教養としての経済学 -- 生き抜く力を培うために | |
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有斐閣 |
先日書いたサルでも…の本
教養として、という題名が示す通り、経済学の様々な分野を紹介した、高校生向けの本
でも、大人が読んでも十分楽しめます。
経済学ってこんな学問なんや、とわかるかもしれない。
世の中の事象全てを経済学で説明したくなる人もいるかもしれない。
人の行動は全部経済が基本。もうかるかどうかや、と。
そのような見方もある意味、合ってるかもしれない、と思うこともままあるけど、そうでもないでしょう、というのが文学畑出身者の言う事。
この前スクールの予習(するんですよ)で出てきたイギリスのとてもえらい経済学者は、日本経済の特色の一つとして、利他主義を挙げていた。
西洋、特にアメリカと比べたらそうかもしれない。個人主義って、やっぱり基本自分の事が優先されるから。
なので、もうかるかどうか、は利他主義とは反することのようにもとれる。自分がもうかるかどうか、だから。
ま、マクロ経済だと、この「自分」の領域をぐーーーーんと広げて、コミュニティから地域、そして国と広げていけば、個人主義と利他主義の境目がわからなくなり、何が何やらぼやけてくる。
それに、利他主義は今の「人のために役に立ちたい」という場合の、「人」に通じるものがあると思うけど、日本のことわざに「情けは他人のためならず」というのがある。
人に情けをかけることは立派な利他主義と言える。それが「人のためならず」とは、まわりまわって自分の利になるからね、ということなんだよねえ。
で、そこまで考えたらいやらしいのですが、昔の人は知恵があるねえ。
利他主義なんて言葉がなくても、ちゃんと世の中の理はわかっていたのですから。というか、今の方が分かってない気がするけど。
うーーん、経済の話のはずなんだけど、どうも話がこんがらがる。
途中から難しくなった、というのは、あの計算式が出てきて、世の中の事象を全て計算で現して、しかも占い師かの如く、予想までたてる部分。私はいつもこの計算式にとても不快になる。
確かにその式の理屈を読めば、その通りだとは思うが、そうじゃないだろう、と言いたい。全部計算でわかるんなら、こんな簡単なことはないだろう。
複雑な式なので、それができない悔しさから言っているのではない(言ってるだろ)
この前、イエレンさんが見事に世間の噂通りに9月に連銀の利率を上げるのを見送った。で、やっぱり12月?
て、きっとすごい複雑な式をたくさんの人が何度も計算した結果、あのようになったのだろうか?
私は違うと思う。きっと彼女の勘! 腹の中から何か囁くものがあったんだと思うよ。
てなことを言うのは、文学畑の人間だねえ。
少しは、分かるようになったかなあ。