読んでみても何か独特のもののようでなかなか解りにくい。

 『中国人と日本人 ホンネの対話』(日中出版)という本での林思雲(リン・スユィン)という中国人の発言によると、例えば中国の長距離列車で見知らぬ者同士が乗り合わせても、打ち解けていろいろと話をする。すると一方の乗客が自分の故郷のこと、家のこと、家族のこと、財産のことなどを大げさに自慢することがよくあるようだ。そのような場合たいていはホラ話だそうで、中国語で吹牛(チュイニュウ)と言うようだ。しかし聞かされた方はそれがホラだと分かっていてもそうか、そうかと感心したような振りをして聞くのが相手の面子を立てることなのだと言う。林氏はこのように誇大に表現するのが中国人の面子なのだと言っているが、もう1つ理解しにくかった。

 面子を踏みにじられた場合には、時には相手を殺傷することにもなるくらいのものだと言うことも読んだことがある。ある武侠小説には情けをかけられて面子が立った男が、後にその相手に死を賭して恩に報いると言う場面もあるそうだ。司馬遷の史記の任侠列伝などを読むと、おそらくは面子に由来するのだろうと思われる行動がよく出てくる。結局は言葉の問題でなく、文化的歴史的背景のある心理状態なのだろう。

 東京にいる友人の施路敏(シ・ルミン)は、「もし私がおじいちゃん(私のこと)と会社の上司のAさんと3人で食事した後でAさんに、おじいちゃんの分は払ってあげてと頼んでも払ってくれなかったとしたら、私の面子がなくなったことになる」と言った。日本流で言うなら恥をかかされたということなのだろうが、中国人の心理としてはもっと深く微妙なものがあるようだ。路敏は、身内の者や私に対しては面子などはないとも言った。これはホラを吹く必要もない、ありのままの、日本流に言うならば裸の付き合いと言うところだろうか。
 
 果果は賢い子で、よく両親の話を聞いているそうだが、おそらく両親の話を聞いているうちに面子という言葉も覚えたのだろう。しかし4歳の子どものことだから深い意味は理解していなくて、恥ずかしいという気持ちを表したのだろうが、おませな感じで何となくおかしく可愛い。