「快走爛漫Ⅱ」

アウトドア大好き人間です。 (since2005.10) 

ガンバレ東北!!

2011年03月14日 20時57分33秒 | 徒然
 
 東北の皆さま、  ガンバッテください!!     


 全国、  世界の人たちが応援しています。





無事帰着

2011年03月12日 21時53分19秒 | 徒然

ご心配をおかけしました。  先ほど無事自宅に帰着しました。

地震後の夜、 会社宿泊を決め何か食べようと同僚たちと錦糸町駅前へ行ってみた。

電車全く動かず(19時頃、錦糸町駅周辺確認したら安全考慮でシャッター閉まってた)、
食べ物が無くなったコンビニ、 タクシー待ちの長蛇の列(全然来ない)、 道は大渋滞、
スカイツリータワーはきちんと立っていました。

食後、錦糸町にある会社ビルにて宿泊。  (と言っても寝られたもんじゃなかったが)

TVで東北地方や千葉コンビナートの悲惨さを見ていた。   「壊滅状態」  むごい、 残念。

今朝明け方頃、 神奈川など比較的近場に住む同僚が(路線検討後)ポツポツと帰り出した。
僕たち東北、長野、上越新幹線通勤組(約15名)は、 ネットやTVなどで情報を最大限収集し
ビル内で帰宅のタイミングを図っていた。 (むやみに外に出ず安全な社屋内で待機)

新幹線は当然不通なので帰宅の条件としては、 JR宇都宮線と高崎線、信越線、 それぞれの再開。
(栃木、群馬、長野県から新幹線通勤している同僚)

両路線運転再開をJRサイトで確認後、 12時、 錦糸町を出発。
(携帯電話とウォークマン(ラジオ付き)のBATTフル充電、 飲み水持参、 最後にトイレ済ませ)

総武線各駅電車内は身動きできない混雑。 秋葉で乗り換え上野駅へ。 そこでアウト!
上野駅構内は人でゴッタ返していた。 300mはありそうな人の波。 皆が乗りたい路線が
ここ上野駅で止まっているため全員その場で立ったまま大渋滞。 これはダメだと上野駅始発の
宇都宮線乗車を諦め京浜東北線で大宮駅まで行き(比較的空いていたし即乗れたので)
再度宇都宮線へ乗り換えることにした。

で、 それも大宮駅に着い時点でアウト!!   でした。。

大宮駅に着いたらそれまで動いていたであろう? 宇都宮線はまたまた運転中止になっていた。
皆(栃木組5名)で焦らずまずは腹ごしらへとして駅から外に出て (改札口は無料解放)
ラーメン屋でTVニュース見ながら作戦会議。  
(この時間を持てたのがこの後の余裕に役立ったし、やはり同僚数名での移動が何より心強かった)


大宮駅に戻り運転再開した宇都宮線で帰ることにした。  (ちなみに高崎線はこの時点で再開していない)
運転再開とはいっても、 吹きさらしの寒いホームで40分待ち後にやっと来た電車に乗り込んだのはいいが・・
(グリーン車も無料開放。 僕は赤ちゃんを抱えて立っていた若いお母さんにその旨を伝え自分は立っていた)

全部の踏切り手前で停車後徐行運転(遮断機が下りているかその都度運転手自ら目視確認するそう)、
時にはいきなり駅間の畑で1時間40分くらい止まったり、(調整?←アナウンスが不明確で情報掴めず)
結局上野駅から小山駅まで5時間の超長旅。 (通常は1時間30分くらいか?)
そして小山駅から自宅までクルマで40分。  そんな感じで帰宅した。

結局錦糸町から自宅まで約7時間。 (電車内当然立ちっぱなし) まさか自分が帰宅難民になろうとは。   
電車やバス、という足がなくなった時の事態・状況が初めてわかりました。

上野駅のゴッタ返しと大宮駅内外のものスゴイ人波、 トイレやコンビニ、 派出所前も大混雑・・。
震源地とは遠く離れた地域での現状。   交通機関(電車等)が動かないとこうなるのものなのか、 と。


“もうどうしようもない、  その時の流れに身を任せるだけ” 

思考能力が段々無くなってくる、 寒いし先行き不透明だし・・ 
( ↑ まずはお腹に何か入れておく(食べる)ことが懸命だと感じた)


来週月曜までには新幹線は復旧しないだろう。。   さて、 今度は月曜の出社、 どうしたものか・・

「両毛線、宇都宮線、上野駅から秋葉原、錦糸町駅往復」 
 
それにかかる時間はいったいどのくらいになるのだろう。。 (月曜は通常運行ならいいが・・)
そこまでして会社に行く必要性は? 家は?? 途中で何かあったら、、  いろいろな事柄が頭に浮かぶ。
(↑その会社で働く従業員としては当然なのだろうが)


<帰宅後の状況>
今も自宅周辺断水(市中心部で給水中らしい)、 時折停電、 市内防災無線のよく聞こえない放送、
続く余震、 築数十年の古い木造住宅で重い日本瓦仕様、 老いた両親、 水やガソリンの確保、、、


 「地震は怖い」  です。     まずは無事帰着の報告でした。


今、 家に帰って来られて本当にホッとしています。   ホント家まで遠く長かった。。



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被災された方へのお見舞いと、 亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。

また、 他の地域の皆様の無事をお祈り申し上げます。



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今日も出張

2011年03月09日 22時53分15秒 | 徒然

 毎日出張が続きます。   今日はこの街でした。      ふう・・・

 この辺のお店は全く知らないので、 適当に駅前の店に入り即食後会社の支店ビルに出向き会議出席。

 

 胃腸によくありません。   こういうお店は数皿時間をかけじっくり食べたいものですねえ。


 帰り、 21時過ぎの宇都宮駅前は北風が寒かったです。。


 
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出張

2011年03月08日 22時51分00秒 | 徒然
 
 今日は午後から高崎へ出張でした。   (上野駅から各停で1時間45分、 遠かったー) 

 「高崎駅」    そう、 先週土日で乗り下りした駅です。
 
 帰りはこの前の妙高高原スキー場からと同じく、 両毛線に揺られて帰ってきました。

 


 続くもんだなあ、、     と、  思えてしまいます。。。




結果良好

2011年03月07日 20時51分23秒 | 徒然
 
 人間ドッグの結果(当日分かる範囲)です。



 先生 ・・   「良好です。  昨年と比べよく頑張りましたね、 これからも続けてくださいね」

 日々飲んでいたように思えたでしょ?      いやいやどうして、、

 「週2日の休肝日、 週末ジム通いでの有酸素運動、 そして山歩き、 ワカメ玉ネギ酢納豆野菜摂取、 etc・・ 」


 中性脂肪激減、 血圧標準値以内で問題なし、 体重維持、 体脂肪率20.5%、 他。  
 特に歯の診断では  「いいですねー、 歯肉も昨年に比べ戻ってますよ」  と。
 
 まあ、歯はつい最近まで約半年かけて治療(歯石取り、清掃・研磨、親不知抜き)していたから当前だが。

  (正式な診断結果は数週間後に郵送されてくる)


 昨年の不摂生で改めて不健康な体が分かった(これじゃいけないと真剣に思った)だけに、 
 それを改善し今体の中からこうして健康になっているということが分かりスゴク嬉しくなりました。  


 「自分が努力した結果がきちんと数値として現れるということは今後のより一層の励みにもなる」


 雪降る寒い日でしたがルンルン気分で東京駅まで戻り午後からの運転免許証更新のため家へ即帰りしました。

 
  (東京駅新幹線ホームにある 0kmポイント。   記念にね) 


 隣のホームでは  “長野行き”  の新幹線が待機していた。    

 「これに乗ればまた長野、 そして妙高に行けるんだなあ、、 」  と。

 昨日の今日だからまだ引きずっていたっス。。  


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 で午後の地元警察署での免許証更新の時言われた。  

 「そろそろ眼鏡(老眼?) を作ったほうがよさそうですねぇ」  だって。    


 午前中の視力検査はなんだったんだー  



人間ドッグ

2011年03月06日 23時22分09秒 | 徒然
 
 そして明日は年1回の人間ドッグです。   

 東京五反田にある会社の病院での受診です。  

 早い順番を取るためいつもより早い朝5時起床、 6時過ぎの新幹線で向かいます。

 昨年引っかかった日々の飲酒によるカロリーオーバーと高脂血症。

 会社の保険婦さんから以前言われた。   「お酒は控えて・・  できれば止めてください」

 僕  「ハイ、 わかりました。  今後努力します」



 そしてこの土日、 思いっきり、 それもしこたま呑んできました。 (爆)   

 「ビール、  どぶろく、  佐野の地酒」     酒注入!!



 ハイ、 それが何か??       



ありがとう、早川山荘

2011年03月06日 17時03分07秒 | 徒然
 
 「ありがとう、 早川山荘」   もうこの言葉しか思いつきません。  

 この土日で予てから計画していた新潟県にあるスキー宿、  “早川山荘”  に行って来ました。

 (今回の投稿は完全に自己満足の記事です、 長いです。  ただし早川山荘をご存じの方はその限りではないことを願います)


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 2011年 3月 5日(土)   新潟県妙高高原国際スキー場中腹ににある、 早川山荘へ向け出発。

 今回はクルマではなく思い出に耽るためあえて鉄っちゃんにしてみた。 
 車窓からの冬景色を眺めつつ、 山荘の想い出をじっくりと振り返ろうと。。

 佐野駅を出て両毛線で高崎駅へ。   そして高崎駅から新幹線で長野駅へ。
  
 (以前は上野駅から信越本線で一気に妙高高原駅へ通っていたのだが・・ )

 当時横川駅停車時では釜飯弁当を売りに来ていたのだが今は寂しくトンネルの中。
 でいきなり軽井沢駅へ。 佐久平を過ぎる頃右手に雪を被った浅間山が見えてくる。 

 長野駅から妙高3号に乗り換え妙高高原駅へ。        リンゴ畑の向こうに広がる北志賀方面。
  

 奥志賀分岐から始まる高速コーナー、 みゆきの杜YH、 海和のよませスキー場、 馬曲温泉、 阿弥陀堂だより・・

 いつもツーリングで訪れた地、 でも今日は電車の窓からのんびりと見させてくださいね。。
 
 この切符は宝物にする。 (妙高高原駅で記念に貰った)       ほどなくして妙高高原駅着。
  

 バス乗り場を探した。 見渡せば駅から右手に観光案内所が・・ 
 
 「宮スポーツに行くにはどのバスに乗ればいいですか?」   と僕。
 「宮スポーツ、 知ってるんですかあ?」  と係の女性。   そんな会話だけでも実に嬉しい。

 ああ、 妙高に帰って来たんだなあと、、  ご無沙汰してたなあ、、 と。。。

 2番線バス停より発車~ オーライ♪   (ちなみに1~3番線までしかない)
 
 (駅前はなんだか様変わりしていたかな? それでも駅反対側にあるスキー場にはまだジャンプ台があったよ)

 高速道路ができて便利に!?
  

 便利の裏には・・   

 高速道路ができたお陰で交通の便が良くなった。  しかし高速が延びる前まではスキー客はどこかの宿に1泊以上で来ていた。
 今は殆んどのお客が日帰り。  時速ぬふわkmで走ってきて1日滑りぬふわkmで帰る。 宿には泊らない。

 バスから見るかつてスキー客で賑わっていたスキー宿街、 その面影は今はなかった。
 でもバスは満員だった。 赤倉や杉の原辺りの宿に吸い込まれて行くのか・・。
 そして終点に着く頃にはバスの中は僕一人になった。

 そして終点に到着。    バス待合室は昔のままだった。
  


 ああ、 いよいよだ。    ここから僕のスキー修行と酒豪が始まった。 (爆)


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         「早川山荘へ」


 宿は林道小谷妙高線の途中(冬季閉鎖)にあるため、 以前はここから歩いて行くか、シングルリフトを乗り継いで行ったのだが。。

 (林道小谷線 = 白馬側からこちら妙高に抜ける林道で昔セローで抜けたこと数回。 その都度山荘の前を通る度、心が痛んだ)

 そのシングルリフトは今はもう無かった。  そして当時歩いていた林道は雪深く到底歩けない。 (未使用になっていた)

 なるべく宿に迷惑のかからぬよう歩いて行こうと思ったのだが、、  仕方ない、迎えに来てもらうしかなさそうだ。 

 宿に電話を入れモビルで迎えに来てもらった。  ちょうど次の電車で来た友人(サトさん)が下のバス停に着いたらしい。
 迎えに来た宿のモビルは僕の前で一度止まった。 そして↑を伝える。 下のバス停でサトさんを乗せまた僕の所へ戻ってきた。
 
 ああ、、  そう、 この瞬間だ。     走馬灯のようにあの当時が蘇った。 (泣)


 サトさんを真ん中にしてゲレンデの中を上がって行く。   「でもこの運転手はいったい誰だろう、 バイトかな?」


 途中から林道に入り見覚えのあるクネクネ道を山荘まで上がって行った。

 僕の頭の中は、、  「この運転手は誰だろう・・ 」   でいっぱい。

 見えてきた。  
 

 早川山荘到着。  18年ぶり。

 

 感無量。  この時点で目頭が熱くなったよ。

 

 おばさんにご挨拶し早速中へ。     もーダメ、 声にならず・・。

 モビルの運転手は息子さんだった。   あの小学生、 中学生だった息子さんが。。。

 以前と全く変わっていなかった。    なんだかつい最近来たような錯覚に・・    まるでタイムマシン。
 
 (カップヌードルやお菓子類も以前と全く同じ配置で)

 ハルさん、 貴方のことやっと分かりました。   (たぶん宿で顔を合わせていたかも、ですね)
 

 そして僕の賞状が・・   色あせているけど当時のまま飾ってあった。     ホント、、 涙出そうでした。
   
 
 (貼ってある場所は以前とは反対側の窓際上だった)

 先に到着していた “カラ” さんに挨拶。    18年以上?ぶりですか、 お元気でしたか。
 僕をこの早川山荘に連れて来てくださった会社(当時)の先輩なのです。  今は長野県在住。

 カラさん、 サトさん、 そして僕。      再会を祝しビールで乾杯♪   (^^v

 そしてお決まりの美味しい昼食。   (今日はカレーじゃなくチャーハンでした)
 
 (お皿も当時のままで  まったく同じお皿だった。  ちなみに醤油やソース差しも)

 宿のおばさん、 カラさんの人参苦手を思い出し、それを抜いたチャーハンを持ってきてくださった。 
  (18年ぶりなのにスゴイ!)

 こんな心遣いが素晴らしい、 実に心休まるあたたかい宿。   

 お昼ごはんを食べた後サトさんと二人、 上の第2高速リフト手前まで歩いて行ってみた。  

 サトさん。   (山形県湯殿山麓出身で千葉県在住。  あの渡辺三郎デモの出身スキー場で腕を磨いた)
 
 (宿の屋根の傾斜は当時よりきつくなっていた。  一人、おばさんが雪降ろしをしないですむよう改築したと)

 僕。   共にもういい歳したオヤジである。 (笑)
 

 当時お互い負けじと切磋琢磨していた。    先生が亡くなられた時も二人で実家にご挨拶に伺った。
 (逆にスゴイご馳走(おいしかった)を出してくださり二人して恐縮しきりだった)

 対面の山どこだかわかります?   ハイ正解。  そう、斑尾スキー場(裏面)です。  手前には野尻湖が。
 

 懐かしい景色です。   この上の左手に妙高国際スキー学校の建物があったんです。
 

 宿に戻って雪かきのお手伝い。  このくらいしないと申し訳ない。  でもこのくらいじゃ恩返しになんてならないね。
 

 当時の居候の皆さんは誰から言われるまでもなく積極的に動いていた。   
 ゲレンデからの帰りの道作り、 風呂焚き、 玄関前の階段作り、 掃き掃除、 トイレ掃除・・。

 全員、 “体育会系”     あの清々しい挨拶や行動全部が気持ち良く、 皆好青年だった。     

 昔を懐かしみ僕も階段作りをやらせていただきました。
 

 ※こうして見ると自己満足に見えるかもしれないが、 そう見えて、そう思っていただいても結構です。 
  でもこの時自分は心の底から感謝の気持ちでいっぱいでした。  「先生、ありがとうございました」 と。

 カラさん、 サトさん休憩の図。 (笑)
 
  (カラさんは今でも年に数回はスキーをされているそう。 さすがです)


 一仕事を終え(仕事のうちに入らないが)宿の中へ戻ると僕たち(サトさんもここで1級取得)の賞状が外されていた。

  
 
 「持って帰ってください」  ということなんだと直感した。   (またまた涙腺が弛む)


 そして当時の仲間の賞状やアルバム写真をじっくりと拝見する。    懐かしいの一言!


 スチュワーデスさんが泊ったときの先生のハシャギようったら・・・  (笑)
 

 こうして見ると僕は写真係だったうな・・。    
 サトさんが着ている赤いウエアは当時僕が提案し二人して揃えたもの。


 全員早川山荘に鍛えられ、 またいろいろと教えていただきました。  
 (考え方、大人としての行動言動、義理、感謝の気持ち、他人を愛する心・・   とてもとても書ききれない)


 中村君元気でやっているかい?   ナイターでよく一緒に滑ったね。   今もミ○ノで働いているのかな?
 

 当時の先生(スキースクールの副校長先生)です。      お若い!!  (今回初めて拝見しました)
 

 

 

 おばあちゃんと先生。
 

 若かりし日。       「青春の1ページ」
 

 当時は首都高くらいしか高速は無く後はずっと下道(R18)。  夜千葉を出て朝方宿に着いて・・ だった。
 あまりに早く駐車場に着いた時なんか宿に電話するのが申し訳なくて、クルマの中で8時頃まで待っていた時もあったっけ。

  次女(だったと思う)とヤッちゃんとカラさんと僕。     この時これが最初で最後、 一緒に滑ったね。
 

 

 


   もー  ダメ。。。     ちょっと部屋から外に出ました。


 夕食の時間。  サトさんは日帰りため僕たちだけ早めの夕食にしていただいた。


 食堂にも当時のままの写真があった。
 
 (ホバリングしたヘリコプターの下、 数回滑ってやっとOKが出たポスター写真左)

 当時この写真を見て先生自ら、 「あー、、 いやいや、 やーやー」  と。  (わかる人には分かる言いよう)
 

 佐野の地酒を持参しました。   今宵は一献。。。
 

 カラさんも写真を撮っていました。
 
 
 いつもながら美味しい夕食。
 

 全員で記念撮影です。      おばさん、 ヤっちゃん、  いつまでも元気でネ♪
 

 サトさん帰ります。   今日はありがとう、 またいつか会いましょう、 気をつけて!!
 

 ささ、 食べ直し、 じゃなかった飲み直し。 (笑)
 

 カラさんもアンチャン(カラさんは先生のことを昔からアンチャンと呼ぶ)の写真を撮ってます。
 ちなみに壁には先生の年代別の名札がいっぱい貼ってある。

 宿のおばさんとヤッちゃんが来て、 この中から記念に何か持ち帰ってくださいと。。
 さすがに故先生の免許証等は遠慮した。  で僕が選んだのは当時使わせていただいていたシーズン券数枚。

 

 毎年毎年シーズン券を貸していただき毎日毎日一生懸命練習しました。

 食後居間に移動しヤッちゃんに地酒(どぶろく)を頂く。    いやあ、 今回は飲んでばかりです。   (^^;
 

 甘酒のような味わい(フルーティー)で行けること行けること。。     ぬははー  (^^v
 (最初の数杯では当然終わらず、 そのうちに一升瓶を持ってきてくれた)

 風呂後外に出て涼んだ。  気持いい冷気。    今夜は星空だった。

 いい雰囲気でしょ?  早川山荘。    外は寒いけど宿の中はスゴク温かい(暖かい)んですよ。
 

 他の常連さんに混じり昔話や趣味の話に華が咲く。    山荘が閉まるのを残念がっていました。
 

 この中にいると僕なんてまだまだペーペーです。     皆さん30年以上来られているそうです。
 こういうシチュエーションで夜な夜な酒を酌み交わし胃腸を鍛えそして翌日には腕を磨き、  だったなあ。。。

 そろそろお開きにしましょう。    短い1日が終わります。  

 TVなんて必要なし。   当時、 皆1日中滑って疲れて呑んであとは眠るだけの生活だった。
 

 明日、 帰ります。


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 3/6(日)      名残惜しいですが泣いても笑っても今日で最後です。    眩しい青空。


 おはようございます。
 

 おいしい朝食、 頂きます。    当然お代わりです。
 

 カラさんも名残惜しんでいます。  窓の外は過ぎた時間があっと言う間に縮ります。  この景色見たのホンのつい最近のよう。
 


 ヤッちゃんが僕に言ってくれた。    「せっかくだから最後に滑ってきてください、 僕のスキー貸しますから」

 初めは遠慮(帰るまでの時間想いに耽ようと思っていたので)したが、 せっかくなのでやはりご厚意に甘えることにした。

 スキー板ストックとブーツ、 それと上着とグローブを借りて(要は一式全部)1本滑ってくることにした。

 先生、 今僕はあなたの息子さんの道具をお借りして山荘の前に立ってます。   信じられません。
 

 昔、彼がまだ小学生の頃一度一緒(お姉ちゃんも一緒に)に滑っただけでした。  その彼の道具を借りて最後に1本だけ滑ります。

 (以前使っていた板は見栄を張ってのSL200cm(身長165cm)、 それが今は175cm以内の短い板が主流。 今日初めて乗る)

 リフトは以前のように動いてはいなかった。  スキー人口の激減と共にリフト本数も減っていた。 
 杉の原スキー場まで滑り(下り)ゴンドラを乗り継ぎ国際(今は三田原ゾーンと言う)側に来なければならない。
 カラさんいわく、 本数が少ないから昨日は激混みだったぞ、 と。

 帰宅の時間もあるので、 宿からスキーを担いで第2高速リフトまで歩いて登り2高の1回券を購入し滑ることにした。
 (山歩きをしているので荷物担いでの登りは全然苦にならない、 むしろ最初で最後やるのも面白いし)

 妙高山の頂が綺麗に見えた。    今年火打ちと一緒に登ろうかなあ。
 
 (苦にならないとは言ってみたものの汗びっしょりである。 (^^; )
 
 振り返る。    斑尾高原方面とナウマン象の野尻湖。
 

 よくお茶していたチロルは雪を被り閉まっていた。    スキー学校も今は跡形もなかった。。  (泣)

 1回券500円を支払い いざリフトへ。   懐かしい。。。
 
 (以前はつばぜり合い(笑)をしてリフトに乗ったものだが今はすんなりと乗れる。 嬉しいのか悲しいのか・・ )

 昨日のことのように思い出す。   ここで修行した。   この上部が検定バーンだった。
 
 
 今日はウサギの足跡は見つけられなかったよ。    ハハハ・・。
 

 3高乗り場。 この上(大昔は無かった)がコブコブバーン。  昔一度だけフリーで先生にマンツーマンで教えて頂いた。
 
 (右手側が杉の原スキー場。  連絡路でもある)

 さあ、 滑りますか!! 
 
 昔はここから2高乗り場まで一気滑りばかりしていた。  今日は絶対できません。  (^^; 

 ヤッちゃん、  行くよーー!!!      18年ぶりです。
 

 気持いいー!!    最初はへっぴリ腰だったがそれでもすぐに前傾になり中ショートターンもできた。
 

 体は覚えているもんですねえ、、  って80%は道具のお陰だろうて。。    ドッヒャー。  

 脛(スネ)が痛くなってきた。 (←これも思いだした)      根性注入ぅ!!!

 一気に下るのが勿体なくてちょいちょい止まっては写真をパチリパチリ。  そしてとうとう最後のバーンへ。

 今はもう無いシングルを下りて山荘入口に向かうバーンです。    (右手中腹辺りに山荘への入口看板がある)
 

 「ああ終わってしまう」  (これも当時のままの印象で、楽しい1日があっという間に終わってしまう、そんな印象)

   “早川山荘入口”

 
 (当時は木の根元にオレンジ色の看板だったのだが・・  よく雪に埋もれて見えなくなるから変えたのかな)

 「ただいま戻りましたーっ!」   が宿に戻った時、 台所のドアを開けて必ず言っていた挨拶でした。
 
 (山荘への道は分かりずらく木立の中を右往左往してしまった。   これも “今” を象徴する事柄なんだろう)

 静まり返った居間。  昼間はいつもこんな感じ。
 

 2日間ありがとうございました。    もう二度と泊ることはできません。
 
 (キノコ博士(故お爺ちゃんはキノコ博士)のキノコの額縁入り写真が外されていた)

 さようなら、、   皆さん。
 

 この温度計も昔のまま。   (どなたかの北海道のお土産)
 

 ここから眺める雪壁も見収め。   昨夜のお酒は置いていくね。
 

 帰り際おばさんから   「持って帰ってください」   と渡された。      一生の宝物にします。
 


 ああ、、  

いよいよあの瞬間がくるのか!?
  (来てはほしくないんだが)


 ヤッちゃんがモビルを持って来る。
 

 僕は段々声にならず回りを見ているだけ。
 

 

 この辺からはもうウルルン滞在記のラストシーンそのものでした。

 

 「カラさんとヤッちゃん」  ヤッちゃんが最初に言った、 「先ずはカラさんと二人だけで撮ってください」  と。
 
 (カラさんが早川山荘に来始めの頃、 ヤッちゃんはまだこの世に生は受けていない。  とのこと)

 手前、 おばさん。
 

 この方たちの笑顔は絶対忘れない!!
 

 カラさん曰く、   「たぶん同年代(近い)?かも」
 

長い間本当にお世話になりました。

 

 (次回?はまた実家にお邪魔させていただく約束をした)


 
 
 上の写真を撮った後、 僕は両の手でおばさんの温かく働き者の手をそっと包んでお別れをした。
   
 この時だけは涙があふれて声が出ず、 ただただ頭を何回も下げるだけ。


 モビルに乗って振り返り撮った最後の写真。
 
 (カラさんは一人滑って下の駐車場に下りる)


 ヤッちゃん、  君の背中はお父さんのようだよ。     

 たくましくなったなあ、、   お父さんに負けないようガンバレよ。

 

 


早川山荘の皆さま、 

本当にありがとうございました。






                    完。





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 Special Thanks.     カラさん、  サトさん。




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青春の1ページ

2011年03月04日 20時12分37秒 | 徒然
 
 今週末の土日、 若い頃スキーで大変お世話になった宿に最後のご挨拶に行って来ます。
 以前このブログで紹介したことのある、 妙高高原杉の原国際スキー場にある一軒宿です。


 「早川山荘」


 宿のご主人は当時バンビスキースクールの副校長先生をされていて、 宿を一人で建てた方です。
 僕がこの宿にお世話になっていたのは22歳頃? ~ 32歳頃までの10年間くらいです。

 その間この宿を訪れたスキー猛者や居候は数知れず。  皆この宿を巣立っていきました。
 大学生が多く、 昼間はスキースクールで教えて、 ナイターでやっと自分の滑りができ、
 各自自分の不得意分野をみっちり練習していたのを覚えている。

 かく言う自分もその一人で、 そんなに腕は無いけどそれでもここ妙高国際スキー場で練習を積んで
 SAJ2級、 そして待望の1級を取得したのです。  (今から18年くらい前かなあ)
 あの宿に泊り修行してSAJ1級を取得した者たちの賞状は宿の壁に今も貼られずらりと並んでいる。
 (最近 “早川山荘” でググッてヒットしたブログの方を通して確認した内容です↑ ありがとうハルさん)
 
 明日その賞状を18年ぶり?  に外して持ってこようと思っている。   (初めて自分の家に来る)

 当時は年間40日はスキー漬け、 宿はゲレンデの中腹にあるため他のお客さんたちをスノーモビルで出迎え等
 宿の手伝いも少々やっていました。  宿玄関の階段作り、 ゲレンデから宿までの道作り等。。
 お客さんがいっぱいの時寝ていたのは母屋(宿)とは道を隔てた反対側にある物置小屋(失礼)?のような
 2階の一室。 その部屋は隙間風ヒューヒューで1階のトイレはすんごい(失礼)のなんのって。(笑)

 やはり他のお客さんでいっぱいになると、 たまに食堂の2階でご家族の皆さんたちと一緒に寝たり・・。
 ホント家族のように接して頂いていた宿です。 子供さんたちの挨拶もきちんと大きな声で気持よかった!

 いやあ、 あれもこれも全部が全部楽しくいい想い出です。

 ある時、 昼間フリーで滑っていると突然スキー場内アナウンスが流れ・・
 ピンポンパンポーン♪  「早川山荘にお泊りの○○さん、 至急スキースクール受付までお越しください」
 そう、 急遽スキースクールの手伝いに駆り出されるのです。 (笑) 
 (どこかの修学旅行生が多いと常駐のスクール先生たちでは手が足りない時に、 応援の形で手伝っていた)

 手伝いと言ってもズーッと上から下までボーゲンで7~8人引き連れてS字滑走・・(笑)
 (それでも絶対に怪我だけはさせられなかった。 それは他のお客さんとの不慮の衝突にも当然気を配り)

 いやあ、、  あの頃のスキーは実に楽しかったなあー   
 (当時先生に貰ったカザマ(KAZAMA=新潟県)のテストスキー板は今も部屋に置いてある)

 夜は皆で技術選のビデオ見ながらあーでもない、こーでもないと夜遅くまで真剣談義。 そして翌日早速ゲレンデ試す。
 上から下まで一気高速滑りや1枚バーンを時間かけてゆっくりバランスで滑ったり、 試行錯誤の日々・・。

 12月下旬に荷物一式宿に送り、 体一つ電車で会社と宿を毎週毎週往復の生活が3月下旬まで続いていた。
 そんな思い出いっぱいの宿が今シーズン限りで営業を終わらせ閉めるという連絡が突然入り・・。

 ここ十数年は全く伺っていなかったのです。  なので当時一緒に行っていた方と連絡を取り急遽明日伺うことに。 
 (その方たちとも会うのは実に十数年ぶり (爆))


 「最後のご挨拶」   に・・。


 ちなみにその宿のご主人は十数年前に亡くなられていて、 今は奥さまが頑張って宿を切り盛りされております。
 そして今日の夕方改めて宿に電話を入れました。  あの当時と何等変わらぬお元気な声を聞くことができました。



 「ハイ、 早川山荘です。 (←毎回同じ)   あーいやいや、、 あれまあ、 お元気でしたかあ? 」

 「大分ご無沙汰しております、 明日から一泊で伺います。 」     (もう頭が上がりません)



 JR錦糸町駅近くの雑踏の信号待ち中交差点での会話、、  
 その会話中だけ回りの動きがモノクロに写りシーンとスローに見えたのは考え過ぎかな、  ハハ・・。   

 ホントそんな感じに思えたのでした。   そしてなんだか涙が出そうだった。。
 

 現代の最新式ホテルやペンションとは造りや見栄えは全く違うが、 でも宿の皆さんはとても温かく、そして気さくに
 接してくださって・・。  ご飯も美味しく(本場魚沼産コシヒカリで自家棚田生産)いつも野沢菜だけでも
 お代わりしていた。   8:15になると奥からおばあちゃんがTVの前に来て、 NHK朝の連ドラを
 必ず見ていた。  その背中は丸くそしてスゴク可愛かったのを昨日のことのように思い出す。


 僕の青春の1ページ    “早川山荘”     明日最後のご奉公に伺います。


 「ちょっとだけ、、 (ホントはいっぱい)     泣いてくるよ・・  」



 (長文で失礼しました)



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 帰りの東京駅新幹線改札口に飾ってあった宣伝ポスターより。

 
 (この前も開始前日にも撮ったような・・)


 ※本文と写真は関係ありません。


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丹沢山 vol.2

2011年03月03日 20時39分57秒 | 山歩き
 
「丹沢山」

私が百名山の一つに丹沢山(丹沢山というのは山塊中の一峰である)を取上げたのは、個々の峰ではなく、全体としての立派さからである。
ただ表尾根を歩くだけでなく、その奥深く入れば、山の規模は大きく複雑で、容易にその全貌をつかめない。

                                  深田久弥  「日本百名山」  より引用抜粋。

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2/26(土)     厳冬期の雪山は素人のためやらず、 自分なりにこの時期に登れる山へ行ってきました。


東北 ~ 首都高 ~ 東名秦野ICで下りて大倉バス停着、  1時間の仮眠後出発。



バカ尾根の愛称を持つ丹沢山の尾根登り。  そんなに辛いとは思わなかった、  が正直な印象。
でもその延々と続く階段といい、 ゴロ石といい、 あまり山登りを経験していない方だと辛くうんざりするかも。



塔ノ岳への中間地点にある山小屋。  帰りに休憩したがとても雰囲気のよい小屋だった。
 
あるグループの忘年会や各種の集まりに使われている小屋で有名。  大倉バス停 ~ 塔ノ岳まで7km

湘南方面の風景が広がる。


塔ノ岳着。


360°の絶景でした。   富士山、 太平洋、 薄っすら伊豆半島方面、 南アルプス、 秩父方面・・
風があり空気は冷たかったがやっぱり山の上は気持がよかった。   大汗かいていたので薄手のシャツ2枚のみ。



ここから丹沢山までのアップダウンの道が雪道となった。  まだアイゼンは使用しなかった。



尊仏山荘裏手の下りのスケートリンクでいきなり転倒。    右腕をしたたかに打った。  痛かったー
その横で笹の葉を食む雄鹿が転倒した僕のことをじっと見ていた。  だはー。。。



「丹沢山」  着。


ここまで9.6km、 ちょうど4時間。  ここで初めての休憩をとった。
(おにぎり、  水、  チョコレート)  

30分休んで丹沢山塊最高峰である蛭ケ岳目指す。   ここから3.4km。
今10時30分で往復6.8km、 で帰りはここから下までまだあと9.6kmもある。。

なんだかわかりずらい言いまわしだが、  帰りはここ丹沢山にたどり付くのがきっと13時過ぎ、 でその後9.6km下る必要がある。

「大丈夫かな?    ま、 大丈夫っしょ」

丹沢山裏手から延びる山尾根。   あの遥か奥の真ん中の頂きがこれから向かう蛭ケ岳だ。



ここで軽アイゼン6本刃付け。


膝くらいの深雪、 つぼ足やら凍結路、 雪解けのぐちゃぐちゃどろんどろん、、   ミックス状態。

鎖場。  あの登り返しがきつそうだなー


12時、  蛭ケ岳登頂。


ここまで6時間。   少し休んで帰りは5時間と計算すると、、  18時前ころ下山と推測。
ヘッデンあり、 道は安全で整備も十分、 よほどのことが無い限り無事に下山できると判断した。

富士山を眺めながらのんびりお昼ごはんを食べました。      パワー注入♪


12:30出発。


登っては下りまた登るを繰り返し、 泥で重くなった靴と悲鳴を上げ始めた大腿四頭筋に喝を入れつつ丹沢山着。

綺麗な山小屋、 みやま山荘。   ここに泊り夜景を眺めながら一杯、 いいかも♪


塔ノ岳裏手に着いた頃、 朝見た雄鹿にまた出会った。  
(この日のヤマレコを確認したら、 皆さんこの鹿を写していたようだ)


ここからの7kmの下りは正直きつかった。   もうホント足パンパン。  膝ガクガク状態。
アイゼンの重さと登り下りの山行、 水も底を尽きつつある状況、 そして午後の遅い時間帯。。

  
そんな状況下だったので尚更慎重に下った。    事故は許されない、 安全に下る。
 

ここまで下ってきてホッとした。   お茶を購入してしばし休憩。。。


お店を出る時に女将さんに言われた   「気をつけて行ってらっしゃーい」   の声が嬉しかったなー

丹沢山唯一のキャンプ場。     ツェルトが3張り。  訓練のようだった。


18時、  無事下山完了!!


朝6時登山開始、   18時下山完了。    12時間の山行。  久しぶりの長丁場だった。


でも帰りは特にゆっくり気をつけながら下りてきたので、 回りの景色を十分に眺められ結構楽しみながら下りてきた。


たまには1日フルに使うこんな山行もいいものです。。。      (でもこの時間にバス停には誰もいなかったが)


丹沢山感想 ・・   「延々と続く尾根道、  雪道の登り下り、 しかもピストン。   長かったー」  (往復26km) 
 (それでも平ケ岳の比ではない)
   

ここはじっくり縦走を目的に蛭ケ岳山荘あたりで一泊し、 翌日JR橋本駅方面から帰るコースがいいかも。
(今回の山行でコース等分かったので縦走登山は是非次の機会(良い気候時)に。  今度はじっくりと歩こうと思う)


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帰りは、 東名 ~ 首都高と大渋滞に巻き込まれたが、 それでも関東圏内の近場(知った地の利)故
特段焦らず渋滞に身を任せゆっくり帰ってきました。  (関東甲信越、 往復1,000km以内は近場に感じる)


その日立てた目的を達した後の清々しさが際立ち、 疲れもそんなには感じなかった。  
それでも帰宅後は、、  風呂、ビール、晩ごはん、爆睡、 だったけど。。


今年最初の山登り、  十分満足できました。



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ワ玉ゴ酢豆

2011年03月02日 21時49分07秒 | 徒然
 
 ワー    はワカメのワー

 玉     は玉ネギの玉ー

 ゴー    はゴマのゴー

 酢     は酢の酢の酢ー

 豆     は納豆の豆ー


 最近の、 僕の、 夕食っのオカズですぅ~♪ (笑)


 「高血圧、 中性脂肪からの脱却」      だはー  (^^;


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 その前にアータ、、   もちっとアルコール控えたら? (爆)     ← 一人ツッコミ。。