「快走爛漫Ⅱ」

アウトドア大好き人間です。 (since2005.10) 

青春の1ページ

2011年03月04日 20時12分37秒 | 徒然
 
 今週末の土日、 若い頃スキーで大変お世話になった宿に最後のご挨拶に行って来ます。
 以前このブログで紹介したことのある、 妙高高原杉の原国際スキー場にある一軒宿です。


 「早川山荘」


 宿のご主人は当時バンビスキースクールの副校長先生をされていて、 宿を一人で建てた方です。
 僕がこの宿にお世話になっていたのは22歳頃? ~ 32歳頃までの10年間くらいです。

 その間この宿を訪れたスキー猛者や居候は数知れず。  皆この宿を巣立っていきました。
 大学生が多く、 昼間はスキースクールで教えて、 ナイターでやっと自分の滑りができ、
 各自自分の不得意分野をみっちり練習していたのを覚えている。

 かく言う自分もその一人で、 そんなに腕は無いけどそれでもここ妙高国際スキー場で練習を積んで
 SAJ2級、 そして待望の1級を取得したのです。  (今から18年くらい前かなあ)
 あの宿に泊り修行してSAJ1級を取得した者たちの賞状は宿の壁に今も貼られずらりと並んでいる。
 (最近 “早川山荘” でググッてヒットしたブログの方を通して確認した内容です↑ ありがとうハルさん)
 
 明日その賞状を18年ぶり?  に外して持ってこようと思っている。   (初めて自分の家に来る)

 当時は年間40日はスキー漬け、 宿はゲレンデの中腹にあるため他のお客さんたちをスノーモビルで出迎え等
 宿の手伝いも少々やっていました。  宿玄関の階段作り、 ゲレンデから宿までの道作り等。。
 お客さんがいっぱいの時寝ていたのは母屋(宿)とは道を隔てた反対側にある物置小屋(失礼)?のような
 2階の一室。 その部屋は隙間風ヒューヒューで1階のトイレはすんごい(失礼)のなんのって。(笑)

 やはり他のお客さんでいっぱいになると、 たまに食堂の2階でご家族の皆さんたちと一緒に寝たり・・。
 ホント家族のように接して頂いていた宿です。 子供さんたちの挨拶もきちんと大きな声で気持よかった!

 いやあ、 あれもこれも全部が全部楽しくいい想い出です。

 ある時、 昼間フリーで滑っていると突然スキー場内アナウンスが流れ・・
 ピンポンパンポーン♪  「早川山荘にお泊りの○○さん、 至急スキースクール受付までお越しください」
 そう、 急遽スキースクールの手伝いに駆り出されるのです。 (笑) 
 (どこかの修学旅行生が多いと常駐のスクール先生たちでは手が足りない時に、 応援の形で手伝っていた)

 手伝いと言ってもズーッと上から下までボーゲンで7~8人引き連れてS字滑走・・(笑)
 (それでも絶対に怪我だけはさせられなかった。 それは他のお客さんとの不慮の衝突にも当然気を配り)

 いやあ、、  あの頃のスキーは実に楽しかったなあー   
 (当時先生に貰ったカザマ(KAZAMA=新潟県)のテストスキー板は今も部屋に置いてある)

 夜は皆で技術選のビデオ見ながらあーでもない、こーでもないと夜遅くまで真剣談義。 そして翌日早速ゲレンデ試す。
 上から下まで一気高速滑りや1枚バーンを時間かけてゆっくりバランスで滑ったり、 試行錯誤の日々・・。

 12月下旬に荷物一式宿に送り、 体一つ電車で会社と宿を毎週毎週往復の生活が3月下旬まで続いていた。
 そんな思い出いっぱいの宿が今シーズン限りで営業を終わらせ閉めるという連絡が突然入り・・。

 ここ十数年は全く伺っていなかったのです。  なので当時一緒に行っていた方と連絡を取り急遽明日伺うことに。 
 (その方たちとも会うのは実に十数年ぶり (爆))


 「最後のご挨拶」   に・・。


 ちなみにその宿のご主人は十数年前に亡くなられていて、 今は奥さまが頑張って宿を切り盛りされております。
 そして今日の夕方改めて宿に電話を入れました。  あの当時と何等変わらぬお元気な声を聞くことができました。



 「ハイ、 早川山荘です。 (←毎回同じ)   あーいやいや、、 あれまあ、 お元気でしたかあ? 」

 「大分ご無沙汰しております、 明日から一泊で伺います。 」     (もう頭が上がりません)



 JR錦糸町駅近くの雑踏の信号待ち中交差点での会話、、  
 その会話中だけ回りの動きがモノクロに写りシーンとスローに見えたのは考え過ぎかな、  ハハ・・。   

 ホントそんな感じに思えたのでした。   そしてなんだか涙が出そうだった。。
 

 現代の最新式ホテルやペンションとは造りや見栄えは全く違うが、 でも宿の皆さんはとても温かく、そして気さくに
 接してくださって・・。  ご飯も美味しく(本場魚沼産コシヒカリで自家棚田生産)いつも野沢菜だけでも
 お代わりしていた。   8:15になると奥からおばあちゃんがTVの前に来て、 NHK朝の連ドラを
 必ず見ていた。  その背中は丸くそしてスゴク可愛かったのを昨日のことのように思い出す。


 僕の青春の1ページ    “早川山荘”     明日最後のご奉公に伺います。


 「ちょっとだけ、、 (ホントはいっぱい)     泣いてくるよ・・  」



 (長文で失礼しました)



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 帰りの東京駅新幹線改札口に飾ってあった宣伝ポスターより。

 
 (この前も開始前日にも撮ったような・・)


 ※本文と写真は関係ありません。


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1 コメント

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残念ですね(ToT) (山ちゃん)
2011-03-06 00:02:13
宝物が1つ消えてしまいますね…形ある物はいつか無くなる運命にある事は分かっていても淋しいですね…。誰もがそうだと思いますが青春時代に過ごした場所に行くとまさにタイムマシーンの如くその時代に戻れた気がしてとても嬉しいですよね!でもそんな場所が無くなるなんて…本当に残念ですね(泣)
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