黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

イタリア旅行記 #47 夜のローマ 2

2011-05-30 02:04:18 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回は夜のローマの第二回です。

前回アップした夜のローマは、
主に紀元前の王制ローマから共和制ローマ時代のものでしたが、
今回は紀元前後のものを中心にアップしようと思います。

オクタヴィアの柱廊
オクタヴィアの柱廊(画像はクリックで拡大します)

前回の記事でアップしたティヴェリーナ島から少し北へ行くと、
画像のように街のど真ん中に突然廃墟が現れれます。
帝政ローマの初代皇帝オクタヴィアヌスが前23年に造った、
姉のオクタヴィアを祀った柱廊の前門跡です。
ローマで最初に見た、街中に忽然と現れる廃墟だったので、
その印象は、今でも鮮烈に覚えています。





オクタヴィアの柱廊
オクタヴィアの柱廊(画像はクリックで拡大します)

オクタヴィアの柱廊の端部分の現存する柱。
奥に建つ家は、窓を開けると二千年前の柱が、
目の前に立っている、というわけですね。





マルチェッロ劇場
マルチェッロ劇場(画像はクリックで拡大します)

オクタヴィアの柱廊の裏(北)にはマルチェッロ劇場があります。
一見コロッセオの様にも見えますが、
オクタヴィアヌスが前11年に、
若くして死んだ甥のマルチェッロのために造った劇場跡です。
コロッセオよりも古く、
コロッセオがこの劇場を模して造られたと言われています。

右端に立つ柱は前5世紀のアポロ神殿の跡。
もともと神殿に捧げる演劇が行われていた場所だったため、
この地に建設されたそうですが、
姉の柱廊、そして甥の劇場と、やりたい放題ですね。





マルチェッロ劇場
マルチェッロ劇場(画像はクリックで拡大します)

劇場の裏側はこんな感じになっています。
中世にローマの封建貴族の要塞に改造され、
更に16世紀にはスカターニ家の居館に改築され、と、
この建物もまた、
何世紀もの歴史がコラボして出来上がった建物です。
ちなみにこの劇場は世界遺産ですが、
3、4階には現役で人が住んでします。





コロッセオ
コロッセオ(画像はクリックで拡大します)

そして以前の記事でもアップしたコロッセオの夜景です。
マルチェッロ劇場と違って、コロッセオは完全に観光地なので、
夜も様々なライティングが施されて奇麗です。





コンスタンティヌスの凱旋門
コンスタンティヌスの凱旋門(画像はクリックで拡大します)

イタリアシリーズで既に幾度となく触れて来た、
ローマで初めてキリスト教を公認したコンスタンティヌス帝が、
これもまたヴァチカン美術館の記事でふれた、
ミルヴィオの戦いで前皇帝のマクセンティウスを倒し、
ローマに凱旋した時の門です。





ヤヌスの凱旋門
ヤヌスの凱旋門(画像はクリックで拡大します)

こちらはローマに残る唯一の四前面のヤヌスの凱旋門。
真実の口広場に面して建っています。
コンスタンティウス2世によって建てられた凱旋門ですが、
ローマ皇帝の名前は紛らわしくてこまります。
特にコンスタンティヌス帝からの4代は、身内ということもあってか、
コンスタンティヌス1世、(ヌス)
コンスタンティヌス2世、(ヌス)
コンスタンティウス2世、(ウス)
コンスタンス1世と、紛らわし過ぎます。

くりぬかれた箇所には、嘗ては彫像が並んでいたのだと思いますが、
現在では全てなくっているので、壮麗な印象が薄く、
そのせいで、あまり知られないのかと思います。


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