2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回は夜のローマの第三回です。
夜のローマの最後の回は、
紀元前後の後から現代までを見て行こうと思います。

サンタ・マリア・イン・コスメディン聖堂(画像はクリックで拡大します)
以前の記事でも真実の口の所で触れた、
サンタ・マリア・イン・コスメディン聖堂
6世紀頃、東ローマ帝国から逃れて、
この近辺に居たギリシャ人の為に建てられた聖堂。

カンピドーリオ広場(画像はクリックで拡大します)
ミケランジェロ作『カンピドーリオ広場』
中世を飛ばして、いきなりルネサンス時代になります。
パラティーノの丘が紀元前ローマの原点だとすれば、
帝政以降のローマの発祥の地とでもいうべき広場。
以前アップしたフォロ・ロマーノの中でも、
古い建物の部類に入る公文書館の上に増設された、
現在ローマ市庁舎として使われている建物です。

トリトンの泉(画像はクリックで拡大します)
そて時代はバロックへ進み、ベルニーニ作『トリトンの泉』
ベルニーニに関しては既に何度も触れてきましたが、
とにかくローマ市内には至る所にベルニーニの彫刻があります。
彫刻天国のローマの市内を歩いていると、
確かにベルニーニの作品は、
その躍動感で他作品と一線を画しているのが感じられます。

トレヴィの泉(画像はクリックで拡大します)
映像や画像では幾度となく目に触れる機会のあるトレヴィの泉。
これもまたローマ・バロック時代の傑作と言われています。
観光地色が強過ぎるんでは、と期待してなかったんですが、
実際に見るとすごく、
おもわず後ろ向きでコインを投げ込んでしまいました。

ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂(画像はクリックで拡大します)
そして1870年に、今のイタリアを統一した
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の記念堂。
とにかくでかい!ただ、それだけ。
駆け足で、夜のローマで紀元前から現代までの時空旅行でした。

夜のローマ
「すべての道はローマに通ず」という言葉は有名ですが、
それだけヨーロッパ社会にとってのローマとは、
ある意味原点の場所なんだと思います。
ローマは、エジプトやギリシャなどの、
それまでの古代社会のおいしいところをミックスして、
現在の社会の基本的な構造を造り上げた場所だと感じました。

夜のローマ
ゲーテは「ローマには人類の歴史全てがある」と言ったそうです。
人類の歴史全ては言い過ぎかも知れませんが、
確かにローマには2,500年の歴史が、
廃墟のミルフィーユとしてしっかりと残っています。
そんなローマに居ると、
「現在」という時間が些細なもののように思えて来ます。

夜のローマ
2,500年の歴史を毎日肌に触れながら生活していると、
自分がすごくちっポけに思えてくるんではないでしょうか。
その短い一生の中で、粛々と時代をつなぐ一こまになって、
そして生涯を次の時代へバトンタッチしていく。
そんな考えを、
いやおうでも感じさせられるんではないかと思います。
ヨーロッパのポピュラー音楽の底に流れるある種の諦め感は、
ここから来ているんだと思いました。
今回は夜のローマの第三回です。
夜のローマの最後の回は、
紀元前後の後から現代までを見て行こうと思います。

サンタ・マリア・イン・コスメディン聖堂(画像はクリックで拡大します)
以前の記事でも真実の口の所で触れた、
サンタ・マリア・イン・コスメディン聖堂
6世紀頃、東ローマ帝国から逃れて、
この近辺に居たギリシャ人の為に建てられた聖堂。

カンピドーリオ広場(画像はクリックで拡大します)
ミケランジェロ作『カンピドーリオ広場』
中世を飛ばして、いきなりルネサンス時代になります。
パラティーノの丘が紀元前ローマの原点だとすれば、
帝政以降のローマの発祥の地とでもいうべき広場。
以前アップしたフォロ・ロマーノの中でも、
古い建物の部類に入る公文書館の上に増設された、
現在ローマ市庁舎として使われている建物です。

トリトンの泉(画像はクリックで拡大します)
そて時代はバロックへ進み、ベルニーニ作『トリトンの泉』
ベルニーニに関しては既に何度も触れてきましたが、
とにかくローマ市内には至る所にベルニーニの彫刻があります。
彫刻天国のローマの市内を歩いていると、
確かにベルニーニの作品は、
その躍動感で他作品と一線を画しているのが感じられます。

トレヴィの泉(画像はクリックで拡大します)
映像や画像では幾度となく目に触れる機会のあるトレヴィの泉。
これもまたローマ・バロック時代の傑作と言われています。
観光地色が強過ぎるんでは、と期待してなかったんですが、
実際に見るとすごく、
おもわず後ろ向きでコインを投げ込んでしまいました。

ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂(画像はクリックで拡大します)
そして1870年に、今のイタリアを統一した
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の記念堂。
とにかくでかい!ただ、それだけ。
駆け足で、夜のローマで紀元前から現代までの時空旅行でした。

夜のローマ
「すべての道はローマに通ず」という言葉は有名ですが、
それだけヨーロッパ社会にとってのローマとは、
ある意味原点の場所なんだと思います。
ローマは、エジプトやギリシャなどの、
それまでの古代社会のおいしいところをミックスして、
現在の社会の基本的な構造を造り上げた場所だと感じました。

夜のローマ
ゲーテは「ローマには人類の歴史全てがある」と言ったそうです。
人類の歴史全ては言い過ぎかも知れませんが、
確かにローマには2,500年の歴史が、
廃墟のミルフィーユとしてしっかりと残っています。
そんなローマに居ると、
「現在」という時間が些細なもののように思えて来ます。

夜のローマ
2,500年の歴史を毎日肌に触れながら生活していると、
自分がすごくちっポけに思えてくるんではないでしょうか。
その短い一生の中で、粛々と時代をつなぐ一こまになって、
そして生涯を次の時代へバトンタッチしていく。
そんな考えを、
いやおうでも感じさせられるんではないかと思います。
ヨーロッパのポピュラー音楽の底に流れるある種の諦め感は、
ここから来ているんだと思いました。
おぼえててくださってるでしょうか?
夏に久高島めざしてたんですけど
父調子悪く
他界いたしまし、バタバタと月日が過ぎ
夏も過ぎ去りました。
新しいページまた拝見させていただいてます。
いいですね・・・
秋に向けての優しい灯り。
こちらは朝から雨
久々のんびりした休日過ごしています。
沢山お話させて頂いたnonさんはよく覚えております!
お父様が亡くなられたのですね。
ご冥福をお祈りさせて頂きます。
また、改めてよろしくお願いいたします。